祝!昭和百年!200万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

第16回手塚治虫文化賞と漫画史と

2012-05-22 19:53:06 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
2012年、昭和時代の少年少女漫画史研究家であり、アニメーション史研究家である社会学士・本間正幸がオススメする映画やマンガ、アニメなどのイベント情報、展示会の紹介、参加報告をしますね!

5月19日(土)は、明治大学・米沢嘉博記念図書館のトークイベント

『「増刊ヤングコミック」と青年劇画の世界』ー70年代の劇画誌ブームを総括するー

石井隆、宮谷一彦、山上たつひこ、大友克洋など、先鋭的な作家の発表場所として語り継がれ、70年代の劇画の総決算的意味合いの強い『増刊ヤングコミック』。
同誌をつくりあげた三人の編集者に、当時の劇画編集と作家との間で行われた熾烈な闘いについて伺います。

講師:橋本一郎(作家、マンガ原作者)、戸田利吉郎(少年画報社代表取締役)、筧悟(別府大学客員教授、マンガ編集者)/司会進行:赤田祐一

に参加。

私にとっては、講師三人共に旧知の人達。
講師の方と司会者を交えた懇親会があったので、久しぶりに一次会だけでなく二次会迄参加。
司会の赤田祐一氏だけ、初対面のため挨拶、名刺交換を。
筧さんと私が深く関わったチクマ秀版社で、作品を復刻した故・上村一夫先生の御嬢さんが初対面となるため、筧さんから直接紹介してもらう。
懇親会には、いつもながら和気あいあいと、とても楽しいものになりました。

5月20日(日)は、日本の漫画史研究家の第一人者・清水勲先生の講座を聴きに、のらくろ館・森下文化センターへ。
講座終了後、清水先生は、参加者からの質問に、各々懇切丁寧に対応されていました。
私は、清水先生へ近況報告と、漫画史研究者としての日々の心掛けなどのアドバイスを受けるため、二人だけで喫茶店へ立ち寄ります。

故・米沢嘉博さんと明治大学米沢嘉博記念図書館、現代マンガ図書館と内記ゆうこさんの株式会社ないきにおける、明治大学との微妙な関係など、志なかばで第一線を退かなければならない運命だった先人たち漫画コレクターの生涯・人生を考えてみると、一番年少であり現役の漫画史研究家の私・本間正幸が、二万冊に及ぶ昭和時代の少年少女漫画、昭和時代のアニメーション映画のパンフレットや関連史料などの蔵書コレクションを元に今何を成すべきか?
成さなければならないのか?
人生という限られた大切な時間の中で出来ること、成し遂げなければならないことを、漫画史研究家としての輝かしい業績、人間としての人柄も漫画史研究家の中で一番尊敬する清水勲先生の生き方から、改めて考えさせられる日となりました。


5月25日(金)は、朝日新聞社 主催で浜離宮朝日小ホールにて16:00~開催される

第16回手塚治虫文化賞贈呈式・記念イベントに参加予定。


贈呈式

マンガ大賞『ヒストリエ』(講談社)岩明均氏

新生賞 伊藤悠氏『シュトヘル』(小学館)

短編賞ラズウェル細木氏『酒のほそ道』(日本文芸社)など一連の作品に対して

特別賞 あの少年ジャンプ

記念イベント

対談「大賞受賞記念対談」

岩明均氏×あさのあつこ氏(選考委員・作家)永井豪氏(選考委員・マンガ家)

5月28日(月)は、第646回無声映画鑑賞会【地獄の蟲】主演・田村高廣【少年野口英世】が上映されます!


弥生美術館の現在の企画展は、

大正100年記念【大正から始まった日本のKawaii(カワイイ)展】カワイイ・ファンシーグッズを中心に


2012年4月5日(木)~7月1日(日)


休館日◎月曜日

時間◎午前10時~午後5時(入館は4時半まで)

料金◎一般900円 大高生800円 中小生400円

*竹久夢二美術館と二館併せてご覧いただけます。

*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

弥生美術館

〒113-0032
東京都文京区弥生2-4-3
TEL.03-3812-0012
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp


ファンシー・グッズの元祖は、大正ロマンの画家・竹久夢二の店から登場しました。

昭和初年代から10年代にかけては高畠華宵や佐藤なみ子など叙情画家の絵に飾られた便箋や封筒が流行り、松本かつぢの「くるくるクルミちゃん」は、少女文化における最初のグッズ・キャラクターとなって、ポチ袋やふろくに描かれました。
戦後の駄菓子屋では蔦谷喜一のぬり絵が人気を博し、昭和30年頃になると、内藤ルネ・水森亜土・田村セツコ・わたなべまさこが出現し、カワイイ絵付きのマグカップやペンケースが少女の生活を彩りました。
そして昭和50年代にサンリオの製品が流通するようになった頃からは、日本国中がカワイイもので埋め尽くされるようになりました。

竹久夢二美術館では、

竹久夢二美術館
2012年企画展
2012年大正100年


夢二と大正時代Ⅱ
「セノオ楽譜」デザインと京都時代の夢二を追って
ー大正5~8年を中心にー

夢二と「大正時代」
竹久夢二と大正時代を再発見!


大正ロマンを象徴する画家・竹久夢二(一八八四~一九三四)は、まさしく大正期を中心に活躍し、この時代の寵児となりました。
夢二の作品や足跡を辿ることによって、大正時代の出来事や風俗、また流行が鮮明に伝わってきます。
★★★
当館(弥生美術館)では一年を通じて、夢二と大正時代を再発見していきます。
2012年1月より、年4回開催する企画展で、大正を4つの時期に分けて、夢二の残した芸術また人生の歩みを、時代の出来事と併せて紹介していきます。
館所蔵の大正時代の夢二作品や資料の数々を、ぜひご覧下さい。


夢二と大正時代Ⅱ

「セノオ楽譜」デザインと京都時代の夢二を追って

ー大正5~8年を中心にー


学芸員によるギャラリートーク

6/10(日)15時~16時


竹久夢二美術館

弥生2-4-2

Tel:03(5689)0462


私は、先週5月13日(日)の午後二時から弥生美術館のギャラリートークに参加し、午後三時からは、竹久夢二美術館のギャラリートークに参加する予定が参加出来ず。(涙)

午後四時からの出版美術研究会の会合にだけ参加しました。

今後の展覧会予定


7/5~9/30[夢二と大正Ⅲ 夢二の恋と関東大震災をめぐって ー大正9~12年を中心にー]

10/4~12/25[夢二と大正Ⅳ モダンの幕開けと夢二、次代の抒情画家を追って ー大正13~15年を中心にー]


さて、【のらくろ館】のある東京都江東区森下文化センターでは、


【田河水泡と弟子たち~そのユーモアの世界と系譜~】


があります。


「漫画『のらくろ』の作者・田河水泡は、江東区で幼少期から青年期までを過ごした本区ゆかりの漫画家です。
本講座では、日本の漫画界に大きな足跡を遺した田河水泡と弟子たちの人と作品、そしてそのユーモアの世界に迫ります。


回数:全5回
時間:14:00~15:30
定員:一般30名
会場:森下文化センター AVホール
料金:5000円(全5回分)
*美術館の入館料は、現地での実費徴収になります。

おすすめの内容/講師

第1回 5/20(日)漫画史における『のらくろ』~水泡のユーモア世界/漫画・風刺画史研究 清水勲

第3回 7/15(日)田河水泡の弟子たち①~愛弟子が語る田河水泡/漫画家・のらくろトリオ 永田竹丸、漫画家・のらくろトリオ 山根青鬼


〔申込先・主催〕

公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団 江東区森下文化センター


今年の清水勲先生からの年賀状の返事の中には、


「今年も大いに
ご活躍下さい」(直筆のメッセージ)


と、ありました。

永田竹丸先生からは、寒中見舞いをいただいております。
山根青鬼先生の作品については、オンデマンド出版として、コミックパークから、

㈱パインウッドカンパニー編集・発行

『山根青鬼・山根赤鬼漫画道中記』

小学館・編集・発行

『名たんていカゲマン』

が発売されています。

清水勲先生は、漫画史研究家の第一人者。
同志社大学教授の竹内オサム先生、故・米沢嘉博さん、中野晴行さん達が漫画史研究家として、優れた業績を残しております。

本来、私が監修した【少年画報大全】は、米沢嘉博さんに依頼されていたもの。

米沢さんの代役として私、本間正幸が急遽大抜擢され幸運なデビューを飾り、今日があるのです。


現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーション史研究と、大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして少年少女漫画史の研究になります。


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
発行部数は軽く一万部を越えている。


大学教授の肩書きを持つ著者たちが、小さな出版社から発行部数三千部で増刷もなく、発売数年で自由価格本となり、絶版の道を辿っているのは何故か?
多くのマンガ評論家の研究本の類と【少年画報大全】とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、判型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編(笑)はOKだろう。


昭和の少年少女漫画史研究家を看板に、最近は昭和のアニメーション史研究家としても売り出し中の社会学士


本間正幸
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