198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

佐村河内守氏の中の人だった新垣隆さんの会見に思うこと

2014-02-07 01:58:10 | スカパー!衛星劇場・無声映画の時代とニュー・シネマパラダイス
本来は、「無声映画鑑賞会と、マンガ研究とアーカイブについて思うこと」と題して発表する予定だったブログ記事ですが、一昨日からの世間での話題とキーワードに併せて、社会学的視点による内容に急遽冒頭部分を付け加えて発表させてもらいたいと思いますので、そこんところよろしく。(*´∀`)♪

「現代のベートーベン」と異名をとる佐村河内守氏の存在については、一昨日の昼まで正直何も知らなかったし、興味もなかった。
一昨日の夜、2003年頃より旧知である無声映画ピアニストの柳下美恵さんのTwitter上での呟き「新垣隆さん」というキーワードが、今回の騒動に関して私の好奇心をそそる結果となるのだが・・・。
昨日の午後2時半頃より会見をした佐村河内守(50)氏の中の人だった新垣守(43)さんについて、私は2003年頃より直接面識があった。
午後のニュースなどで、新垣隆さんの画像提供元になっていたマツダ映画社のホームページ。
私が知る新垣隆さんの素顔は、無声映画伴奏楽団カラード・モノトーンのメンバーであり、年末恒例の紀伊國屋ホールでの無声映画鑑賞会を始め、江東区の古石場文化センターでの江東シネマフェスティバルなど、年に必ず数回は、舞台に立つ新垣隆さんの演奏を耳にしていたし、楽屋での新垣隆さんの素顔もマツダ映画社の上映会スタッフの立場で目撃しているのだ。
物静かで誠実な人柄。
見た目が少し老けて見えるので、見た目が少し若くみえる私より、最初は彼の方が年下だとは思わなかったし、10人いれば10人が私の方を年下だと思うことだろう。
その彼が、18年間、佐村河内守(50)氏の中の人としてゴーストライターに徹していたとは、まるで見抜けなかったし、そんな素振りさえ少しもみせることはなかった。
東京千代田区のホテルで行われた会見の冒頭で、「指示されるまま、『私も佐村河内さんの共犯者』です」と謝罪。
18年で20曲以上提供、報酬は700万円くらい。
一方、佐村河内氏の印税収入だけでも3500万円近いとテレビ側は報道。
楽曲の著作権を全て放棄し、フィギュアスケート冬季五輪、オリンピック代表で国民の期待を一身に背負って頑張る高橋大輔選手のことを考えて「高橋選手には、五輪で堂々と闘ってもらいたい」と、今回の衝撃の告白。
佐村河内守氏については、最初会った時から普通に会話しており、「耳不自由」装っていたと発言。
これに対し、佐村河内氏の代理人である折本和司弁護士は、横浜で午後6時過ぎ反論があると発表。
「現代のベートーベン」のこれからの「運命」は如何に!

追伸

尚、映画と漫画史研究家である私は、本来なら昨日は、東京・西新宿で開かれた「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんに感謝する「『ありがとう! やなせたかし先生95歳 おめでとう!』の会」(やなせスタジオ、フレーベル館主催)にファンとして最後のお別れをしたかったのですが・・・。
やなせたかし先生が社団法人日本漫画家協会理事長を務めていた2010年6月に、当時漫画史研究家として最年少であった正会員(2003年に入会)から、ネットストーカー退治に対する私の対応に対して、渡辺教子事務局長による理事会への一方的な報告、判断により自主退会の形を取らされました。
今回の騒動で、少からず面識のある新垣隆さんを知る者として、ファンとして、やなせたかし先生にお別れを告げるより、同じ無声映画を心から愛し活動を続け、直接面識の有る数少ない仲間の一人として、新垣隆さんの会見の様子、テレビの報道を見守ることの方が、人として大切なのではないかと考え、参加を見送りました。
私は、これからも無声映画を心から愛する仲間の一人として、新垣隆さんの才能と人柄を応援し、今までと何ら変わらず交流していきたいと考えています。

----- Original Message -----


----- Original Message -----
今夏は、スタジオジブリ宮崎駿監督の新作映画【風立ちぬ】公開と衝撃の引退発表、続いて11月23日(祝)には実に14年振りとなる高畑勲監督作品【かぐや姫の物語】が、全国ロードショーで公開。
テレビアニメ【鉄腕アトム】放送開始50年とテレビでの特番、国民的アニメ【サザエさん】放送開始45周年など、マスコミの報道についても、日本のアニメの歴史が話題となる機会が多かったような気がする。
【サザエさん】の作者・長谷川町子さんの師匠である田河水泡のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターとの共催で、我等が無声映画鑑賞会でも待望の「夏休みレトロアニメ大会」が開催された。
漫画映画だけの特集上映は十数年ぶり、本邦初公開のスペシャル企画森下文化センター所蔵の「ノラクロ少尉」のデジタル化完成ともなれば、さぞや鑑賞会初参加となる漫画・アニメ研究者が殺到するかと思いきや、会場はいつもの御贔屓さんが大半で、逆に驚かされてしまった。
世界から注目を集める日本の漫画やアニメの実証的な歴史研究については、未だ黎明期のような有り様だ。
日本人の漫画史やアニメ史研究者については、大変残念なことに層が薄くレベルも低い。
紀伊國屋書店から発売された「日本アートアニメーション映画選集」全12巻の定価は30数万円と個人の研究者では中々手の出せない代物だったが、デジタル・ミームから発売の「日本アニメクラシックコレクション」DVD4巻セットなら個人でも充分購入可能な御値段。2007年発売時には、私も直ぐに購入させてもらった。
さて、熱心な会員の皆さまには、今回上映された「日本まんが短編集」に、どちらの商品にも収録されていない作品が含まれていたことにお気付きだと思う。
また、「マンガの足跡」では、ポパイやミッキー、ベティーやウサギのオズワルドなどの作品が、何時、どのような形で日本に紹介されていたのか大変興味を持った。
現在、日本漫画史や日本アニメ史の黎明期から興味を持ち、実物の資料にあたる実証的な研究者は驚くほど少ない。
あの有名な「タイガーマスク・伊達直人」現象が話題となった際、AMラジオに10分間生出演して、漫画原作とアニメの違いを解説出来たのは、在野にいる漫画史研究家である私だけだったのだから驚きだ。
【サザエさん】の漫画やアニメについても、現在発売中の雑誌『猫生活』(緑書房)にて、私の顔写真入りのインタビュー記事がカラーページに掲載されているので、是非、御一読の程を。
さて、フィルムからビデオを経てDVD、Blu-rayと、アニメ史を研究するための環境は著しく好転し、容易かつ手軽に作品を収集、保存、繰返し観ることすら出来るようになってきている。
しかし、無声映画時代の作品だけは、どうしても作品発表時の形態、フィルムで大画面、活弁付き、出来れば生伴奏で楽しみたいと思うのは贅沢なのだろうか。


「無声映画時代の作品だけは、やはりフィルムで活弁付き生伴奏で楽しみたいなぁ。」

漫画史&アニメ史研究家

本間正幸


上の文章は、無声映画鑑賞会の季刊である会誌『活狂』No.155通巻第187号、2014年1月1日号に掲載させて貰った私の原稿です。(*´∀`)♪


今日の画像は、左から1月24日(金)千代田区立日比谷図書文化館で開催された東京宝塚劇場 開場80周年カウントダウンイベント�「わが青春のタカラヅカ」講師:高橋真琴(画家)の会場で講義終了後、希望者にサインを入れて販売された高橋真琴画業60周年記念画集【夢見る少女たち】(パイ インターナショナル発行・2013年12月15日)と、2001年から毎年いただいている年賀状の御返事。
右に文化庁主催のシンポジウム【マンガ研究とアーカイブ】で配布された資料、そして、基調講演をされた清水勲先生が主宰する日本漫画資料館が発行する『諷刺画研究』第59号、2014・1・20。
我が無声映画鑑賞会の季刊である機関紙『活狂』。
10ページ徹底特集・懐かしの70年代プレーバック!発表!「漫画」「映画」「歌謡曲」ベスト5の記事が掲載された『週刊女性』(主婦と生活社)第58巻第6号通巻2775号になります。(1957年3月22日第三種郵便物認可)2014年1月28日発行・発売(毎週火曜日発行・発売)
この記事の中で、「漫画」と「映画」について私のインタビューが4ページに渡り掲載され、「映画」では、私が師事している脚本家の石森史郎先生のインタビューも掲載、「歌謡曲」では、平成仮面ライダーでもお馴染み、イケメン俳優の半田健人さんのインタビューが2ページに渡り掲載されていますので、オススメです。(*´∀`)♪

2014年1月30日(木)、日暮里サニーホールでの今年最初の無声映画鑑賞会も、お陰様で会場ほぼ満員の大盛況ぶり。(*´∀`)♪
朝日新聞と、読売新聞でも紹介されていたとのことで、会場で新たに入会される会員も増え、受付の女性スタッフたちは対応にてんてこ舞い。
お中入りで売られるお煎にキャラメルも完売となり、中には買いそびれた人が出るほど。
無声映画研究とアーカイブの大切さを誰よりもいち早く唱え実践された我が師匠、松田春翠先生の偉業と、継承者である御遺族・マツダ映画社のスタッフの皆さん、そして松田春翠門下の姉弟子であり、日本を代表する活動弁士・澤登翠さんの努力と精進の日々に頭が下がる思いです。
澤登さんは昨年、文化庁映画賞映画功労部門でも賞を受賞されました。(*´∀`)♪

さて、2014年1月26日(日)午後1時から文化庁主催、政策研究大学院大学1A会議室で行われたマンガ研究とアーカイブのシンポジウムで私が感じたことは、映画研究とアーカイブに比べて漫画やアニメ関連については余りにも遅れている御粗末な現状報告だった。

開会の挨拶、石垣鉄也(文化庁文化部芸術文化課支援推進室室長)5分間
連続シンポジウムについて、夏目房之介10分間の発言内容については聴き逃したが、然程問題は無いだろう。
肝心の清水勲先生の講演「漫画研究とアーカイブ」40分間には間に合った。(*´∀`)♪

プレゼンテーション「マンガ収蔵の現状・事例報告」60分間

吉村和真氏、宮本大人(明治大学准教授)、表智之氏、佐々木果(まんが編集者/学習院大学大学院非常勤講師)

休憩(20分)

第2部

討議「マンガ・アーカイブの意義と課題」70分間

表智之、佐々木果、宮本大人、吉村和真

質疑応答、30分間予定が、50分間に。
フィルムと紙の違いなどはさておき、マンガ研究とアーカイブと題しておきながら、内容は国営マンガ喫茶構想の各店舗案内といったところだった。
川崎市市民ミュージアムは、大阪国際児童文学館の教訓を生かせず、やがては同じ様な末路を辿ることになりそうだ。
学習院大学大学院教授となった夏目房之介氏が川崎市市民ミュージアムのアーカイブに関わるようだが、彼は批評家や評論家の類いの自称、マンガ・コラムニストであり、漫画史研究やアーカイブにおいては、今まで何ら実績を残せていないのでは?
近年はメディアでの露出もまるで無くなり、彼の親派である伊藤剛氏風に云えば「ナツメ・イズ・デッド」状態。
尚、「テヅカ・イズ・デッド」を唱えた伊藤剛氏も、正に「イトウ・イズ・デッド」状態となり、皮肉にも手塚治虫先生の再評価は、今も続いている。(*´∀`)♪
期待の明治大学米澤嘉博マンガ記念館は、ロフトプラスワン規模のイベント開催に併せた企画展に、飲食のないマンガ喫茶機能をつけた程度の閲覧室だし、石子順造構想から進化のない現代マンガ図書館の凋落は、1978年オープン時の繁栄を知る私にとって、見るに忍びない悲惨な有り様だ。
一方、オープン当初、眉唾ものと見ていた京都国際マンガミュージアムのスタッフの皆さんによる誠実な努力の積み重ねには、感服し、敬意を評したい。
プレゼンテーションを担当した京都精華大学教授となる吉村和真氏とは、2001年ぐらいに面識があった。
ラジオやメディアでの発言など、興味深く、昨年は、朝日新聞社の手塚治虫文化賞の会場で声をかけられたが、ゆっくりと話す暇もなかった。
今回は、シンポジウム終了後、14年ぶりに名刺交換。
『活狂』を手渡し、昨年マツダ映画社から発見され、マスコミに対し未発表段階である街頭紙芝居末期の活字による詳細な作家及び作品リストの存在と、アーカイブについて伝えておいた。
京都国際マンガミュージアムについては、漫画史のアーカイブの第一人者であり、日本仏学史学会会長である清水勲先生がその蔵書を寄贈し、現役の研究顧問でいればこその繁栄だろう。
私が余り興味がなく、一般人と大して変わらない知識の昭和末期から平成の現在に至るマンガ作品など、初心者から学生、院生レベル迄の漫画研究の素人向けアーカイブについては、こちらの施設で全て用が足りるし、今後のマンガ研究とアーカイブ施設群の旗艦として存在価値が高まって行くことだろう。
そして、北九州市漫画ミュージアムの取り組みについては、大阪国際児童文学館、川崎市市民ミュージアム、現代マンガ図書館、米澤嘉博記念マンガミュージアムなどの施設の現状を反面教師として、地方の利点を生かし、誠実に頑張ってもらいたい。
北九州出身で、長らく東京在住だった故・関谷ひさし先生の原稿が、遺族の手によりこの地に寄贈されたのは象徴的な出来事であり、関東のマンガ研究とアーカイブの施設に、漫画史における関谷先生作品の偉大さを理解し評価できる研究者が不在だった悲劇を物語っている。
研究者の無知については、救いようがない。
周囲からの期待が最も大きかった明治大学関連の施設スタッフが、偉大なる先人である故・米澤嘉博氏、故・内記稔夫氏の遺志をつぐのに相応しい人材だったのかどうか私には甚だ疑問だが、継続は力なり。
頑張って盛りかえして貰いたいものだ。

無声映画時代のフィルムと、街頭紙芝居については日本有数のアーカイブ機能を持つ株式会社マツダ映画社の関連会社であるパインウッドカンパニーと業務提携し、昭和時代の漫画やアニメ、映画、音楽の収集、保存、発掘、研究、復刻、アーカイブ事業に専念し、映画やテレビ、雑誌の取材などマスコミ関係者や、実証的なプロの研究者や編集者、弥生美術館、竹久夢二美術館、逓信総合博物館、国立民俗歴史博物館など公的な専門美術館や博物館の学芸員向けとなる我がメトロポリス漫画総合研究所の意義や存在価値、需要については、これから益々高まっていくことだろう。

『週刊女性』のインタビュー記事掲載により、これからは昭和の少女マンガ史と無声映画時代から昭和迄の映画史についても、芸域を拡大してインタビューに応えます。(*´∀`)♪

さて、国営マンガ喫茶構想レベルから脱しきれていない明治大学の施設の存在意義と、10年後の未来はあるのか?

それは、神のみぞ知ることだ。

質疑応答の際、最初の質問者が清水勲先生であったことが面白く、マンガ研究とアーカイブの現状に対する危機意識の強さが感じられる。
その後は、自己アピール大会となり、参加者の危機意識の欠如、世間一般の期待とかけ離れたマンガ研究とアーカイブの現状に呆れるばかりであった。
完全なるアウェイの会場で、問題提起をしても無駄なこと。
議論するより引き続き実績を積み重ねることだけが、今のマンガ研究とアーカイブにとって大切なことだろう。
ギャラの出ない所で、相手の問題点を指摘しても、逆恨みされ、証拠隠滅、問題点を改善された後、こちらが悪者にされるだけ。

我がメトロポリス漫画総合研究所のマンガ研究とアーカイブ構想は、常に進化と発展を遂げているので、ネットなどでも随時情報公開していきたい。

漫画を中心にアニメや特撮、無声映画に街頭紙芝居、音楽、ラジオ、テレビに至るまで、昭和の大衆文化全般を、社会学視点で実証的に検証し続けますので、引続き乞う御期待の程。(*´∀`)♪
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