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私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
2012年現在、私のブログはgooを初め、アメブロ、Yahoo!ブログで音楽紹介と記事更新をしております。
さて、今日いただいた年賀状には、もう何の説明も必要ありませんね!(笑)
私は、小さな子供の頃から、漫画やアニメに特撮と、大のテレビと音楽好き。
そして、父の故郷である庄内地方や、母の故郷である霞ヶ浦や北浦など茨城の水郷地域、日本各地にある故郷の美しい自然や景色が大好きな少年時代を幸せに過ごして来ました。
高校生になった時、初めてアルバイトしたのが、東京ディズニーランドのオープニングスタッフ。
高校卒業後は、全日空系の旅行会社の添乗員として働き、冬場は各地のスキー場へ駐在。
スキーがブームとなります。
奨学金をもらい明治学院大学社会学部社会学科の夜間で学び、四年間優秀な成績(笑)で卒業出来ました。
大卒総合職として日本旅行に就職し、横浜にある修学旅行専門支店に配属されると横須賀地域の新規開拓を命じられました。
地元で有名な私立女子高の修学旅行を獲得するため、それまでの九州地方への電車を使った修学旅行ではなく、学生時代から私の大好きな沖縄への飛行機を使った修学旅行を提案。
すると、修学旅行先が九州地方だけでなく、沖縄も候補地となり、JTBや近ツー、東急観光との大手四社の入札の中から入社一年目と二年目連続で私の沖縄プランに決まります。(笑)
すると同時期に公立高校での修学旅行での飛行機使用が解禁となり、沖縄への修学旅行ブームが起こります。
そして、神奈川県三浦市にある女子高の生徒の春の遠足として、バス二台でサンリオピューロランドを訪れると、当時のサンリオピューロランドの営業マンに驚かれたことがあります。
何故なら、開業したばかりのサンリオピューロランドは、幼稚園や小学校の低学年の遠足には良く利用されましたが、中学生や、高校生が遠足に利用するとは、誰も考えつかず、私が初めて一度にたくさんの女子高生を連れて行ったからです。(笑)
その頃、人気の定番は東京ディズニーランド。
けれども、春の遠足先として、各地から集中するため、神奈川地域の学校で、代わりに考えられたのは、富士急ハイランドや、小田急御殿場ファミリーランド、よみうりランドなどでした。
どこの施設も、晴れれば良いのですが、雨が降った時には行き先を変更するなど最悪となります。
サンリオピューロランドは、屋内なので雨が降っても何の心配もなく、施設の知名度や浸透度もまだ低かったので、ほぼ貸し切り状態で楽しめるはず。(笑)
私の提案に、意外にも、生徒たちからも行きたいとの要望があり、実現することになりました。
遠足実地後、生徒たちからのアンケート結果も大好評で、若くて美人だったバスガイドさん二人も、楽しかったとの意見があり、団体客獲得に苦戦していたサンリオピューロランドの営業マンにその資料を活用するよう渡し、
「女子高生や短大生、専門学校生など若い女性をターゲットに営業してみたら案外いけるかも知れませんよ。」
と、私なりに無責任なアドバイスをしてみたのです。(笑)
当時、私が担当していたのは、横須賀市内全域の公立中学校全25校と、前述の私立女子高、私の評判を聞き、紹介された三浦市内の女子高でした。
私の支店勤務は僅か二年間だけで、直ぐに本社の海外旅行マッハ事業部販売促進部へ国内旅行専門のセクションから海外旅行専門のセクションへ異例の転属になります。
新規開拓した女子高の修学旅行は二校とも私が獲得出来たので、私の女子高修学旅行獲得率はなんと驚異の100%の実績!(笑)
私が先輩の助手としてでなく、修学旅行のチーフ添乗員としてデビューを飾ったのは、沖縄で、全日空機内に160名近くの女子高生を案内してのことですから、社内でも評判を呼びました。
本社の海外旅行事業部ではエジプトのキャンペーンなど、エジプト政府観光局さんやエジプト航空さんなどと一緒に展開し、当時はテレビでもたくさんの特集番組が組まれたので日本でもエジプト旅行がブームとなりましたね!
私は、学生時代にアメリカ・サンフランシスコ郊外へホームスティし、社会人となってからハワイやロサンゼルス、グァム、メキシコ、カナダ、エジプト、オーストラリア、香港、マカオなど1980年代後半から1990年代の前半にかけて、当時の若い男性としては珍しく海外旅行をする機会がありました。
そこで私が痛感したことは、日本が世界に誇れる素晴らしい大衆文化であるマンガやアニメ、特撮などの評価が、日本国内で、あまりにも低過ぎるということでした。
マンガやアニメ、特撮などの大衆文化も文学や映画のように評価され、博物館や美術館などに展示されても良いのではないか?
海外から日本へ訪れる観光客や留学生に、マンガやアニメ、特撮が日本の魅力をアピール出来る文化になるのではないか?
とひとり考え続けていたのです。
さて、いつの頃のことだったか、若い女性たちの間でキティちゃんブームが起こりましたね!
私のアドバイスがサンリオピューロランドの団体営業マンに活かされたかどうかは、今となってはもう判りません。(笑)
私が日本旅行在職中、担当した修学旅行と、エジプトやヨーロッパへの添乗員付き海外パッケージ旅行の分野では、世界一の旅行会社であるJTBと互角に競っていました。
その頃、H.I.Sの新宿本社支店がリニューアルオープンし、その価格設定や、細分化された専門性から「将来海外旅行の分野で、H.I.Sが旅行業界全体の驚異になるのでは?」
と、いち早く指摘したのですが、会社の上層部からは、まるで相手にされませんでした。
同じく、日本旅行で夏のキャンペーンガールを選ぶという話があり、上層部に
「若者に圧倒的人気のある森高千里をパンフレットに使ってイメージソングを歌わせたら?」
と、私が好きな森高千里さんに逢いたいがために提案したら、直ちに却下され、選ばれたのが工藤夕貴さん。(笑)
工藤夕貴さんが選考された理由は、「老若男女に知名度があり、パンフレットに使う水着姿でもセクシー過ぎす、健全なイメージがあり、ファミリー層に向けてアピール出来るはず。」
でした。(笑)
工藤夕貴さん以外に清水美砂さんも最終候補に上がっていたようです。
因みに、当時一番ギャラが安く使えたのが森高千里さんで、その後、全日空のキャンペーンガールに抜擢され、イメージソングを歌ったテレビCMがバンバン流され大評判になりました。
もし、私の提案が受け入れられて、森高千里さんが日本旅行のキャンペーンガールとして、キャンペーンソングを歌っていたら?
森高千里さんのその後の運命や、日本旅行の現状にも少しは影響があったかも知れませんね!(笑)
さて、旅行会社を脱サラし、1997年9月池袋に漫画喫茶をオープンすると、やがてマンガ喫茶が話題となるようになり、日本全国に普及しました。
私のお店の当初のコンセプトは、美人喫茶で、店員に私の好きな森高千里さんか、アンナミラーズのウェイトレスのような格好をさせ、私の通勤に便利な秋葉原か御茶ノ水、横浜にオープンさせようと考えていました。
けれども、秋葉原や御茶ノ水、横浜には、手頃な物件が見つからず、私が通勤するには山の手線内で一番遠い池袋駅前でのオープンとなったのです。
池袋駅前の場所柄、あまり派手な格好だと、風俗営業に勘違いされると友人に指摘され、泣く泣くパン屋さんの店員のように清潔感のある可愛らしい制服にトーンダウンしました。
アルバイトの時給を少し高めに設定し、オープニングスタッフで募集すると、良い人材がたくさん集まり易いと求人情報誌「フロム・エー」の高坂みゆき似の営業の女の子に言われて、一番小さな広告を出したところ、百件近くの電話が殺到し、面接に来た女の子は7~80人に及びました。
その中から、容姿端麗で制服のサイズが合い、交通費が安く済む、普通のマンガ好きで時間に融通も利き、私の話を黙って聞く相性の良さそうな女の子だけ数人選んだのです。
「私は漫画好きなので、このお店にピッタリです!」
と云うオタクの女の子は、全て却下しました。
何故なら、マンガの専門知識は、ある程度私にあるので、女の子を採用する際には、接客してもらうことだけを重視したのです。
マンガの知識については、店内をみれば判るようになります。
店が空いてる時や、読みたい本があれば、人気作や、最新作以外なら貸出しもOKにしました。
女性客やカップルでの利用も視野に入れていたので、店内に男性しかいないと女性客の利用が無くなると判断し、女性からも好感の持てる普通の女の子が必要だったのです。
また、女の子視点からの改善点や要望もモニター代わりに意見を聞きました。
そういった事情があり、男性のアルバイトは、一切採用せず、友人や知人が手伝うことがある程度。
私の知人だったイベントコンパニオンなどの経験のある容姿端麗の女の子たちも、積極的に手伝ってくれました。
中には数人、若くて容姿端麗だったため、クラブやキャバクラ嬢など夜の仕事へ移ってしまった子がいます。(涙)
私のお店、メトロポリスは僅か2年間に、朝日新聞や雑誌、TBSテレビの朝の情報番組だった「おはようクジラ」に生放送で、小林豊アナウンサーが来て、全国中継されるなどマスコミに取り上げらること40数回に及ぶ有名店となりましたが、通勤が大変な上、あまり利益にならなかったので、閉店しました。(涙)
求人広告のセールスにきて、アイデアを提供してくれた高坂みゆき似の「フロム・エー」の女の子は、美人でとても良い女の子だったので、「avexに転職することになりました。」と、ワザワザ挨拶に来てくれたことがありましたね!(笑)
2001年7月に【少年画報大全】(少年画報社)を監修し、発売すると朝日新聞、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞の社会面の記事や書評に取り上げられるなど、出版界で話題となりました。
マンガ学会が設立されるなど、マンガを研究する大学生も増え、東京都江東区森下文化センターに【のらくろ館】や、【杉並アニメーションミュージアム】など、日本各地にマンガ関連の施設が作られるようになり、弥生美術館や、逓信総合博物館などマンガを中心とした大正・昭和の少年少女文化の企画展も頻繁に開催されるようになりました。
名作マンガの復刻や、オンデマンドによる配信も活発になり、私が【少年画報大全】で紹介した時まで絶版だったマンガ家さんたちの名作のほとんどが、読める状態へと変わってきてます。
水木しげる先生の【河童の三平】や【悪魔くん】など、NHKの朝の連続テレビドラマ【ゲゲゲの女房】の影響もあり、復刻されると大人気ですね!
この冬も【怪物くん】や【ワイルド7】が新作映画として公開されるなど、その勢いはとどまることを知りません。(笑)
これからも、日本のマンガやアニメ、特撮などの大衆文化の「あしたのために!!」私の力は蟷螂の斧にすぎないかも知れませんが、粉骨砕身一生懸命頑張って陽のあたる坂道を歩んで生きて行くつもりです。(笑)
さて、私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所には、少年マンガ、少女マンガ問わず漫画界の愛すべきキャラクター達が続々と来所(笑)され、大変賑やかで楽しい日々を過ごしています。
ネット全盛時代ではありますが、昔ながらの年賀状が毎年届くと、改めて人と人というのは、大事な絆で繋がっていることを実感出来、とても嬉しく感じるのです。
シリーズで紹介し好評いただいている素敵な年賀状シリーズ!
モンキー・パンチ先生はじめ、今回は、新富町の事務所宛てに届いた年賀状を紹介させていただきました。
次回こそ(笑)、自宅に届いた植木金矢先生からの年賀状を紹介したいと思います!
それでは、また。
2012年1月16日
映画と漫画史研究家
本間正幸
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
2012年現在、私のブログはgooを初め、アメブロ、Yahoo!ブログで音楽紹介と記事更新をしております。
さて、今日いただいた年賀状には、もう何の説明も必要ありませんね!(笑)
私は、小さな子供の頃から、漫画やアニメに特撮と、大のテレビと音楽好き。
そして、父の故郷である庄内地方や、母の故郷である霞ヶ浦や北浦など茨城の水郷地域、日本各地にある故郷の美しい自然や景色が大好きな少年時代を幸せに過ごして来ました。
高校生になった時、初めてアルバイトしたのが、東京ディズニーランドのオープニングスタッフ。
高校卒業後は、全日空系の旅行会社の添乗員として働き、冬場は各地のスキー場へ駐在。
スキーがブームとなります。
奨学金をもらい明治学院大学社会学部社会学科の夜間で学び、四年間優秀な成績(笑)で卒業出来ました。
大卒総合職として日本旅行に就職し、横浜にある修学旅行専門支店に配属されると横須賀地域の新規開拓を命じられました。
地元で有名な私立女子高の修学旅行を獲得するため、それまでの九州地方への電車を使った修学旅行ではなく、学生時代から私の大好きな沖縄への飛行機を使った修学旅行を提案。
すると、修学旅行先が九州地方だけでなく、沖縄も候補地となり、JTBや近ツー、東急観光との大手四社の入札の中から入社一年目と二年目連続で私の沖縄プランに決まります。(笑)
すると同時期に公立高校での修学旅行での飛行機使用が解禁となり、沖縄への修学旅行ブームが起こります。
そして、神奈川県三浦市にある女子高の生徒の春の遠足として、バス二台でサンリオピューロランドを訪れると、当時のサンリオピューロランドの営業マンに驚かれたことがあります。
何故なら、開業したばかりのサンリオピューロランドは、幼稚園や小学校の低学年の遠足には良く利用されましたが、中学生や、高校生が遠足に利用するとは、誰も考えつかず、私が初めて一度にたくさんの女子高生を連れて行ったからです。(笑)
その頃、人気の定番は東京ディズニーランド。
けれども、春の遠足先として、各地から集中するため、神奈川地域の学校で、代わりに考えられたのは、富士急ハイランドや、小田急御殿場ファミリーランド、よみうりランドなどでした。
どこの施設も、晴れれば良いのですが、雨が降った時には行き先を変更するなど最悪となります。
サンリオピューロランドは、屋内なので雨が降っても何の心配もなく、施設の知名度や浸透度もまだ低かったので、ほぼ貸し切り状態で楽しめるはず。(笑)
私の提案に、意外にも、生徒たちからも行きたいとの要望があり、実現することになりました。
遠足実地後、生徒たちからのアンケート結果も大好評で、若くて美人だったバスガイドさん二人も、楽しかったとの意見があり、団体客獲得に苦戦していたサンリオピューロランドの営業マンにその資料を活用するよう渡し、
「女子高生や短大生、専門学校生など若い女性をターゲットに営業してみたら案外いけるかも知れませんよ。」
と、私なりに無責任なアドバイスをしてみたのです。(笑)
当時、私が担当していたのは、横須賀市内全域の公立中学校全25校と、前述の私立女子高、私の評判を聞き、紹介された三浦市内の女子高でした。
私の支店勤務は僅か二年間だけで、直ぐに本社の海外旅行マッハ事業部販売促進部へ国内旅行専門のセクションから海外旅行専門のセクションへ異例の転属になります。
新規開拓した女子高の修学旅行は二校とも私が獲得出来たので、私の女子高修学旅行獲得率はなんと驚異の100%の実績!(笑)
私が先輩の助手としてでなく、修学旅行のチーフ添乗員としてデビューを飾ったのは、沖縄で、全日空機内に160名近くの女子高生を案内してのことですから、社内でも評判を呼びました。
本社の海外旅行事業部ではエジプトのキャンペーンなど、エジプト政府観光局さんやエジプト航空さんなどと一緒に展開し、当時はテレビでもたくさんの特集番組が組まれたので日本でもエジプト旅行がブームとなりましたね!
私は、学生時代にアメリカ・サンフランシスコ郊外へホームスティし、社会人となってからハワイやロサンゼルス、グァム、メキシコ、カナダ、エジプト、オーストラリア、香港、マカオなど1980年代後半から1990年代の前半にかけて、当時の若い男性としては珍しく海外旅行をする機会がありました。
そこで私が痛感したことは、日本が世界に誇れる素晴らしい大衆文化であるマンガやアニメ、特撮などの評価が、日本国内で、あまりにも低過ぎるということでした。
マンガやアニメ、特撮などの大衆文化も文学や映画のように評価され、博物館や美術館などに展示されても良いのではないか?
海外から日本へ訪れる観光客や留学生に、マンガやアニメ、特撮が日本の魅力をアピール出来る文化になるのではないか?
とひとり考え続けていたのです。
さて、いつの頃のことだったか、若い女性たちの間でキティちゃんブームが起こりましたね!
私のアドバイスがサンリオピューロランドの団体営業マンに活かされたかどうかは、今となってはもう判りません。(笑)
私が日本旅行在職中、担当した修学旅行と、エジプトやヨーロッパへの添乗員付き海外パッケージ旅行の分野では、世界一の旅行会社であるJTBと互角に競っていました。
その頃、H.I.Sの新宿本社支店がリニューアルオープンし、その価格設定や、細分化された専門性から「将来海外旅行の分野で、H.I.Sが旅行業界全体の驚異になるのでは?」
と、いち早く指摘したのですが、会社の上層部からは、まるで相手にされませんでした。
同じく、日本旅行で夏のキャンペーンガールを選ぶという話があり、上層部に
「若者に圧倒的人気のある森高千里をパンフレットに使ってイメージソングを歌わせたら?」
と、私が好きな森高千里さんに逢いたいがために提案したら、直ちに却下され、選ばれたのが工藤夕貴さん。(笑)
工藤夕貴さんが選考された理由は、「老若男女に知名度があり、パンフレットに使う水着姿でもセクシー過ぎす、健全なイメージがあり、ファミリー層に向けてアピール出来るはず。」
でした。(笑)
工藤夕貴さん以外に清水美砂さんも最終候補に上がっていたようです。
因みに、当時一番ギャラが安く使えたのが森高千里さんで、その後、全日空のキャンペーンガールに抜擢され、イメージソングを歌ったテレビCMがバンバン流され大評判になりました。
もし、私の提案が受け入れられて、森高千里さんが日本旅行のキャンペーンガールとして、キャンペーンソングを歌っていたら?
森高千里さんのその後の運命や、日本旅行の現状にも少しは影響があったかも知れませんね!(笑)
さて、旅行会社を脱サラし、1997年9月池袋に漫画喫茶をオープンすると、やがてマンガ喫茶が話題となるようになり、日本全国に普及しました。
私のお店の当初のコンセプトは、美人喫茶で、店員に私の好きな森高千里さんか、アンナミラーズのウェイトレスのような格好をさせ、私の通勤に便利な秋葉原か御茶ノ水、横浜にオープンさせようと考えていました。
けれども、秋葉原や御茶ノ水、横浜には、手頃な物件が見つからず、私が通勤するには山の手線内で一番遠い池袋駅前でのオープンとなったのです。
池袋駅前の場所柄、あまり派手な格好だと、風俗営業に勘違いされると友人に指摘され、泣く泣くパン屋さんの店員のように清潔感のある可愛らしい制服にトーンダウンしました。
アルバイトの時給を少し高めに設定し、オープニングスタッフで募集すると、良い人材がたくさん集まり易いと求人情報誌「フロム・エー」の高坂みゆき似の営業の女の子に言われて、一番小さな広告を出したところ、百件近くの電話が殺到し、面接に来た女の子は7~80人に及びました。
その中から、容姿端麗で制服のサイズが合い、交通費が安く済む、普通のマンガ好きで時間に融通も利き、私の話を黙って聞く相性の良さそうな女の子だけ数人選んだのです。
「私は漫画好きなので、このお店にピッタリです!」
と云うオタクの女の子は、全て却下しました。
何故なら、マンガの専門知識は、ある程度私にあるので、女の子を採用する際には、接客してもらうことだけを重視したのです。
マンガの知識については、店内をみれば判るようになります。
店が空いてる時や、読みたい本があれば、人気作や、最新作以外なら貸出しもOKにしました。
女性客やカップルでの利用も視野に入れていたので、店内に男性しかいないと女性客の利用が無くなると判断し、女性からも好感の持てる普通の女の子が必要だったのです。
また、女の子視点からの改善点や要望もモニター代わりに意見を聞きました。
そういった事情があり、男性のアルバイトは、一切採用せず、友人や知人が手伝うことがある程度。
私の知人だったイベントコンパニオンなどの経験のある容姿端麗の女の子たちも、積極的に手伝ってくれました。
中には数人、若くて容姿端麗だったため、クラブやキャバクラ嬢など夜の仕事へ移ってしまった子がいます。(涙)
私のお店、メトロポリスは僅か2年間に、朝日新聞や雑誌、TBSテレビの朝の情報番組だった「おはようクジラ」に生放送で、小林豊アナウンサーが来て、全国中継されるなどマスコミに取り上げらること40数回に及ぶ有名店となりましたが、通勤が大変な上、あまり利益にならなかったので、閉店しました。(涙)
求人広告のセールスにきて、アイデアを提供してくれた高坂みゆき似の「フロム・エー」の女の子は、美人でとても良い女の子だったので、「avexに転職することになりました。」と、ワザワザ挨拶に来てくれたことがありましたね!(笑)
2001年7月に【少年画報大全】(少年画報社)を監修し、発売すると朝日新聞、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞の社会面の記事や書評に取り上げられるなど、出版界で話題となりました。
マンガ学会が設立されるなど、マンガを研究する大学生も増え、東京都江東区森下文化センターに【のらくろ館】や、【杉並アニメーションミュージアム】など、日本各地にマンガ関連の施設が作られるようになり、弥生美術館や、逓信総合博物館などマンガを中心とした大正・昭和の少年少女文化の企画展も頻繁に開催されるようになりました。
名作マンガの復刻や、オンデマンドによる配信も活発になり、私が【少年画報大全】で紹介した時まで絶版だったマンガ家さんたちの名作のほとんどが、読める状態へと変わってきてます。
水木しげる先生の【河童の三平】や【悪魔くん】など、NHKの朝の連続テレビドラマ【ゲゲゲの女房】の影響もあり、復刻されると大人気ですね!
この冬も【怪物くん】や【ワイルド7】が新作映画として公開されるなど、その勢いはとどまることを知りません。(笑)
これからも、日本のマンガやアニメ、特撮などの大衆文化の「あしたのために!!」私の力は蟷螂の斧にすぎないかも知れませんが、粉骨砕身一生懸命頑張って陽のあたる坂道を歩んで生きて行くつもりです。(笑)
さて、私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所には、少年マンガ、少女マンガ問わず漫画界の愛すべきキャラクター達が続々と来所(笑)され、大変賑やかで楽しい日々を過ごしています。
ネット全盛時代ではありますが、昔ながらの年賀状が毎年届くと、改めて人と人というのは、大事な絆で繋がっていることを実感出来、とても嬉しく感じるのです。
シリーズで紹介し好評いただいている素敵な年賀状シリーズ!
モンキー・パンチ先生はじめ、今回は、新富町の事務所宛てに届いた年賀状を紹介させていただきました。
次回こそ(笑)、自宅に届いた植木金矢先生からの年賀状を紹介したいと思います!
それでは、また。
2012年1月16日
映画と漫画史研究家
本間正幸
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