祝!昭和百年!200万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)

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青空 - THE BLUE HEARTS

2011-05-07 06:11:31 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
青空 - THE BLUE HEARTS


「私たちは、民族、国民、障害、病気、思想信条、職業、生活環境などによって、人が差別されたりしてはならないと考えています。」〔『少年画報大全』(2001年・少年画報社)「おことわり」より〕

人それぞれ、生まれ育った環境が違えば、境遇も違い、幸せと思える尺度も、皆、違ってくると思われます。

1980年代、私が生まれ育った街、横浜鶴見や隣り街である川崎では、京浜工業地帯の一角のため、当時返還間もない沖縄から仕事を求めて来た人達とその家族、戦時中など軍需工場へ強制労働のために川崎や横浜鶴見の地に連れてこられてそのまま定住するようになってしまった在日の人達と、その2世となる家族が多く住んでおり・・・。


高校入学すぐの頃、一匹狼の不良少年だった私が、暴走族などの多くの非行少年たちを敵に回してしまうトラブルとなった時、唯一私の味方となり助けて守ってくれた最大の恩人は、偶然私の家の近所に住んでいたT君でした。


ガッツ石松のような風貌で身長180cm以上あるがっしりとした体格の彼は、朝鮮学校に通う連中の伝説のボスでもあり・・・。


唯一ひとりの日本人として、彼の大親友となった私と、暴走族などの非行少年たちとの闘いの日々は、東急東横線とJR横浜線のターミナルとなる菊名駅や、横浜駅を拠点として来る日も来る日も繰り広げられていきました。

まるで映画【パッチギ】の世界のように。

当時、広く社会問題となった指紋押捺拒否などをめぐるトラブルなどT君達とその家族が抱えていた日本社会全体に対する怒りや悲しみ、憧れなど複雑な心境を間近で見ていた私は、あらゆる差別について考えるようになりました。

その後の私は、父の入院を機に改心し大学進学を志すようになり・・・、そしてT君は・・・裏社会の組織の幹部への道を迷わず選んでしまう運命であり・・・、私の父への想いを知った時から彼は・・・、私をトラブルに巻き込まないために連絡を寄越さなくなってしまうのです。(涙)


今の私のささやかな夢、それは・・・漫画史研究家として日本の漫画やアニメを通じて、様々な国の人達との平和な国際交流のほんのちょっぴりでも役に立てたらいいなと・・・ひとり横浜鶴見の青い空の真下で今も変わらず夢を見て暮らしているのです。

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