空手バカ一代
私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
『編集者が選ぶ少年週刊誌40年マンガランキング100』
48位は、『デビルマン』永井豪先生。
画像及び参考資料は、
ロマンアルバム④『デビルマン』(1978年2月・徳間書店)より。
『週刊少年マガジン』(講談社)
(1972年)
アニメのヒーローものと違い、原作はハルマゲドンを描く。
講談社・コミックスデラックス完全復刻版シリーズ全5巻
『日経トレンディ』
1998年5月号(日経ホーム出版社)より。
アニメデータ
放映期間/1972.7.8~1973.4.7
放映時間/毎週土曜午後8時30分~8時56分
製作・東映動画
放映局・NET系(現テレビ朝日系)
原作者/永井豪
企画/有賀 健・籏野義文
製作/江藤昌治
演出/勝間田具治・明比正行・鈴木 実・他
脚本/辻 真先・山崎忠治・高久 進・安藤豊弘
音楽/三沢 郷
現像/東映化学
【声】
デビルマン・不動明/田中亮一
牧村美樹/坂井寿美江
牧村健作(タレちゃん)/山本圭子
牧村耕作/鈴木泰明
魔王ゼノン/柴田秀勝
アルフォンヌ先生/永井一郎
狸小路ポチ校長/八奈見乗児
主題歌
デビルマンの唄
作詞/阿久 悠
作曲/三沢 郷
唄/十田敬三
今日も何処かでデビルマン
作詞/阿久 悠
作曲/都倉俊一
唄/十田敬三
子供の頃、家族がカラーテレビで見る『8時だよ!全員集合』の裏番組だったため、私は、家族とは別にひとりで寝室にある、もう一台の白黒テレビでいつも見ていた。
夕方の再放送からは、無事カラーで繰り返し見ることが、出来た。
エンディング曲『今日も何処かでデビルマン』の中で、デビルマンは夕焼けに赤く染まる街並みを、東京タワーから眺め、何を思い何を考えていたのだろうか。
ロマンアルバムが発売された際に、テレビアニメとは違う『デビルマン』原作のラストを知り、衝撃を受けたことを覚えている。
巻頭グラビア
デビル軍団VSデーモン軍団 最終戦争
『デビルマン暁に死す!!』
明・・・・・・
なぜにおまえは
戦い抜くのだ
おまえの美樹は
もういないのに
それでもおまえは
戦うというのか
演出/永井 豪
脚本/辻真先
作画/白土武・東映動画
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『編集者が選ぶ少年週刊誌40年マンガランキング100』
48位は、『デビルマン』永井豪先生。
画像及び参考資料は、
ロマンアルバム④『デビルマン』(1978年2月・徳間書店)より。
『週刊少年マガジン』(講談社)
(1972年)
アニメのヒーローものと違い、原作はハルマゲドンを描く。
講談社・コミックスデラックス完全復刻版シリーズ全5巻
『日経トレンディ』
1998年5月号(日経ホーム出版社)より。
アニメデータ
放映期間/1972.7.8~1973.4.7
放映時間/毎週土曜午後8時30分~8時56分
製作・東映動画
放映局・NET系(現テレビ朝日系)
原作者/永井豪
企画/有賀 健・籏野義文
製作/江藤昌治
演出/勝間田具治・明比正行・鈴木 実・他
脚本/辻 真先・山崎忠治・高久 進・安藤豊弘
音楽/三沢 郷
現像/東映化学
【声】
デビルマン・不動明/田中亮一
牧村美樹/坂井寿美江
牧村健作(タレちゃん)/山本圭子
牧村耕作/鈴木泰明
魔王ゼノン/柴田秀勝
アルフォンヌ先生/永井一郎
狸小路ポチ校長/八奈見乗児
主題歌
デビルマンの唄
作詞/阿久 悠
作曲/三沢 郷
唄/十田敬三
今日も何処かでデビルマン
作詞/阿久 悠
作曲/都倉俊一
唄/十田敬三
子供の頃、家族がカラーテレビで見る『8時だよ!全員集合』の裏番組だったため、私は、家族とは別にひとりで寝室にある、もう一台の白黒テレビでいつも見ていた。
夕方の再放送からは、無事カラーで繰り返し見ることが、出来た。
エンディング曲『今日も何処かでデビルマン』の中で、デビルマンは夕焼けに赤く染まる街並みを、東京タワーから眺め、何を思い何を考えていたのだろうか。
ロマンアルバムが発売された際に、テレビアニメとは違う『デビルマン』原作のラストを知り、衝撃を受けたことを覚えている。
巻頭グラビア
デビル軍団VSデーモン軍団 最終戦争
『デビルマン暁に死す!!』
明・・・・・・
なぜにおまえは
戦い抜くのだ
おまえの美樹は
もういないのに
それでもおまえは
戦うというのか
演出/永井 豪
脚本/辻真先
作画/白土武・東映動画
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The Best Comics
少年マンガ誌40年ーー
もっとも読まれた作品
ベスト100
人気マンガランキング
編集者が選ぶ
少年週刊誌40年マンガランキング100
『日経トレンディ』(1998.5月号記事・文/伊藤健)の記事紹介を再開していきたいと思う。
このランキング作成に関しては、私が店長をつとめていた漫画喫茶メトロポリスが全面的に協力させてもらった思い出がある。
1959年
『週刊少年マガジン』
(講談社)
『週刊少年サンデー』
(小学館)創刊
1968年
『週刊少年ジャンプ』
(集英社)創刊
1969年
『週刊少年チャンピオン』
(秋田書店)創刊
少年マンガ週刊誌の歴史を築いてきた編集者に、各誌から生まれた100作品を人気があったと思われる順に(11年前に)ランキングしてもらった。
『週刊少年マガジン』
(講談社)は野内雅宏編集長、
『週刊少年サンデー』
(小学館)は68年から編集を担当した白井勝也取締役、
『週刊少年ジャンプ』
(集英社)については創刊メンバーで成長期の編集長だった西村繁雄氏、
『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)では大塚公平編集長に依頼した。
ベスト10入りしたのは60年代後半から70年代のタイトルが目立った。
その中で唯一90年代の「スラムダンク」の健闘が光る。
また、ベスト10の過半数がジャンプの作品であった点も長年日本一を維持した雑誌の密度を物語っている。
100タイトル全体で総合的に高得点を獲得したのはジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンの順だった。
100タイトルの選出とランキング採点方法
各編集部に自分の雑誌から25作品ずつ選出を依頼し、100タイトルを決定した。
ただし、マガジンは編集部からの注文で13号の日本一記念企画から選出。
サンデーは30周年増刊号の監修をした竹熊健太郎氏に選んで頂いた。
ランキングは各誌編集経験者に自分がかかわった雑誌以外の他社3誌75作品について順位づけを依頼。
最終的に4者の回答を当編集部で集計した。
以上掲載誌記事より。
本来なら、
1963年創刊の第3の少年週刊誌
『週刊少年キング』
(少年画報社)を入れるべきなのだが・・・
私は、アンケートの順位など、あまり信用していない。
その時の気分、尋ねる人達によって選ばれる作品がいつも変わってしまうからだ。
ちなみに、学生時代私は、社会学部社会学科のマスコミ専攻として学んだ経験がある。
アンケートのデータ結果をマーケティングとして活用するために、標本抽出法なども正式に学んでいるのだが・・・
結論として一言、言わせてもらえれば、アンケートなどあまりあてにしてはいけないというのが社会人としての経験も積んだ私の実感である。
11年前と今日では、作品の評価がガラリと変わってしまったものもあるだろう。
これらのデータに関していえば、あくまでも皆さんが少年漫画を読む上での参考にしてもらえたらそれだけでいいのだ。
さあ、あなたはこれから紹介する100作品のうち、どれだけ知っているかな?
以上の主旨で年末特別カウントダウン企画として2009年9月27日から始めたランキングですが、旅行中や、ネットストーカーとの闘いのため中断させられたり、クリスマスや年末年始の忙しさのため思うように更新出来ませんでした。
今日から本格的に再開しますので皆さんよろしくね!
ちなみに、今まで紹介してきた100位から20位までの一覧です。
100位『人造人間キカイダー』石ノ森章太郎「少年サンデー」1972年/2009.9.27
96位『ウダウダやってるヒマはねェ!』米原秀幸「少年チャンピオン」1992年/9.27
96位『おはようKジロー』水島新司「少年チャンピオン」1989年/9.27
96位『魔界学園』作・菊地秀行/画・細馬信一「少年チャンピオン」1989年/9.27
96位『魔界都市ハンター』作・菊地秀行/画・細馬信一「少年チャンピオン」1985年/9.27
95位『帯をギュッとね!』河合克敏「少年サンデー」1989年/9.28
94位『すくらっぷ・ブック』小山田いく「少年チャンピオン」1980年/9.29
93位『トイレット博士』とりいかずよし「少年ジャンプ」1970年/9.30
92位『本気!(マジ)』立原あゆみ「少年チャンピオン」1986年/10.1
91位『Let'sダチ公』作・積木爆/画・木村知夫「少年チャンピオン」1985年/10.10
90位『キン肉マン』ゆでたまご「少年ジャンプ」1979年/10.11
89位『熱笑!!花沢高校』どおくまん「少年チャンピオン」1980年/10.11
88位『名門!第三野球部』むつ利之「少年マガジン」1987年/10.11
87位『サバイバル』さいとう・たかを「少年サンデー」1976年/10.11
86位『ダッシュ勝平』六田登「少年サンデー」1979年/10.12
85位『機動警察パトレイバー』ゆうきまさみ「少年サンデー」1988年/10.12
84位『優駿の門』やまさき拓味「少年チャンピオン」1995年/10.12
83位『月とスッポン』柳沢きみお「少年チャンピオン」1976年/10.13
81位『らんぽう』内崎まさとし「少年チャンピオン」1978年/10.13
81位『サーキットの狼』池沢さとし「少年ジャンプ」1975年/10.13
80位『柔道讃歌』作・梶原一騎/画・貝塚ひろし「少年サンデー」1972年/10.14
79位『コブラ』寺沢武一「少年ジャンプ」1978年/10.14
78位『浦安鉄筋家族』浜岡賢次「少年チャンピオン」1993年/10.14
77位『スポーツマン金太郎』寺田ヒロオ「少年サンデー」1959年/10.15
76位『恐怖新聞』つのだじろう「少年チャンピオン」1973年/10.16
75位『バビル2世』横山光輝「少年チャンピオン」1971年/10.17
74位『エコエコアザラク』古賀新一「少年チャンピオン」1975年/10.18
73位『ダメおやじ』古谷三敏「少年サンデー」1970年/10.19
72位『4P田中くん』作・七三太朗/画・川三番地「少年チャンピオン」1986年/10.20
71位『ワタリ』白土三平
「少年マガジン」1965年/10.21
70位『グラップラー刃牙』板垣恵介「少年チャンピオン」1991年/10.22
69位『魔太郎がくる!』藤子不二雄@「少年チャンピオン」1972年/10.23
68位『男おいどん』松本零士「少年マガジン」1971年/10.24
67位『うしろの百太郎』つのだじろう「少年マガジン」1973年/10.25
66位『To-y(トーイ)』上條淳士「少年サンデー」1985年/10.26
65位『釣りキチ三平』矢口高雄「少年マガジン」1973年/11.5
64位『ど根性ガエル』吉沢やすみ「少年ジャンプ」1970年/11.16
62位『風のシルフィード』本島幸久「少年マガジン」1989年/11.6
62位『8マン』作・平井和正/画・桑田次郎「少年マガジン」1963年/11.14
61位『ハイスクール!奇面組』新沢基栄「少年ジャンプ」1983年/11.7
60位『まことちゃん』楳図かずお「少年サンデー」1976年/11.8
59位『コータローまかりとおる!』蛭田達也「少年マガジン」1982年/11.9
58位『シャカリキ!』曽田正人「少年チャンピオン」1992年/11.9
57位『三つ目がとおる』手塚治虫「少年マガジン」1974年/11.10
56位『キャッツ〓アイ』北条司「少年ジャンプ」1981年/11.10
55位『幽☆遊☆白書』冨樫義博「少年ジャンプ」1990年/11.11
54位『東大一直線』小林よしのり「少年ジャンプ」1976年/11.12
53位『男どアホウ甲子園』作・佐々木守/画・水島新司「少年サンデー」1970年/11.18
52位『ドラゴンクエストーダイの大冒険ー』作・三条陸/画・稲田浩司「少年ジャンプ」1989年/11.13
51位『金田一少年の事件簿』作・金成陽三郎/画・さとうふみや「少年マガジン」1992年/11.17
50位『野球狂の詩』水島新司「少年マガジン」1976年/11.19
49位『名探偵コナン』青山剛昌「少年サンデー」1994年/11.19
48位『デビルマン』永井豪「少年マガジン」1972年/2010.6.発表予定
47位『750ライダー』石井いさみ「少年チャンピオン」1975年/11.21
46位『漂流教室』楳図かずお「少年サンデー」1972年/11.22
44位『シティーハンター』北条司「少年ジャンプ」1985年/11.23
44位『サブマリン707』小澤さとる「少年サンデー」1963年/11.24
43位『あばしり一家』永井豪「少年チャンピオン」1969年/11.24
42位『空手バカ一代』作・梶原一騎/画・つのだじろう「少年マガジン」1971年/2010.6.発表予定
41位『聖闘士星矢』車田正美「少年ジャンプ」1986年/11.30
40位『包丁人味平』作・牛次郎/画・ビッグ錠「少年ジャンプ」1973年/11.30
39位『キャプテン翼』高橋陽一「少年ジャンプ」1981年/12.1
38位『バリバリ伝説』しげの秀一「少年マガジン」1983年/12.1
37位『オバケのQ太郎』藤子不二雄「少年サンデー」1964年/2010.6.発表予定
36位『どろろ』手塚治虫
「少年サンデー」1967年/2010.6.発表予定
35位『るろうに剣心』ー明治剣客浪漫譚ー 和月伸宏「少年ジャンプ」1994年/12.2
34位『愛と誠』作・梶原一騎/画・ながやす巧「少年マガジン」1973年/2010.1.14
33位『天才バカボン』赤塚不二夫「少年マガジン」1967年/2010.6.発表予定
32位『釘師サブやん』作・牛次郎/画・ビッグ錠「少年マガジン」1971年/12.6
31位『ゲゲゲの鬼太郎』水木しげる「少年マガジン」1967年/2010.6.発表予定
30位『翔んだカップル』柳沢きみお「少年マガジン」1978年/12.9
29位『うる星やつら』高橋留美子「少年サンデー」1978年/12.10
28位『伊賀の影丸』横山光輝「少年サンデー」1961年/12.11
27位『ろくでなしBLUES』森田まさのり「少年ジャンプ」1988年/12.11
26位『Dr.スランプ』鳥山明「少年ジャンプ」1980年/12.13
25位『がんばれ元気』小山ゆう「少年サンデー」1976年/12.14
24位『タイガーマスク』作・梶原一騎/画・辻なおき「少年マガジン」1971年/2010.6.発表予定
23位『おそ松くん』赤塚不二夫「少年サンデー」1962年/12.28
22位『はじめの一歩』森川ジョージ「少年マガジン」1989年/2010.6.発表予定
20位『タッチ』あだち充
「少年サンデー」1981年/2010.6.発表予定
20位『カムイ外伝』白土三平「少年サンデー」1965年/2010.6.発表予定
よろしくね!
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『日経トレンディ』(1998.5月号記事・文/伊藤健)の記事紹介を再開していきたいと思う。
このランキング作成に関しては、私が店長をつとめていた漫画喫茶メトロポリスが全面的に協力させてもらった思い出がある。
1959年
『週刊少年マガジン』
(講談社)
『週刊少年サンデー』
(小学館)創刊
1968年
『週刊少年ジャンプ』
(集英社)創刊
1969年
『週刊少年チャンピオン』
(秋田書店)創刊
少年マンガ週刊誌の歴史を築いてきた編集者に、各誌から生まれた100作品を人気があったと思われる順に(11年前に)ランキングしてもらった。
『週刊少年マガジン』
(講談社)は野内雅宏編集長、
『週刊少年サンデー』
(小学館)は68年から編集を担当した白井勝也取締役、
『週刊少年ジャンプ』
(集英社)については創刊メンバーで成長期の編集長だった西村繁雄氏、
『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)では大塚公平編集長に依頼した。
ベスト10入りしたのは60年代後半から70年代のタイトルが目立った。
その中で唯一90年代の「スラムダンク」の健闘が光る。
また、ベスト10の過半数がジャンプの作品であった点も長年日本一を維持した雑誌の密度を物語っている。
100タイトル全体で総合的に高得点を獲得したのはジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンの順だった。
100タイトルの選出とランキング採点方法
各編集部に自分の雑誌から25作品ずつ選出を依頼し、100タイトルを決定した。
ただし、マガジンは編集部からの注文で13号の日本一記念企画から選出。
サンデーは30周年増刊号の監修をした竹熊健太郎氏に選んで頂いた。
ランキングは各誌編集経験者に自分がかかわった雑誌以外の他社3誌75作品について順位づけを依頼。
最終的に4者の回答を当編集部で集計した。
以上掲載誌記事より。
本来なら、
1963年創刊の第3の少年週刊誌
『週刊少年キング』
(少年画報社)を入れるべきなのだが・・・
私は、アンケートの順位など、あまり信用していない。
その時の気分、尋ねる人達によって選ばれる作品がいつも変わってしまうからだ。
ちなみに、学生時代私は、社会学部社会学科のマスコミ専攻として学んだ経験がある。
アンケートのデータ結果をマーケティングとして活用するために、標本抽出法なども正式に学んでいるのだが・・・
結論として一言、言わせてもらえれば、アンケートなどあまりあてにしてはいけないというのが社会人としての経験も積んだ私の実感である。
11年前と今日では、作品の評価がガラリと変わってしまったものもあるだろう。
これらのデータに関していえば、あくまでも皆さんが少年漫画を読む上での参考にしてもらえたらそれだけでいいのだ。
さあ、あなたはこれから紹介する100作品のうち、どれだけ知っているかな?
以上の主旨で年末特別カウントダウン企画として2009年9月27日から始めたランキングですが、旅行中や、ネットストーカーとの闘いのため中断させられたり、クリスマスや年末年始の忙しさのため思うように更新出来ませんでした。
今日から本格的に再開しますので皆さんよろしくね!
ちなみに、今まで紹介してきた100位から20位までの一覧です。
100位『人造人間キカイダー』石ノ森章太郎「少年サンデー」1972年/2009.9.27
96位『ウダウダやってるヒマはねェ!』米原秀幸「少年チャンピオン」1992年/9.27
96位『おはようKジロー』水島新司「少年チャンピオン」1989年/9.27
96位『魔界学園』作・菊地秀行/画・細馬信一「少年チャンピオン」1989年/9.27
96位『魔界都市ハンター』作・菊地秀行/画・細馬信一「少年チャンピオン」1985年/9.27
95位『帯をギュッとね!』河合克敏「少年サンデー」1989年/9.28
94位『すくらっぷ・ブック』小山田いく「少年チャンピオン」1980年/9.29
93位『トイレット博士』とりいかずよし「少年ジャンプ」1970年/9.30
92位『本気!(マジ)』立原あゆみ「少年チャンピオン」1986年/10.1
91位『Let'sダチ公』作・積木爆/画・木村知夫「少年チャンピオン」1985年/10.10
90位『キン肉マン』ゆでたまご「少年ジャンプ」1979年/10.11
89位『熱笑!!花沢高校』どおくまん「少年チャンピオン」1980年/10.11
88位『名門!第三野球部』むつ利之「少年マガジン」1987年/10.11
87位『サバイバル』さいとう・たかを「少年サンデー」1976年/10.11
86位『ダッシュ勝平』六田登「少年サンデー」1979年/10.12
85位『機動警察パトレイバー』ゆうきまさみ「少年サンデー」1988年/10.12
84位『優駿の門』やまさき拓味「少年チャンピオン」1995年/10.12
83位『月とスッポン』柳沢きみお「少年チャンピオン」1976年/10.13
81位『らんぽう』内崎まさとし「少年チャンピオン」1978年/10.13
81位『サーキットの狼』池沢さとし「少年ジャンプ」1975年/10.13
80位『柔道讃歌』作・梶原一騎/画・貝塚ひろし「少年サンデー」1972年/10.14
79位『コブラ』寺沢武一「少年ジャンプ」1978年/10.14
78位『浦安鉄筋家族』浜岡賢次「少年チャンピオン」1993年/10.14
77位『スポーツマン金太郎』寺田ヒロオ「少年サンデー」1959年/10.15
76位『恐怖新聞』つのだじろう「少年チャンピオン」1973年/10.16
75位『バビル2世』横山光輝「少年チャンピオン」1971年/10.17
74位『エコエコアザラク』古賀新一「少年チャンピオン」1975年/10.18
73位『ダメおやじ』古谷三敏「少年サンデー」1970年/10.19
72位『4P田中くん』作・七三太朗/画・川三番地「少年チャンピオン」1986年/10.20
71位『ワタリ』白土三平
「少年マガジン」1965年/10.21
70位『グラップラー刃牙』板垣恵介「少年チャンピオン」1991年/10.22
69位『魔太郎がくる!』藤子不二雄@「少年チャンピオン」1972年/10.23
68位『男おいどん』松本零士「少年マガジン」1971年/10.24
67位『うしろの百太郎』つのだじろう「少年マガジン」1973年/10.25
66位『To-y(トーイ)』上條淳士「少年サンデー」1985年/10.26
65位『釣りキチ三平』矢口高雄「少年マガジン」1973年/11.5
64位『ど根性ガエル』吉沢やすみ「少年ジャンプ」1970年/11.16
62位『風のシルフィード』本島幸久「少年マガジン」1989年/11.6
62位『8マン』作・平井和正/画・桑田次郎「少年マガジン」1963年/11.14
61位『ハイスクール!奇面組』新沢基栄「少年ジャンプ」1983年/11.7
60位『まことちゃん』楳図かずお「少年サンデー」1976年/11.8
59位『コータローまかりとおる!』蛭田達也「少年マガジン」1982年/11.9
58位『シャカリキ!』曽田正人「少年チャンピオン」1992年/11.9
57位『三つ目がとおる』手塚治虫「少年マガジン」1974年/11.10
56位『キャッツ〓アイ』北条司「少年ジャンプ」1981年/11.10
55位『幽☆遊☆白書』冨樫義博「少年ジャンプ」1990年/11.11
54位『東大一直線』小林よしのり「少年ジャンプ」1976年/11.12
53位『男どアホウ甲子園』作・佐々木守/画・水島新司「少年サンデー」1970年/11.18
52位『ドラゴンクエストーダイの大冒険ー』作・三条陸/画・稲田浩司「少年ジャンプ」1989年/11.13
51位『金田一少年の事件簿』作・金成陽三郎/画・さとうふみや「少年マガジン」1992年/11.17
50位『野球狂の詩』水島新司「少年マガジン」1976年/11.19
49位『名探偵コナン』青山剛昌「少年サンデー」1994年/11.19
48位『デビルマン』永井豪「少年マガジン」1972年/2010.6.発表予定
47位『750ライダー』石井いさみ「少年チャンピオン」1975年/11.21
46位『漂流教室』楳図かずお「少年サンデー」1972年/11.22
44位『シティーハンター』北条司「少年ジャンプ」1985年/11.23
44位『サブマリン707』小澤さとる「少年サンデー」1963年/11.24
43位『あばしり一家』永井豪「少年チャンピオン」1969年/11.24
42位『空手バカ一代』作・梶原一騎/画・つのだじろう「少年マガジン」1971年/2010.6.発表予定
41位『聖闘士星矢』車田正美「少年ジャンプ」1986年/11.30
40位『包丁人味平』作・牛次郎/画・ビッグ錠「少年ジャンプ」1973年/11.30
39位『キャプテン翼』高橋陽一「少年ジャンプ」1981年/12.1
38位『バリバリ伝説』しげの秀一「少年マガジン」1983年/12.1
37位『オバケのQ太郎』藤子不二雄「少年サンデー」1964年/2010.6.発表予定
36位『どろろ』手塚治虫
「少年サンデー」1967年/2010.6.発表予定
35位『るろうに剣心』ー明治剣客浪漫譚ー 和月伸宏「少年ジャンプ」1994年/12.2
34位『愛と誠』作・梶原一騎/画・ながやす巧「少年マガジン」1973年/2010.1.14
33位『天才バカボン』赤塚不二夫「少年マガジン」1967年/2010.6.発表予定
32位『釘師サブやん』作・牛次郎/画・ビッグ錠「少年マガジン」1971年/12.6
31位『ゲゲゲの鬼太郎』水木しげる「少年マガジン」1967年/2010.6.発表予定
30位『翔んだカップル』柳沢きみお「少年マガジン」1978年/12.9
29位『うる星やつら』高橋留美子「少年サンデー」1978年/12.10
28位『伊賀の影丸』横山光輝「少年サンデー」1961年/12.11
27位『ろくでなしBLUES』森田まさのり「少年ジャンプ」1988年/12.11
26位『Dr.スランプ』鳥山明「少年ジャンプ」1980年/12.13
25位『がんばれ元気』小山ゆう「少年サンデー」1976年/12.14
24位『タイガーマスク』作・梶原一騎/画・辻なおき「少年マガジン」1971年/2010.6.発表予定
23位『おそ松くん』赤塚不二夫「少年サンデー」1962年/12.28
22位『はじめの一歩』森川ジョージ「少年マガジン」1989年/2010.6.発表予定
20位『タッチ』あだち充
「少年サンデー」1981年/2010.6.発表予定
20位『カムイ外伝』白土三平「少年サンデー」1965年/2010.6.発表予定
よろしくね!
gooのブログをカテゴリー分けしていたら、データが途中で消えてしまったようなので、今日は6月14日の記事の再編集版です。
画像は、第38回日本漫画家協会賞贈賞式・懇親会での一枚。
右から受賞者の西岸良平氏、所ゆきよし氏、五十嵐大介氏、うえださと士氏、北見けんいち氏そして青いハッピを着ているのが、乾杯の音頭をとる我等が常務理事の、ちばてつや先生。
第24回年度初め通常総会は午後4時より開始。
物故会員4名
武本サブロー氏
宮村正治氏
赤塚不二夫氏
松山たいきゅう氏
へ一分間の黙祷を行う。
佐川美代太郎氏が名誉会員に承認される。
各部会報告の中で、特に興味を持ったのは、やはり著作権部の報告。
Google書籍検索問題に関しては、漫画家協会では他の協会とは異なる独自の声明文を出している。
詳しくは、新しくリニューアルされた社団法人日本漫画家協会のホームページを確認して貰いたい。
著作権に関しては、様々な問題が起きている。
私個人が知ったものでは、2003年頃に電子配信により貸本漫画時代の作品が多数著者に無断で配信されている事件があった。
犯人を突き止めると、マンガ学会理事であり、現代マンガ図書館館長の内記稔夫氏が黒幕であることが判明。
当時私も顔を出していた漫画史研究会の席上で内記稔夫氏の参加していることを確認した上で、著作権の無断使用の問題として皆さんどのように思うかとたずねたところ、横から関西出身の宮本大人氏が
お前アホちゃうか。無断でそんなことするわけないやろ!
と公衆の面前で私を罵倒した。
だが、私は事前に無断使用している事実を著作権者及び配信元の会社から確認しているからこそ抗議したのである。
私は宮本大人氏に対し
馬鹿はお前の方だろう。
著者に無断で使用しているから問題提起しているんだ。
こんな大事なことすらキチンと話し合いが出来なくて何が漫画史研究会だ。
と発言したところ、宮本大人氏は無言となり、
夏目房之介氏などは
それはここで話し合うような問題ではない。
という。
私は、漫画史研究会という名を持つ漫画研究者の集まりの意味を疑った。
著作権の問題を、会に参加している人物が起こしているのに、冷静に話し合いすら出来ないなんて・・・。
宮本大人とは、早稲田大学を出て、東京大学大学院で学び、マンガ学会とは設立時から関係があり、現在は九州の大学で准教授をしているが、来年は明治大学にくるという。
私が漫画史研究会に参加するようになったキッカケは、2000年4月頃、当時川崎市市民ミュージアムで漫画担当の学芸員をしていた細萱敦氏(現・東京工芸大学准教授)より良かったら一度参加してみないか?と誘われたからであり、それ以来その時まで丸4年近く参加し続けていたのだが、その件があり参加する気がしなくなった。
その後、漫画史研究会には、数年後に一度だけ顔を出したことがある。
電子配信の会社の役員が、私に全面的に謝罪し、問題図書の配信をすぐに停止したことなどのてんまつの報告と、漫画史研究会の席上で自らの悪業を否定した内記氏や、根拠もなく人を罵倒した宮本氏が人としての良心から謝罪をしてくるかどうかを試すためである。
だが、内記稔夫氏からも、公衆の面前で何の根拠もなく人を罵倒してきた宮本大人氏からも私への謝罪はその時も、その後も一切ない。
東京大学大学院卒の宮本大人氏からすれば、不良少年上がりで明治学院大学の夜学で学んだ私に対して、
アホちゃうか
という発言を訂正する気はさらさらないのだろう。
ことのてんまつを報告しようとしたのだが、たずねてくる漫画史研究会の参加者がいないどころか、なぜ私が参加をするのかといった空気が漂っていた。
漫画史研究会がどういう所かについては、赤木了介、(赤木大介)なる人物と宮本大人、房爺(夏目房之介)とのやりとりでネットの上でも既に真実の姿を伝えているようなので、そちらでのやりとりを見ていただければ、彼等の人間性がわかって貰えると思う。
私は、赤木了介なる人物とは面識がないのでどのような人物なのか判断は出来ないが、漫画史研究会参加者については内記稔夫氏を含め、その人間性が率直にあらわれている。
Google検索で、(漫画史研究会、赤木了介、宮本大人)で検索するとそのやりとりが出てくる。
どうやら私と、漫画史研究会のメンバーとは、育って来た環境の違いからか漫画やアニメに対する考え方があまりにも違うようだ。
高校時代、停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。
11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私が進学先として選らんだところが、明治学院大学社会学部社会学科の夜間である。
父が私の為に遺しておいてくれた学費以外は、交通費や、教科書代、はてはサンフランシスコへのホームステイの費用にいたるまで全て添乗員のアルバイトや、奨学金を貰いながら4年間優秀な成績で通ったのである。
2003年には、社会学科の後輩達5人から卒業生訪問インタビューを受け、その様子が明治学院大学社会学・社会福祉学会が発行する(Socially第12号・2004年3月発行)に訪問記事として載っていることが、私が明治学院大学社会学部の優秀な卒業生であることを証明してくれているハズだ。
だが、世間一般では、学歴に対する差別や偏見は就職をするにしても、何をするにしても、つきまとう。
夜学に対する差別には根強いものがあるのは事実だ。
漫画史研究会とは違い、日本漫画家協会にはそのような学歴による差別や偏見はまるで感じられ無い。
社団法人 日本漫画家協会 定款
第2章 目的および事業
(目的)
第4条
この法人は健全なる漫画の普及に関する事業を行うと共に、漫画創作活動を奨励し併せて諸外国との漫画文化の交流を図り、もって我が国文化の発展に寄与することをもって目的とする。(事業)
第5条
この法人は前条の目的を達するため、次の事業を行う。
一 健全なる漫画の普及
二 漫画創作活動の奨励
三 漫画文化の国際交流
四 漫画に関する調査研究
五 会報その他出版物の発行
六 その他目的を達成するために必要な事業
第3章 会員
(種別)
第6条
この法人の会員は次の通りとする。
一 正会員 この法人の目的に賛同して入会した個人
二 賛助会員 この法人の事業を援助する個人または団体
三 名誉会員 この法人に特に功労のあった者で総会の議決をもって推薦された者
四 友好会員 この法人の目的に賛同して入会した外国人
2 前項各号の会員のうち、正会員をもって民法上の社員とする。
(入会)
第7条
会員になろうとする者は、会員2名(うち理事1名)の推薦を得て、入会申込書を理事長に提出し理事会の承認を受けなければならない。ただし名誉会員に推薦された者は、入会の手続きを要せず、本人の承諾をもって会員となるものとする。
私が社団法人日本漫画家協会へ、漫画史の研究者として、入会を希望したとき、推薦をしてくれたのが漫画史研究の第1人者である清水勲先生と、当時協会の理事を務めていた漫画家の一峰大二先生の二人である。
一峰大二先生と二人で理事会のある日に、漫画家協会の事務所まで行き、理事会の始まる直前に理事の先生方にご紹介いただき、
彼は(少年画報大全)という良い漫画の研究書を監修したり、横浜のアジアマンガサミットに参加したりして頑張っているんで皆さん何とか入れてやって貰えませんか。お願いします。
といって一峰先生は私と一緒に頭を下げてくれた恩人である。
後日協会から、正会員として理事会の先生方全員一致での入会が認められたとの通知が届く。
唐沢俊一さんにそのことを話すと、
凄いな!私なんか前に入会を希望した時、断られたことがあったんだ。
といって漫画史の研究者としての私の入会を喜んでくれた。
現在会員の平均年齢が60歳となる漫画家協会へ、当時まだ36歳の若輩者である私が、漫画史の研究者として入会出来たのは一峰大二先生と清水勲先生のひとかたならぬご尽力があったればこそである。
私以外の研究者は現在、全て大学教授の肩書きを持っているようだ。
私のすぐ上の研究者が中野晴行さんや村上知彦さんとなる。
さて、2003年に続けて今年の2月にも再び著者に無断での図版使用を発見する。
マンガの昭和史
昭和20年~55年
現代マンガ図書館内記コレクションを中心に京都国際マンガミュージアム大阪国際児童文学館の図版を多数掲載
と表紙にうたうこの本が、漫画家である著者の先生に無断で図版を使用しているのだ。
発行所のランダムハウス講談社とは、あまり聞かない名前なので、講談社の人何人かにたずねたところ、あまり知る人はなく、ランダムハウスとは、英語の辞書などを出していた所で、ランダムハウス講談社には、講談社との資本提携があるらしい。
どうやらこの本には、講談社で漫画編集に関わって来た人達がまるで関係しておらず、取材・編集として㈱近衛ロンドという編集プロダクションが関わっているようだ。
近衛ロンドへ連絡し、注意を促すと、吉岡なる人物が最初は全面的に謝罪をしてきたのに話しを二転三転させ、
ランダムハウス講談社の部長と話しをしたが著作権上は何も問題がない。
と言い出す始末。
被害者である先生方は、問題であるとしているし、相談した講談社の漫画関係者も
出版に携わる者として、許せない行為だ。
として、協力してくれるとのこと。
今後、この昭和のマンガ史著作権問題については、続けてレポートしていきたいと考えている。
マンガ学会の内記一派については、台湾での騒動がネット上でも問題となっている、いがらしゆみこ先生と関係している。
いがらし先生は、著作権問題で協会を退会した。
さて、二時間に及ぶ総会の様子は、ちばてつや先生のブログでも紹介されており、青いハッピを着た集合写真の中に私の姿もある。
贈賞式・懇親会においては、男性の漫画家の先生では、ちばてつや先生、松本零士先生、一峰大二先生、山根青鬼先生、土山しげる先生、森田拳次先生、ウノ・カマキリ先生と、女性の漫画家の先生では、わたなべまさこ先生、牧美也子先生、花村えい子先生、里中満智子先生と話しが出来た。会場にはやなせたかし先生、小島功先生、藤子不二雄@先生、矢口高雄先生、永井豪先生、バロン吉元先生、さいとう・たかを先生、牧野圭一先生、みつはしちかこ先生の姿があった。
他にも総会参加者は皆、青いハッピを着ていたのだが、あまりにも大勢なので把握しきれていない。
協会員は、参加費用一万円を払っての参加である。
研究者の会員で話しが出来たのは、清水勲先生、日本漫画学院長の木村忠夫さん。
中野晴行さんとは眼で挨拶したのみ。
タケカワユキヒデさんの姿もあった。
賛助会員である企業の参加者は、
㈱手塚プロダクションの松谷社長、招待客である丸山昭さんの紹介で㈱講談社専務の五十嵐さんとも初めて名刺交換が出来た。
㈱小学館専務の白井さんには、脚本家の石森史郎先生が20年振りに逢いたがっている旨を伝え、私のブログにも載せた石森史郎先生の携帯で写した画像もお見せした。
㈱フジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さんにも挨拶し、横山隆一記念まんが館学芸員の奥田さんとも久しぶりに話しが出来た。読売新聞社文化部からは、佐藤憲一記者が来ていたので、二上洋一先生の訃報記事のお礼を伝えた。
招待客の秋田書店の大西部長から石井いさみ先生の近況を聞き、小松崎茂先生のお弟子さんである根本圭助さんとは、弥生美術館での来月からの展示について話しをする。
横山まさみち先生の息子さん横山プロの晃彦さんともお話しが出来た。
ご馳走も食べれて幸せな一日だったな。
漫画史研究会では、みにくいアヒルの子の
本間正幸
画像は、第38回日本漫画家協会賞贈賞式・懇親会での一枚。
右から受賞者の西岸良平氏、所ゆきよし氏、五十嵐大介氏、うえださと士氏、北見けんいち氏そして青いハッピを着ているのが、乾杯の音頭をとる我等が常務理事の、ちばてつや先生。
第24回年度初め通常総会は午後4時より開始。
物故会員4名
武本サブロー氏
宮村正治氏
赤塚不二夫氏
松山たいきゅう氏
へ一分間の黙祷を行う。
佐川美代太郎氏が名誉会員に承認される。
各部会報告の中で、特に興味を持ったのは、やはり著作権部の報告。
Google書籍検索問題に関しては、漫画家協会では他の協会とは異なる独自の声明文を出している。
詳しくは、新しくリニューアルされた社団法人日本漫画家協会のホームページを確認して貰いたい。
著作権に関しては、様々な問題が起きている。
私個人が知ったものでは、2003年頃に電子配信により貸本漫画時代の作品が多数著者に無断で配信されている事件があった。
犯人を突き止めると、マンガ学会理事であり、現代マンガ図書館館長の内記稔夫氏が黒幕であることが判明。
当時私も顔を出していた漫画史研究会の席上で内記稔夫氏の参加していることを確認した上で、著作権の無断使用の問題として皆さんどのように思うかとたずねたところ、横から関西出身の宮本大人氏が
お前アホちゃうか。無断でそんなことするわけないやろ!
と公衆の面前で私を罵倒した。
だが、私は事前に無断使用している事実を著作権者及び配信元の会社から確認しているからこそ抗議したのである。
私は宮本大人氏に対し
馬鹿はお前の方だろう。
著者に無断で使用しているから問題提起しているんだ。
こんな大事なことすらキチンと話し合いが出来なくて何が漫画史研究会だ。
と発言したところ、宮本大人氏は無言となり、
夏目房之介氏などは
それはここで話し合うような問題ではない。
という。
私は、漫画史研究会という名を持つ漫画研究者の集まりの意味を疑った。
著作権の問題を、会に参加している人物が起こしているのに、冷静に話し合いすら出来ないなんて・・・。
宮本大人とは、早稲田大学を出て、東京大学大学院で学び、マンガ学会とは設立時から関係があり、現在は九州の大学で准教授をしているが、来年は明治大学にくるという。
私が漫画史研究会に参加するようになったキッカケは、2000年4月頃、当時川崎市市民ミュージアムで漫画担当の学芸員をしていた細萱敦氏(現・東京工芸大学准教授)より良かったら一度参加してみないか?と誘われたからであり、それ以来その時まで丸4年近く参加し続けていたのだが、その件があり参加する気がしなくなった。
その後、漫画史研究会には、数年後に一度だけ顔を出したことがある。
電子配信の会社の役員が、私に全面的に謝罪し、問題図書の配信をすぐに停止したことなどのてんまつの報告と、漫画史研究会の席上で自らの悪業を否定した内記氏や、根拠もなく人を罵倒した宮本氏が人としての良心から謝罪をしてくるかどうかを試すためである。
だが、内記稔夫氏からも、公衆の面前で何の根拠もなく人を罵倒してきた宮本大人氏からも私への謝罪はその時も、その後も一切ない。
東京大学大学院卒の宮本大人氏からすれば、不良少年上がりで明治学院大学の夜学で学んだ私に対して、
アホちゃうか
という発言を訂正する気はさらさらないのだろう。
ことのてんまつを報告しようとしたのだが、たずねてくる漫画史研究会の参加者がいないどころか、なぜ私が参加をするのかといった空気が漂っていた。
漫画史研究会がどういう所かについては、赤木了介、(赤木大介)なる人物と宮本大人、房爺(夏目房之介)とのやりとりでネットの上でも既に真実の姿を伝えているようなので、そちらでのやりとりを見ていただければ、彼等の人間性がわかって貰えると思う。
私は、赤木了介なる人物とは面識がないのでどのような人物なのか判断は出来ないが、漫画史研究会参加者については内記稔夫氏を含め、その人間性が率直にあらわれている。
Google検索で、(漫画史研究会、赤木了介、宮本大人)で検索するとそのやりとりが出てくる。
どうやら私と、漫画史研究会のメンバーとは、育って来た環境の違いからか漫画やアニメに対する考え方があまりにも違うようだ。
高校時代、停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。
11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私が進学先として選らんだところが、明治学院大学社会学部社会学科の夜間である。
父が私の為に遺しておいてくれた学費以外は、交通費や、教科書代、はてはサンフランシスコへのホームステイの費用にいたるまで全て添乗員のアルバイトや、奨学金を貰いながら4年間優秀な成績で通ったのである。
2003年には、社会学科の後輩達5人から卒業生訪問インタビューを受け、その様子が明治学院大学社会学・社会福祉学会が発行する(Socially第12号・2004年3月発行)に訪問記事として載っていることが、私が明治学院大学社会学部の優秀な卒業生であることを証明してくれているハズだ。
だが、世間一般では、学歴に対する差別や偏見は就職をするにしても、何をするにしても、つきまとう。
夜学に対する差別には根強いものがあるのは事実だ。
漫画史研究会とは違い、日本漫画家協会にはそのような学歴による差別や偏見はまるで感じられ無い。
社団法人 日本漫画家協会 定款
第2章 目的および事業
(目的)
第4条
この法人は健全なる漫画の普及に関する事業を行うと共に、漫画創作活動を奨励し併せて諸外国との漫画文化の交流を図り、もって我が国文化の発展に寄与することをもって目的とする。(事業)
第5条
この法人は前条の目的を達するため、次の事業を行う。
一 健全なる漫画の普及
二 漫画創作活動の奨励
三 漫画文化の国際交流
四 漫画に関する調査研究
五 会報その他出版物の発行
六 その他目的を達成するために必要な事業
第3章 会員
(種別)
第6条
この法人の会員は次の通りとする。
一 正会員 この法人の目的に賛同して入会した個人
二 賛助会員 この法人の事業を援助する個人または団体
三 名誉会員 この法人に特に功労のあった者で総会の議決をもって推薦された者
四 友好会員 この法人の目的に賛同して入会した外国人
2 前項各号の会員のうち、正会員をもって民法上の社員とする。
(入会)
第7条
会員になろうとする者は、会員2名(うち理事1名)の推薦を得て、入会申込書を理事長に提出し理事会の承認を受けなければならない。ただし名誉会員に推薦された者は、入会の手続きを要せず、本人の承諾をもって会員となるものとする。
私が社団法人日本漫画家協会へ、漫画史の研究者として、入会を希望したとき、推薦をしてくれたのが漫画史研究の第1人者である清水勲先生と、当時協会の理事を務めていた漫画家の一峰大二先生の二人である。
一峰大二先生と二人で理事会のある日に、漫画家協会の事務所まで行き、理事会の始まる直前に理事の先生方にご紹介いただき、
彼は(少年画報大全)という良い漫画の研究書を監修したり、横浜のアジアマンガサミットに参加したりして頑張っているんで皆さん何とか入れてやって貰えませんか。お願いします。
といって一峰先生は私と一緒に頭を下げてくれた恩人である。
後日協会から、正会員として理事会の先生方全員一致での入会が認められたとの通知が届く。
唐沢俊一さんにそのことを話すと、
凄いな!私なんか前に入会を希望した時、断られたことがあったんだ。
といって漫画史の研究者としての私の入会を喜んでくれた。
現在会員の平均年齢が60歳となる漫画家協会へ、当時まだ36歳の若輩者である私が、漫画史の研究者として入会出来たのは一峰大二先生と清水勲先生のひとかたならぬご尽力があったればこそである。
私以外の研究者は現在、全て大学教授の肩書きを持っているようだ。
私のすぐ上の研究者が中野晴行さんや村上知彦さんとなる。
さて、2003年に続けて今年の2月にも再び著者に無断での図版使用を発見する。
マンガの昭和史
昭和20年~55年
現代マンガ図書館内記コレクションを中心に京都国際マンガミュージアム大阪国際児童文学館の図版を多数掲載
と表紙にうたうこの本が、漫画家である著者の先生に無断で図版を使用しているのだ。
発行所のランダムハウス講談社とは、あまり聞かない名前なので、講談社の人何人かにたずねたところ、あまり知る人はなく、ランダムハウスとは、英語の辞書などを出していた所で、ランダムハウス講談社には、講談社との資本提携があるらしい。
どうやらこの本には、講談社で漫画編集に関わって来た人達がまるで関係しておらず、取材・編集として㈱近衛ロンドという編集プロダクションが関わっているようだ。
近衛ロンドへ連絡し、注意を促すと、吉岡なる人物が最初は全面的に謝罪をしてきたのに話しを二転三転させ、
ランダムハウス講談社の部長と話しをしたが著作権上は何も問題がない。
と言い出す始末。
被害者である先生方は、問題であるとしているし、相談した講談社の漫画関係者も
出版に携わる者として、許せない行為だ。
として、協力してくれるとのこと。
今後、この昭和のマンガ史著作権問題については、続けてレポートしていきたいと考えている。
マンガ学会の内記一派については、台湾での騒動がネット上でも問題となっている、いがらしゆみこ先生と関係している。
いがらし先生は、著作権問題で協会を退会した。
さて、二時間に及ぶ総会の様子は、ちばてつや先生のブログでも紹介されており、青いハッピを着た集合写真の中に私の姿もある。
贈賞式・懇親会においては、男性の漫画家の先生では、ちばてつや先生、松本零士先生、一峰大二先生、山根青鬼先生、土山しげる先生、森田拳次先生、ウノ・カマキリ先生と、女性の漫画家の先生では、わたなべまさこ先生、牧美也子先生、花村えい子先生、里中満智子先生と話しが出来た。会場にはやなせたかし先生、小島功先生、藤子不二雄@先生、矢口高雄先生、永井豪先生、バロン吉元先生、さいとう・たかを先生、牧野圭一先生、みつはしちかこ先生の姿があった。
他にも総会参加者は皆、青いハッピを着ていたのだが、あまりにも大勢なので把握しきれていない。
協会員は、参加費用一万円を払っての参加である。
研究者の会員で話しが出来たのは、清水勲先生、日本漫画学院長の木村忠夫さん。
中野晴行さんとは眼で挨拶したのみ。
タケカワユキヒデさんの姿もあった。
賛助会員である企業の参加者は、
㈱手塚プロダクションの松谷社長、招待客である丸山昭さんの紹介で㈱講談社専務の五十嵐さんとも初めて名刺交換が出来た。
㈱小学館専務の白井さんには、脚本家の石森史郎先生が20年振りに逢いたがっている旨を伝え、私のブログにも載せた石森史郎先生の携帯で写した画像もお見せした。
㈱フジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さんにも挨拶し、横山隆一記念まんが館学芸員の奥田さんとも久しぶりに話しが出来た。読売新聞社文化部からは、佐藤憲一記者が来ていたので、二上洋一先生の訃報記事のお礼を伝えた。
招待客の秋田書店の大西部長から石井いさみ先生の近況を聞き、小松崎茂先生のお弟子さんである根本圭助さんとは、弥生美術館での来月からの展示について話しをする。
横山まさみち先生の息子さん横山プロの晃彦さんともお話しが出来た。
ご馳走も食べれて幸せな一日だったな。
漫画史研究会では、みにくいアヒルの子の
本間正幸
今日の画像は、贈賞式・懇親会での一枚。
右から第38回日本漫画家協会賞受賞者の西岸良平氏、所ゆきよし氏、五十嵐大介氏、うえださと士氏、北見けんいち氏そして青いハッピを着ているのが、乾杯の音頭をとる我等が常務理事の、ちばてつや先生。
第24回年度初め通常総会は午後4時より開始。
物故会員4名
武本サブロー氏
宮村正治氏
赤塚不二夫氏
松山たいきゅう氏
へ一分間の黙祷を行う。
佐川美代太郎氏が名誉会員に承認される。
協会のホームページがこの日よりリニューアルされた。
私は、2003年に入会した際の古いデータのままなので、急いで新しいものにしなければと思う。
各部会報告の中で、特に興味を持ったのは、やはり著作権部の報告。
Google書籍検索問題に関しては、漫画家協会では他の協会とは異なる独自の声明文を出している。
詳しくは、社団法人日本漫画家協会のホームページを確認して貰いたい。
著作権に関しては、様々な問題が起きている。
私個人が知ったものでは、2003年頃に電子配信により貸本漫画時代の作品が多数著者に無断で配信されている事件があった。
犯人を突き止めると、現代マンガ図書館の内記稔夫氏が黒幕であることが判明。
当時私も顔を出していた漫画史研究会の席上で内記稔夫氏の参加していることを確認した上で、著作権の無断使用の問題として皆さんどのように思うかとたずねたところ、横から関西(三重?)出身の宮本大人氏が
お前アホちゃうか。無断でそんなことするわけないやろ!
と公衆の面前で私を罵倒した。
だが、私は事前に無断使用している事実を著作権者及び配信元の会社から確認しているからこそ抗議したのである。
私は宮本大人氏に対し
馬鹿はお前の方だろう。
著者に無断で使用しているから問題提起しているんだ。
こんな大事なことすらキチンと話し合いが出来なくて何が漫画史研究会だ。
と発言したところ、宮本大人氏は無言となり、
夏目房之助氏などは
それはここで話し合うような問題ではない。
という。
私は、漫画史研究会という名を持つ漫画研究者の集まりの意味を疑った。
著作権の問題を、会に参加している人物が起こしているのに、話し合いすら出来ない会なんて・・・。
宮本大人とは、早稲田大学を出て、東京大学大学院で学んだとかいう人物であり、現在は九州の方の大学で准教授をしており、来年は明治大学にくるという。
私が漫画史研究会に参加するようになったキッカケは、2000年4月頃、当時川崎市市民ミュージアムで漫画担当の学芸員をしていた細萱敦氏(現・東京工芸大学准教授)より良かったら一度参加してみないか?と誘われたからであり、それ以来その時まで丸4年近く参加し続けていたのだが、その件があり参加する気がしなくなった。
その後、漫画史研究会には、数年後に一度だけ顔を出したことがある。
電子配信の会社の役員が、私に全面的に謝罪し、問題図書の配信をすぐに停止したことなどのてんまつの報告と、漫画史研究会の席上で自らの悪業を否定した内記氏や、根拠もなく人を罵倒した宮本氏が人としての良心から謝罪をしてくるかどうかを試すためである。
だが、内記稔夫氏からも、公衆の面前で何の根拠もなく人を罵倒してきた宮本大人氏からも私への謝罪はその時も、その後も一切ない。
東京大学大学院卒の宮本大人氏からすれば、不良少年上がりで明治学院大学の夜学で学んだ私に対して、
アホちゃうか
という発言を訂正する気はさらさらないのだろう。
ことのてんまつを報告しようとしたのだが、たずねてくる漫画史研究会の参加者がいないどころか、なぜ私が参加をするのかといった空気が漂っていた。
漫画史研究会がどういう所かについては、赤木了介、(赤木大介)なる人物と宮本大人、房爺(夏目房之助)とのやりとりでネットの上でも既に真実の姿を伝えているようなので、そちらでのやりとりを見ていただければ、彼等の人間性がわかって貰えると思う。
私は、赤木了介なる人物とは面識がないのでどのような人物なのか判断は出来ないが、漫画史研究会参加者については内記稔夫氏を含め、その人間性が率直にあらわれている。
Google検索で、(赤木了介、宮本大人)で検索するとそのやりとりが出てくる。
(漫画史研究会の入会について)、でも何番目かに出てくるようだ。
どうやら私と、漫画史研究会のメンバーとは、育って来た環境の違いからか漫画やアニメに対する考え方があまりにも違うようだ。
高校時代、停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。
11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私が進学先として選らんだところが、明治学院大学社会学部社会学科の夜間である。
父が私の為に遺しておいてくれた学費以外は、交通費や、教科書代、はてはサンフランシスコへのホームステイの費用にいたるまで全て添乗員のアルバイトや、奨学金を貰いながら4年間優秀な成績で通ったのである。
2003年には、社会学科の後輩達5人から卒業生訪問インタビューを受け、その様子が明治学院大学社会学・社会福祉学会が発行する(Socially第12号・2004年3月発行)に訪問記事として載っていることが、私が明治学院大学社会学部の優秀な卒業生であることを証明してくれているハズだ。
だが、世間一般では、学歴に対する差別や偏見は就職をするにしても、何をするにしても、つきまとう。
夜学に対する差別には根強いものがあるのは事実だ。
漫画史研究会とは違い、日本漫画家協会にはそのような学歴による差別や偏見はまるで感じられ無い。
社団法人 日本漫画家協
右から第38回日本漫画家協会賞受賞者の西岸良平氏、所ゆきよし氏、五十嵐大介氏、うえださと士氏、北見けんいち氏そして青いハッピを着ているのが、乾杯の音頭をとる我等が常務理事の、ちばてつや先生。
第24回年度初め通常総会は午後4時より開始。
物故会員4名
武本サブロー氏
宮村正治氏
赤塚不二夫氏
松山たいきゅう氏
へ一分間の黙祷を行う。
佐川美代太郎氏が名誉会員に承認される。
協会のホームページがこの日よりリニューアルされた。
私は、2003年に入会した際の古いデータのままなので、急いで新しいものにしなければと思う。
各部会報告の中で、特に興味を持ったのは、やはり著作権部の報告。
Google書籍検索問題に関しては、漫画家協会では他の協会とは異なる独自の声明文を出している。
詳しくは、社団法人日本漫画家協会のホームページを確認して貰いたい。
著作権に関しては、様々な問題が起きている。
私個人が知ったものでは、2003年頃に電子配信により貸本漫画時代の作品が多数著者に無断で配信されている事件があった。
犯人を突き止めると、現代マンガ図書館の内記稔夫氏が黒幕であることが判明。
当時私も顔を出していた漫画史研究会の席上で内記稔夫氏の参加していることを確認した上で、著作権の無断使用の問題として皆さんどのように思うかとたずねたところ、横から関西(三重?)出身の宮本大人氏が
お前アホちゃうか。無断でそんなことするわけないやろ!
と公衆の面前で私を罵倒した。
だが、私は事前に無断使用している事実を著作権者及び配信元の会社から確認しているからこそ抗議したのである。
私は宮本大人氏に対し
馬鹿はお前の方だろう。
著者に無断で使用しているから問題提起しているんだ。
こんな大事なことすらキチンと話し合いが出来なくて何が漫画史研究会だ。
と発言したところ、宮本大人氏は無言となり、
夏目房之助氏などは
それはここで話し合うような問題ではない。
という。
私は、漫画史研究会という名を持つ漫画研究者の集まりの意味を疑った。
著作権の問題を、会に参加している人物が起こしているのに、話し合いすら出来ない会なんて・・・。
宮本大人とは、早稲田大学を出て、東京大学大学院で学んだとかいう人物であり、現在は九州の方の大学で准教授をしており、来年は明治大学にくるという。
私が漫画史研究会に参加するようになったキッカケは、2000年4月頃、当時川崎市市民ミュージアムで漫画担当の学芸員をしていた細萱敦氏(現・東京工芸大学准教授)より良かったら一度参加してみないか?と誘われたからであり、それ以来その時まで丸4年近く参加し続けていたのだが、その件があり参加する気がしなくなった。
その後、漫画史研究会には、数年後に一度だけ顔を出したことがある。
電子配信の会社の役員が、私に全面的に謝罪し、問題図書の配信をすぐに停止したことなどのてんまつの報告と、漫画史研究会の席上で自らの悪業を否定した内記氏や、根拠もなく人を罵倒した宮本氏が人としての良心から謝罪をしてくるかどうかを試すためである。
だが、内記稔夫氏からも、公衆の面前で何の根拠もなく人を罵倒してきた宮本大人氏からも私への謝罪はその時も、その後も一切ない。
東京大学大学院卒の宮本大人氏からすれば、不良少年上がりで明治学院大学の夜学で学んだ私に対して、
アホちゃうか
という発言を訂正する気はさらさらないのだろう。
ことのてんまつを報告しようとしたのだが、たずねてくる漫画史研究会の参加者がいないどころか、なぜ私が参加をするのかといった空気が漂っていた。
漫画史研究会がどういう所かについては、赤木了介、(赤木大介)なる人物と宮本大人、房爺(夏目房之助)とのやりとりでネットの上でも既に真実の姿を伝えているようなので、そちらでのやりとりを見ていただければ、彼等の人間性がわかって貰えると思う。
私は、赤木了介なる人物とは面識がないのでどのような人物なのか判断は出来ないが、漫画史研究会参加者については内記稔夫氏を含め、その人間性が率直にあらわれている。
Google検索で、(赤木了介、宮本大人)で検索するとそのやりとりが出てくる。
(漫画史研究会の入会について)、でも何番目かに出てくるようだ。
どうやら私と、漫画史研究会のメンバーとは、育って来た環境の違いからか漫画やアニメに対する考え方があまりにも違うようだ。
高校時代、停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。
11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私が進学先として選らんだところが、明治学院大学社会学部社会学科の夜間である。
父が私の為に遺しておいてくれた学費以外は、交通費や、教科書代、はてはサンフランシスコへのホームステイの費用にいたるまで全て添乗員のアルバイトや、奨学金を貰いながら4年間優秀な成績で通ったのである。
2003年には、社会学科の後輩達5人から卒業生訪問インタビューを受け、その様子が明治学院大学社会学・社会福祉学会が発行する(Socially第12号・2004年3月発行)に訪問記事として載っていることが、私が明治学院大学社会学部の優秀な卒業生であることを証明してくれているハズだ。
だが、世間一般では、学歴に対する差別や偏見は就職をするにしても、何をするにしても、つきまとう。
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漫画史研究会とは違い、日本漫画家協会にはそのような学歴による差別や偏見はまるで感じられ無い。
社団法人 日本漫画家協
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Kenji Sawada - ヤマトより愛をこめて (From Yamato with Love) 1991.10.11
スーパーロボット・マッハバロン SUPER ROBOT MACH BARON ED 2008PEACE-MIX
私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
さて、本日の画像は今日の午後LAWSONで入手した『藤子・F・不二雄キャラクターフェア』で、お菓子を買ってゲットしたクリアファイル一式裏地バージョンと、お菓子の山です!
ドラえもん原作40周年記念
藤子・F・不二雄キャラクターズフェア
ローソンオリジナルクリアファイル全5種類!!
【ドラえもん】(裏はブールー地にキャラクター集合)
【パーマン】(裏はグリーン)
【エスパー魔美】(裏はピンク)
【キテレツ大百科】(裏はイエロー)
【21エモン】(裏はオレンジ)
対象のお菓子を2つ(1つ100円強から複数の種類有り)購入すると、クリアファイルがひとつ貰えます。
1日以降、手頃なローソンにめぐり会えなかった私は、結局、築地のLAWSONでまた、お菓子を買うはめに。
対象となる10個のお菓子を篭に入れてレジに進むと、既に【ドラえもん】のクリアファイルは、品切と云われ驚く!
ならば、お菓子を8個にして、4ファイルをゲットし、他店へ行こうとしたら、偶然最後のひとつが見つかり、無事保存用一式ゲット出来ました!
お店の人に入荷状況を確認したところ、各ファイル10部だか15部しか配布されておらず、余程の事がない限り、追加はありえないとのこと。
全5種類コンプリートを目指すなら、急げ!ローソンへ。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
さて、本日の画像は今日の午後LAWSONで入手した『藤子・F・不二雄キャラクターフェア』で、お菓子を買ってゲットしたクリアファイル一式裏地バージョンと、お菓子の山です!
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【21エモン】(裏はオレンジ)
対象のお菓子を2つ(1つ100円強から複数の種類有り)購入すると、クリアファイルがひとつ貰えます。
1日以降、手頃なローソンにめぐり会えなかった私は、結局、築地のLAWSONでまた、お菓子を買うはめに。
対象となる10個のお菓子を篭に入れてレジに進むと、既に【ドラえもん】のクリアファイルは、品切と云われ驚く!
ならば、お菓子を8個にして、4ファイルをゲットし、他店へ行こうとしたら、偶然最後のひとつが見つかり、無事保存用一式ゲット出来ました!
お店の人に入荷状況を確認したところ、各ファイル10部だか15部しか配布されておらず、余程の事がない限り、追加はありえないとのこと。
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さて、本日の画像は昨日LAWSONで入手した『藤子・F・不二雄キャラクターグッズカタログ』と、お菓子を買ってゲットしたクリアファイル一式です!
ドラえもん原作40周年記念
藤子・F・不二雄キャラクターズフェア
ローソンオリジナルクリアファイル全5種類!!
【ドラえもん】(裏はブールー地にキャラクター集合)
【パーマン】(裏はグリーン)
【エスパー魔美】(裏はピンク)
【キテレツ大百科】(裏はイエロー)
【21エモン】(裏はオレンジ)
対象のお菓子を2つ(1つ100円強から複数の種類有り)購入すると、クリアファイルがひとつ貰えます。
私が参加しているアメブロの藤子ファンの集まりグルッぽにて、情報を入手していた私は、旅行会社からの打ち合わせの帰り、昨日の午後3時30分に電話料金の支払いの際に立ち寄った築地駅近くのLAWSON店内ののぼりで思い出し、直ぐに【パーマン】のクリアファイルをゲット!
事務所に戻り、買ってきたお菓子で珈琲タイム。
クリアファイルの内容を確認し、直ぐに残りの4ファイルをゲットすべく、対象のお菓子を大人買い。
明日以降、他のローソンにて(一応、他の藤子ファンへの配慮の為です。)、保存用にもうワンセットゲットする予定です!
もうこれで、今月は3時のおやつには困りません。(涙)
【漫画の匠】
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よろしくです。
さて、本日の画像は昨日LAWSONで入手した『藤子・F・不二雄キャラクターグッズカタログ』と、お菓子を買ってゲットしたクリアファイル一式です!
ドラえもん原作40周年記念
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ローソンオリジナルクリアファイル全5種類!!
【ドラえもん】(裏はブールー地にキャラクター集合)
【パーマン】(裏はグリーン)
【エスパー魔美】(裏はピンク)
【キテレツ大百科】(裏はイエロー)
【21エモン】(裏はオレンジ)
対象のお菓子を2つ(1つ100円強から複数の種類有り)購入すると、クリアファイルがひとつ貰えます。
私が参加しているアメブロの藤子ファンの集まりグルッぽにて、情報を入手していた私は、旅行会社からの打ち合わせの帰り、昨日の午後3時30分に電話料金の支払いの際に立ち寄った築地駅近くのLAWSON店内ののぼりで思い出し、直ぐに【パーマン】のクリアファイルをゲット!
事務所に戻り、買ってきたお菓子で珈琲タイム。
クリアファイルの内容を確認し、直ぐに残りの4ファイルをゲットすべく、対象のお菓子を大人買い。
明日以降、他のローソンにて(一応、他の藤子ファンへの配慮の為です。)、保存用にもうワンセットゲットする予定です!
もうこれで、今月は3時のおやつには困りません。(涙)