今日の画像は、今朝の読売新聞6面の広告ページ全面に掲載された我が母校である明治学院大学の記事と、明治学院大学校友会から昨日届いた創立150周年のリーフレット。
新聞記事には、1980年代の後半に、私が社会学部社会学科で学んでいた頃と何ら変わらない次のような決意が宣言されていた。
私も参加しているfacebook明治学院大学OB&OG会のメンバーの間でも話題となっており、読売新聞だけでなく日本経済新聞にも広告が載っていたとのことなので、朝日新聞や毎日新聞など、他の新聞にも載っているかも知れない。
社会学部の卒業生として、自戒の意味と、私のブログの読者である皆さんにも、我が母校である明学の校風を理解してもらうためにも再録したい。
歴史を活かし、未来をつくる。明治学院は、創立150周年を迎えました。
日本赤十字社・明治学院大学 共同宣言
-ボランティア・パートナーシップ・ビヨンド 150-
150年目の決意
ボランティアの力が、人を育て、人を救う。
敵味方の区別なく目の前の命を救うことに全力を尽くす、赤十字の思想。
自らの意志で動く奉仕の精神を受け継ぐ、明治学院大学の教育理念"Do forOthers"(他者への貢献)。
奇しくも同時期に創始者のボランティア活動から始まった2つの機関は
この150年、ボランティア精神を社会に広め、実践してきました。
東日本大震災からの復興。高齢化社会への対応。大規模災害への備え。世界の貧困や病への対処。
いまこそボランティアの力を発揮するときです。
人道機関が知る社会貢献や成長の機会を得たいと願う青少年たちを結びつけ、
ともに支え合って生きていく社会の実現に貢献します。
若者にボランティアへの参加を呼びかけ、ボランティア精神を広げ、
次代を担う人を育み、人と人をつないでゆきます。
それが、150周年を迎えた私たちの決意です。
そして、日本赤十字社 社長と、明治学院大学 学長のコメントが載っている。
私が明治学院大学を選んだのは、当初は次の理由だった。
一、大学で学んでみたかった社会学部社会学科がある。
二、自宅からの通学時間が短くて楽。
三、キャンパス内に占める女の子の割合が非常に高い。
けれども、現役では不合格。
一浪し、駿台予備校で学んだ際、早稲田模試などで、合格率70パーセント以上を出すも、またもや不合格。
受験科目である国語と日本史は、偏差値的に東大法学部でも十分合格圏であり、駿台の成績優秀者にいつも名前が載るまで後一歩の所まで学力が伸びていたのだが、英語が全然出来ないのだ。
私とほぼ同じ席順で私より少し成績の悪かった、(当時の駿台は、クラスや座席まで全てが成績順)予備校に入ってからの友人は、明治大学へ合格するのだが・・・。
私は、滑り止めも受けずにいたため、試験の遅い明学の夜間に最後の望みをかけ、合格する。
夜間では
一、学費がほぼ半額と格安。
二、戸塚キャンパスより、白金キャンパスの方が自宅から通いやすい。
三、四年で卒業出来るのは、せいぜい四割程度と留年や中退のリスクが非常に高いが、授業のレベルは昼間も夜も変わらない。
予備校での成績から、英語以外の授業なら、ほぼトップクラスの成績がとれるだろうと、根拠のない自信で勘違いしたまま四年間を過ごす。
余裕の無いコマ数のため、空き時間が殆んどなく、真面目に授業を受けなければ直ぐに留年するため、授業は静かに皆真剣に先生の話を聞いており、授業に集中出来た。
校内暴力で一番荒れていた時代に、横浜市内でも最悪と言われていた鶴見区の公立中学校を卒業し、推薦以外、現役で有名大学への進学など不可能な神奈川県立の底辺校ですら暴走族に所属する非行少年たちとの喧嘩で度重なる停学のため退学寸前だった私にとって、明治学院大学は、正に天国のような場所だった。
不良少年時代のように私に敵対し、根拠のない悪い噂を流す者や、学校帰りに駅や街角で待ち伏せする奴らはもういなかったのだ。
中学、高校時代と違い、駿台予備校で真面目に授業を受け、勉強する習慣がすっかり身に付いていたため、何と成績は四年間優秀なまま最初から最後まで奨学金をもらい続けることが出来た。
社会に出てから、周りの人々との間に社会貢献についての考え方など、弱冠の違和感を感じることが多かったのだが、それは明学で受けていた教育内容との差でもあったのだろう。
私の父の実家のある山形県庄内地方では、我が一族の先達であり先祖となる本間光丘が、東北地方における公益の祖として広く尊敬されており、一族の末裔となる私にも、子供の頃から先祖の偉業を父に厳しく教え込まれていたので、何の違和感もなく明学での教えを当然のこととして受け入れてきた。
だが、世の中には偽善が蔓延り、人のためにお金にもならないのに、一所懸命頑張るのはおかしい、絶対に裏で何か悪いことでも企んでいるはずだ。
と、疑う人の方が増え、根拠もなく悪い噂を流す奴らの云うことを信じるようになる。
2009年3月からそれまでアナログ人間だった私がブログを始め、現在ではfacebookやTwitterまでやっているので、その間、私が何を考え行動をしてきたのか、確認してもらえば少しは真実が見えてくるのではないかと思う。
私は、社会学部社会福祉学科のある明治学院大学で社会学を学んだことを今でも誇りに思っている明学卒業生の一人だ。
昭和時代のアニメと漫画史研究家、明治学院大学卒の社会学士
本間正幸
新聞記事には、1980年代の後半に、私が社会学部社会学科で学んでいた頃と何ら変わらない次のような決意が宣言されていた。
私も参加しているfacebook明治学院大学OB&OG会のメンバーの間でも話題となっており、読売新聞だけでなく日本経済新聞にも広告が載っていたとのことなので、朝日新聞や毎日新聞など、他の新聞にも載っているかも知れない。
社会学部の卒業生として、自戒の意味と、私のブログの読者である皆さんにも、我が母校である明学の校風を理解してもらうためにも再録したい。
歴史を活かし、未来をつくる。明治学院は、創立150周年を迎えました。
日本赤十字社・明治学院大学 共同宣言
-ボランティア・パートナーシップ・ビヨンド 150-
150年目の決意
ボランティアの力が、人を育て、人を救う。
敵味方の区別なく目の前の命を救うことに全力を尽くす、赤十字の思想。
自らの意志で動く奉仕の精神を受け継ぐ、明治学院大学の教育理念"Do forOthers"(他者への貢献)。
奇しくも同時期に創始者のボランティア活動から始まった2つの機関は
この150年、ボランティア精神を社会に広め、実践してきました。
東日本大震災からの復興。高齢化社会への対応。大規模災害への備え。世界の貧困や病への対処。
いまこそボランティアの力を発揮するときです。
人道機関が知る社会貢献や成長の機会を得たいと願う青少年たちを結びつけ、
ともに支え合って生きていく社会の実現に貢献します。
若者にボランティアへの参加を呼びかけ、ボランティア精神を広げ、
次代を担う人を育み、人と人をつないでゆきます。
それが、150周年を迎えた私たちの決意です。
そして、日本赤十字社 社長と、明治学院大学 学長のコメントが載っている。
私が明治学院大学を選んだのは、当初は次の理由だった。
一、大学で学んでみたかった社会学部社会学科がある。
二、自宅からの通学時間が短くて楽。
三、キャンパス内に占める女の子の割合が非常に高い。
けれども、現役では不合格。
一浪し、駿台予備校で学んだ際、早稲田模試などで、合格率70パーセント以上を出すも、またもや不合格。
受験科目である国語と日本史は、偏差値的に東大法学部でも十分合格圏であり、駿台の成績優秀者にいつも名前が載るまで後一歩の所まで学力が伸びていたのだが、英語が全然出来ないのだ。
私とほぼ同じ席順で私より少し成績の悪かった、(当時の駿台は、クラスや座席まで全てが成績順)予備校に入ってからの友人は、明治大学へ合格するのだが・・・。
私は、滑り止めも受けずにいたため、試験の遅い明学の夜間に最後の望みをかけ、合格する。
夜間では
一、学費がほぼ半額と格安。
二、戸塚キャンパスより、白金キャンパスの方が自宅から通いやすい。
三、四年で卒業出来るのは、せいぜい四割程度と留年や中退のリスクが非常に高いが、授業のレベルは昼間も夜も変わらない。
予備校での成績から、英語以外の授業なら、ほぼトップクラスの成績がとれるだろうと、根拠のない自信で勘違いしたまま四年間を過ごす。
余裕の無いコマ数のため、空き時間が殆んどなく、真面目に授業を受けなければ直ぐに留年するため、授業は静かに皆真剣に先生の話を聞いており、授業に集中出来た。
校内暴力で一番荒れていた時代に、横浜市内でも最悪と言われていた鶴見区の公立中学校を卒業し、推薦以外、現役で有名大学への進学など不可能な神奈川県立の底辺校ですら暴走族に所属する非行少年たちとの喧嘩で度重なる停学のため退学寸前だった私にとって、明治学院大学は、正に天国のような場所だった。
不良少年時代のように私に敵対し、根拠のない悪い噂を流す者や、学校帰りに駅や街角で待ち伏せする奴らはもういなかったのだ。
中学、高校時代と違い、駿台予備校で真面目に授業を受け、勉強する習慣がすっかり身に付いていたため、何と成績は四年間優秀なまま最初から最後まで奨学金をもらい続けることが出来た。
社会に出てから、周りの人々との間に社会貢献についての考え方など、弱冠の違和感を感じることが多かったのだが、それは明学で受けていた教育内容との差でもあったのだろう。
私の父の実家のある山形県庄内地方では、我が一族の先達であり先祖となる本間光丘が、東北地方における公益の祖として広く尊敬されており、一族の末裔となる私にも、子供の頃から先祖の偉業を父に厳しく教え込まれていたので、何の違和感もなく明学での教えを当然のこととして受け入れてきた。
だが、世の中には偽善が蔓延り、人のためにお金にもならないのに、一所懸命頑張るのはおかしい、絶対に裏で何か悪いことでも企んでいるはずだ。
と、疑う人の方が増え、根拠もなく悪い噂を流す奴らの云うことを信じるようになる。
2009年3月からそれまでアナログ人間だった私がブログを始め、現在ではfacebookやTwitterまでやっているので、その間、私が何を考え行動をしてきたのか、確認してもらえば少しは真実が見えてくるのではないかと思う。
私は、社会学部社会福祉学科のある明治学院大学で社会学を学んだことを今でも誇りに思っている明学卒業生の一人だ。
昭和時代のアニメと漫画史研究家、明治学院大学卒の社会学士
本間正幸