198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

成蹊ミステリ・フォーラムその2 、伝説の雑誌『幻影城』と、江戸川乱歩の軌跡【怪人二十面相】

2013-04-04 00:27:00 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
先週で【ビブリア古書堂の事件手帖】が終わってしまい、月曜の夜9時が寂しくなってしまったが、改めて本に纏わるブログ記事更新の必要性を私に諭してくれた。
本好きのコレクター初心者向けの入門編としては、良いドラマだった。
キャスティングや、視聴率の低迷ばかりが話題となっていたが、高視聴率を獲得したTBSの【とんび】と共に、私は高く評価したいと思う。

#10「江戸川乱歩・少年探偵団」

「少年探偵団」シリーズは、戦前の『少年倶楽部』に連載された講談社版四冊【怪人二十面相】【少年探偵團】【妖怪博士】【大金塊】すべてが高額な稀購本となるので、昭和24年に山川惣治の挿し絵で『少年』に待望のシリーズ連載が再開された【青銅の魔人】から始まる戦後の光文社版を先々週のドラマの中では話題にしたのだろう。
戦後、講談社系列の光文社が、戦前の講談社版四冊全てを単行本として再刊し大いに売れたことが連載再開のきっかけだったと、推理作家の芦辺拓先生も、後述する光文社文庫の【少年探偵王】(2002年)解説の中に書かれていた。
私は、少年時代に【怪人二十面相】の完全復刻本だけを手に入れて、「少年探偵団」シリーズの収集を早々と諦めていた。
ポプラ社版は、小学校の図書館の蔵書や学級文庫にあり、さほど珍しくもなく量が多くて嵩張り、光文社版まで遡って集める資金力があったら、当時は何処にも保存されていなかった戦後の少年少女漫画の単行本や、『COM』(虫プロ商事)、『ガロ』(青林堂)の雑誌類や『少年画報』に連載された探偵漫画史上不朽の名作である河島光広先生の【ビリーパック】を始め、月刊少年少女雑誌の別冊付録の数々を集めてみたかったのだ。
ましてや講談社版のオリジナル本など、高価過ぎて当時から手に入れられるはずもなかった。
戦後の「少年探偵団」シリーズは、『少年』だけでなく『少年クラブ』と『少女クラブ』、三誌同時に連載された時期があり、ドラマの中に出てきた【魔法人形】【塔上の奇術師】は共に『少女クラブ』連載作品となるので、女の子が夢中になるのにも説得力がある。
少年探偵手帳は、『少年』の付録に付いてたものと、バッチを集めて交換出来る市販されたものがあったはず。
現存数は共に少なくとても貴重。

私が、江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズに再び興味を持つようになったのは、2002年に光文社文庫の【少年探偵王】に編集協力してからだから、未だ日は浅い。

さて、2013年3月16日土曜日、私は成蹊学園創立100周年記念行事「成蹊ミステリ・フォーラム」あなたが目撃者になる、に参加する。
今日の画像は、戦前に講談社から発行された江戸川乱歩の【怪人二十面相】の復刻版と、【乱歩の軌跡】など関連書籍。

ミステリ資料展示(11:00~16:45 於:情報図書館2階)

●夢野久作書簡(未公開資料)
●成蹊ゆかりのミステリ作家資料展示
●ミステリSFコレクション書庫見学(11:00~12:00限定)

ミステリ研究・講義(13:30~16:30 於:4号館ホール)

●【新資料紹介】夢野久作から森綾子への手紙
報告 成蹊大学大学院生有志〈seminer Q〉
●変格探偵小説と山田風太郎
講義 谷口基氏
●「モルグ街の殺人事件」はどう読まれてきたか
ーアメリカ探偵小説と近代日本
講義 井上 健氏


ミステリ講演(17:00~18:00 於:4号館ホール)

島田荘司氏講演
「ミステリー史と、WHATDUNIT」

懇親会(18:00~20:00)

最大の目的はミステリSFコレクション書庫見学なので、珍しく早起きして9時には家を出る。
そして、東横線菊名駅から新しい駅ホームが出来たばかりの渋谷地下駅を利用して、井の頭線に乗換え吉祥寺に。
駅からバスで成蹊学園前で降りる。
成蹊大学へは、今回が4度目の訪問。
最近、成成明学(成蹊、成城、明治学院)なる受験用語があるようだが、確かに私の母校である明治学院大学と、成蹊大学には似たような雰囲気が少しある。
はてなキーワードでは、明治学院大学、成蹊大学、共に最近の関連キーワードに私、本間正幸の名前が出てくるようになった。
かつて成蹊大学文学部学会編纂による本に、漫画史に関する論文を発表した縁からだろう。
明治学院大学在学中から、常に異端児だった私からすると、不思議な気分だ。
私が受験生だった時代には、成城、成蹊、学習院、武蔵の四校が、旧制高校繋がりで校風が似ているとされていた。
私の出身校である、神奈川県横浜市にある県立の公立高校の今年の偏差値は45であり、私の在学中でも偏差値は50弱。
更に、その底辺校ですら、暴走族などに所属する非行少年たちとの度重なる喧嘩のため何度も停学をくらい、高二の春には退学寸前の始末。
地元である横浜鶴見のアウトローの間では、少しは名の知れた硬派な不良少年になっていた。
国語や日本史など、文系科目のテストの点は、停学のため授業に出れなくても、常に学年トップクラスの成績だったけれど、大学進学など夢また夢で興味がなく、まるで眼中になかった。
かたや、明治学院高校の今年の偏差値は71。
明治学院東村山高校で67。
高二の夏に父が病気のため長期入院し、病室で癌との壮絶な闘病生活を送る父の姿を見て流石の私も秋には心から改心をする。
病室に横たわる父を安心させようと、

「お父ちゃん、これから俺は真面目に高校も卒業して、良い大学へも進学してみせるからね。約束するよ。」

高三の春に父は47歳の若さで亡くなる。
父との約束を果たすため、希望する明治学院大学社会学部社会学科合格を目指して、駿台予備校で一浪。
けれども、奨学金を貰い全日空系の旅行会社の添乗員として働きながら、明学の夜間で学ぶことしか、私には出来なかった。
社会学科での成績は常にトップクラス。
無事に四年間奨学金を貰い続け、当時の社会学科の生徒にとって、憧れの人気企業だった日本旅行へ大卒総合職として入社。
当時の受験者は2万数千人で合格者は三百人。
明学からは6人合格し、社会学科の生徒からは、昼、夜合わせて私だけの合格で、夜間出身の合格者は、私と神戸大学夜間の出身者くらいしか見当たらないので夜学出身者にとっては狭き門だったはず。
因みに、入社前から当時の運輸大臣認可の海外旅行の添乗員の資格を持っていたのは私だけだったようだ。
そして全国三百ある支店の一つ、横浜教育旅行支店勤務から、二年弱で本社海外旅行セクションであるマッハ事業部販売促進部勤務となり、エジプト旅行のプロモーションを担当し、当時エジプト旅行が日本でもブームとなる。
当時の日本旅行は、旅行業界最古の老舗で業界三位の規模。
社員は約5000人。
本社勤務は数百人で、本社の下に地方毎に区分けされた八つの営業本部、営業本部の下に全国三百の支店が統轄されていた。

さて、自宅から約100分、噂の情報図書館2階で受付を済ませ、書庫見学へ。
チラシを見て、勝手に期待していた1時間の滞在は出来ず、11時15分からの回で15分だけの滞在時間は、非常に短く名残惜しかった。
受付で荷物を預けさせられた上、本に触れないのは未だしも、もっと自由に書庫内を眺めてみたかったのだが・・・。
何故なら、あまり知られてないことだが、この書庫の蔵書の中には私が勝手に父のように慕っていた我が師匠である二上洋一先生の蔵書も寄贈されているのだ。
二上先生の蔵書が、どのように保存・活用されているのか見届けることが、弟子筋のコレクターである私の役目でもある。
係員の説明の中に二上先生の名前を聞いて、私は・・・。

私が初めて成蹊大学を訪れたのは、昭和文学学会総会での、二上先生の講演を聞くためだった。
そして、二上先生が講師として講義をされるようになり、その縁で成蹊大学に蔵書を寄贈され、新しい図書館が新築されたことも随分前から知ってはいたが、図書館を訪れたのはこれが初めてだった。
【ドグラ・マグラ】の作者夢野久作書簡の未公開資料展示や、有馬頼義の自筆原稿及び著書の展示、卒業生で現役作家である小池真理子さん、桐野夏生さん、石田衣良さんの著書展示など見学には充分な時間設けられ、院生による説明15分を聞いて、独り淋しくすき家で牛丼の昼飯を食べる。
そして、他にやることも、話相手も誰もいないので、午後からの講義の受付開始時間である12時30分過ぎにいち早く会場へ行くと、驚くべき特典に遭遇する。
伝説の雑誌として知られる『幻影城』や『ミステリマガジン』など、図書館に寄贈された雑誌のダブりが、一人15冊までフォーラム参加者に進呈されると受付横の本棚に書いてある。
しかも、私が受付に来た最初の数人のうちの一人なのだから、棚はまだ誰にも荒らされていない。
私は、創刊号からの『幻影城』NO.1.2.3.4.6.9.10.11.12.22.44.51と、『推理界』昭和42年創刊号、『ミステリマガジン』創刊400号記念特大号、『EQ』20周年記念特大号翻訳ミステリーの20年の15冊を選び抜くことになるのだが・・・。
途中、

「袋か何かないですか?」

という私の質問に、受付スタッフは想定外だったようで、用意はないと言う。
ならば、帰りにコンビニで袋を買って持ち帰る覚悟で選び続けていると、途中スタッフが袋を、急遽用意してくれたから有り難かった。
私が選んだこの蔵書の中には、きっと二上先生の蔵書だった雑誌が含まれている。
『推理界』のみ、戸川安宣さんの蔵書印が押されていたけれど。(*´∀`)♪

これは、二上先生の蔵書が私を呼んだのだ。
コレクターを35年以上もやっていると、時たま欲しかった本が、格安で手に入ることなど不思議な巡り合わせがあるのだが、奇妙な因縁も付きまとう。
そのことは、後で自宅に帰ってから本の中身を見て確信する点があった。
後の講義や講演については、ミステリ研究者の研究レベルの現状や、成蹊大学学院生の雰囲気が伝わってきた。
普段、私は漫画やアニメ、映画の研究者としか接する機会がないので、他分野の研究フォーラムには参加する機会が非常に少ない。
良い経験だったが、知人がチラシを私にくれた成蹊大学の浜田雄介教授だけだったのは、淋しい限り。
司会や生徒の世話など、忙しそうにしている浜田先生に、あまり迷惑をかける訳にはいかないので、大人しくしていた。

さて、そんなわけで懇親会には申し込まずに頼まれている原稿の執筆のために直ぐに帰宅したのだが、帰宅して『幻影城』1979年5月号No.51の中に、懐かしい二上洋一先生の文章を見つけることが出来たので一部分だけ紹介しよう。(*´∀`)♪

「日本児童文学学会奨励賞」受賞の記

(前略)
受賞式は、夕方の総会の前に行われることになっており、それまでは、研究発表の時間が持たれていた。
京都女子大中川教授の司会で、次々と若手の研究家が登壇し、自分の研究成果を発表していた。
大教室の堅い椅子へ座るのは、二上洋一にとって、十数年振りのことであった。
まして真面目な研究発表を、授業のように聞かされるのは、もう忘れ去った遠い昔の出来事が、不意によみがえってきたような惑いを感じた。
彼は、代返をしてくれる人を探すように、周囲を見廻した。
しかし、知った顔は、全く見つからなかった。
何度目かに、早稲田大学の鳥越信教授の顔を見出した時、彼は、少しホッとした。
鳥越教授は、彼がこの道に足を踏み入れるキッカケを作った恩師だった。
といっても、無論、その他多勢の中の一人であった二上洋一のことを、鳥越教授が覚えているわけはなかった。
全く意識しないところで、二上が勝手に啓示を受け、勝手に、その道に踏みこんでいったに過ぎない。(後略)

雑誌『幻影城』は、私が勝手に亡き父のように慕っていた我が師匠である故・二上洋一先生から、不肖の弟子である私への天国からのプレゼントだったのかも知れない。(*´∀`)♪






先週から引っ張った【晩年】のエピソード、復刻本がキーとなるのは、残念ながら私には、途中から見え透いてしまっていた。
何故なら、本物のコレクターなら、復刻本を二セット以上持っていることなど日常茶飯事。
昨年、秋田書店から発売された完全復刻本【沙漠の魔王】については、高額本ながらも最近は貧乏に甘んじている私でさえ、実際に二セット購入しているのだから。
古くからのコレクターなら、大切な本は一冊は永久保存用、二冊目は閲覧、貸出し用、三冊目は、交換、転売用として購入するのが基本だ。
古書の場合、経年劣化により其々保存状態が異なるので、状態が悪い物を高額で購入した後、比較的状態の良い物が安価で市場に出回っていたら、再度購入してしまうのがコレクターの本能。
私も、お気に入りの本や雑誌『COM』全巻セットや【カムイ伝】連載中の『ガロ』については、複数所持している。
さて、今回のエピソード

#07「複数の真実」

において、古書漫画の最高峰、足塚不二雄の【UTOPIA 最後の世界大戦】が遂に登場した。
私の得意分野、いや、専門分野となるので、番組の解説を補足したいと思う。

【UTOPIA 最後の世界大戦】

に高額な値付けをしたのは、みなさんご存知の中野のまんだらけ、古川益蔵さんである。
漫画古書専門店としては、神田神保町の中野書店が業界の皮切りとなる。
続いて現代マンガ図書館が1978年秋にオープンした際、年四回の即売展が活況を呈した。
私は、小学生の頃から、横浜鶴見より、神田神保町にある中野書店に通った。
直ぐに早稲田にある現代マンガ図書館がオープンとなり、オープン記念の即売展から駆けつけたのだから、古書漫画コレクターとしては、当時最年少の部類であり、35年以上のキャリアを持つ時代の証言者と充分成り得るだろう。
当時まんだらけは、まだ全国区ではなく、現代マンガ図書館の即売展においては、奥野さんの観覧舎と同じく一参加店に過ぎなかったのが私の印象だ。
駿台予備校の浪人時代、予備校での友達で上杉家の末裔だと言うN君が(私の先祖の本間光丘は、上杉鷹山に大名貸しをしているのも何かの縁だろう。予備校の友達の間では日本史の授業で大ウケとなった)中野に住んでおり、中野に凄い古本屋があると教えられて通い始めたのが1985年。
それまでは、鶴見の西田書店、蒲田の龍生書林、三軒茶屋の喇摩舎、神田神保町の中野書店、早稲田にある現代マンガ図書館の即売展が、主な私の縄張りだったし古書漫画の購入先だった。
まんだらけの快進撃は、【UTOPIA 最後の世界大戦】の値付けに始まる。
次に写真付きの分厚い古書漫画目録を発行したのも、革新的なアイデアだったし、コスプレ店員なども、マスコミの注目を集めた。
年四回の古書漫画即売展で、年間の運営費を稼いでいた現代マンガ図書館は、オープン時に全国から善意で寄贈された本でダブリの分の転売が底を尽き(大切な本を寄贈された方の善意を何と思っていたのだろう)、即売展参加料のマージンの高さと、売上げに対して納入する歩合の高さから、まんだらけ始め主要古書店の参加が次第に少なくなり、現代マンガ図書館での古書漫画即売展の人気が凋落してしまったのは、内記さんの古本屋としての人間性が全ての原因であるため自業自得としか言いようがない。
扱う古書漫画も、貸本上がりで酷く保存状態が悪い物でも、タイトルだけで高値がついていたため、どうせなら、状態が良い物を欲しいと考える新書本コレクターたちが増えるようになると、敬遠されるようになっていったし、私の足も遠のくようになった。
テレビ東京の【開運!なんでも鑑定団】での古川さんのレギュラー出演も、古書漫画収集に人気を呼んだし、古書漫画に驚きの高値が付くことを一般人にも広く知らしめたため、現代マンガ図書館に貴重な蔵書を寄贈する人は激減、せっかく寄贈した本を売るくらいなら返してくれと抗議した人もいたが、その時には既に売却済みだったようだ。

さて、【UTOPIA 最後の世界大戦】が展示中に盗難にあったという事実は、古川さんの著書にも書かれているし、未だ犯人も、盗難された本も出てきてはいない。

そのエピソードを、絡ませているところに、今回の話の面白さがあった。

【UTOPIA 最後の世界大戦】には、完全復刻版がある。

名著刊行会から限定一千部で昭和56年に発行された物と、2011年に小学館クリエイティブから発行された物。

鶴書房から発行された【UTOPIA 最後の世界大戦】のオリジナル本は、市場価格300万前後となっているので、私は名著刊行会から発行された復刻本シリアルNo.0638番で満足している。

名著刊行会から発行された復刻本でさえ、一時期2~3万のプレミアがついていたが、新しい復刻本が出回ったのでもう少し安くなっているだろう。

さて、新しい復刻本が出る前段階で、私が直接関わった驚くべきエピソードをここで初披露しよう。

平成18年1月から逓信総合博物館で

松本零士コレクションでつづる
「漫画誕生から黄金バットの時代」展
において、企画段階から版権処理に深く関わっていた私は、【UTOPIA 最後の世界大戦】と【沙漠の魔王】【正ちゃんの冒険】の展示に執着した。
中でも、当時、藤子不二雄時代の共作は全て絶版となっており、【UTOPIA 最後の世界大戦】の展示は、博物館の関係者誰もが、絶望視していた。
私は、駄目で元々の気楽な立場だったので、先ずは旧知である@先生サイドのマネージャーさんに連絡を取って相談してみる。

「【少年画報大全】で、@先生に【怪物くん】のインタビューをさせてもらって大変御世話になった研究者の本間です。
今度、逓信総合博物館で、企画展があり、そこに松本零士先生が所蔵する【UTOPIA】を展示したいんですけど、
難しいですよね。」

すると、直ぐに二つ返事で

「いいわよ。」

「えっ、大丈夫なんですか。」

「そんなに、変なことに使ったりするんじゃないでしょ。だったらいいわよ。向こうの担当者にも、きちんと許可を取ってね。」

私は、吃驚してしまった。
直ぐにF先生サイドに連絡を取る。

「うちはいいですけど、@先生側が何というか。」

「今、MさんにはOK貰えたんですよ。」

「えっ!本当ですか?だったらうちもOKですから。」

私は、この時、日本中の誰よりも一番早く藤子不二雄先生の共作が、再び復刻される日が来ることを予見したのだった。

藤子不二雄作品の初期単行本や、附録など、撮影でどうするのか興味深々だったが、ビブリアで買い取って売ってしまったとするなど、古書コレクターだけでなく、古書店主の性質も綺麗事だけでなく見事に真実を描いている。
現代マンガ図書館の内記稔夫氏が、寄贈された本を即売展で売っていたことは、あまり語られていない気がするが、紛れもない真実である。
古書店主は、お客さんの足許をみて買取りをした。
コレクターが死後、本の価値を何も知らない遺族が本を処分するとなると、二束三文の値を付けて買い叩いてくる。
町の古本屋が廃れてブックオフが一挙に流行った理由として、単純明快な買取り方法があげられる。
さて、【ビブリア古書堂の事件手帖】に類似する先行作品だった芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】の掲載誌が少年画報社から小学館に変わって【金魚屋古書店】となったことにより、作品のクオリティが落ちてしまったことがある。

【金魚屋古書店】第6巻に収録されている第39話「古本のお医者さん」にて、【UTOPIA 最後の世界大戦】を取り上げているので、【ビブリア古書堂の事件手帖】と読み比べて貰えば作者の力量の違いが皆さんにも実感出来るだろう。
巻末お役立ちコラム金魚屋古書店雑記帳も、私には殆んど役に立ったことはない。
本来、作中に登場する作品の魅力を伝えるはずのコラムが、第1巻第4話の【ビリーパック】を始め、まるで機能していないようにすら感じられる。

コラムを担当する見ず知らずの田舎のオジサンが子供の頃に虐められていたことを知って、いったい何の役に立つのだろうか。

「そしてビリーのハンサムな顔立ちが人気の秘密だった。」

とあるが、作者である河島光広先生は、単行本初版の作者の巻頭の言葉にて
-この本をごらんになるみなさんへ-

ビリー・パックは、アメリカ人のおとうさんと、日本人のおかあさんとのあいだに生まれた、混血児というかわいそうな運命をもった少年です。
しかし、おとうさんのおしえをよくまもり、世の中にはびこる悪い人たちをこらしめるために、どんなにおそろしい敵にも、ゆうかんにむかっていく、りっぱな少年なのです。
どうか、みなさんも、このゆうかんなビリー・パックを、おうえんしてやってください。

とある。
そう、当時の日本の都会では、混血児は差別の対象であり、ハンサムな顔立ちが人気となるのは、ほんの少し後のことなのだ。
当時の微妙な時代背景を、1948年生まれの田舎のオジサン一人の思い込みだけで語られてはたまらない。
【赤胴鈴之助】は、孤児の少年が日本一の少年剣士を目指すことに共感され、【ビリー・パック】は、アメリカ帰りの混血児で孤児の少年探偵が、悪漢相手に正義の戦いをすることに共感されたのが人気の秘密だったのだ。

「突然の病で急死。作品は弟子の矢島利一に引き継がれる」

河島先生は、【ビリー・パック】連載開始当初から、肺結核のため名古屋の自宅二階のベットで寝たり起きたりの状態だった。
長期の闘病生活の後、30歳の若さで急逝される。
突然の病で急死などではない。
矢島利一先生は、街頭紙芝居からのキャリアを持ち、『少年』で【遊星王子】のコミカライズ連載を担当している。
病気がちな河島先生のアシスタントを務めたが、弟子であったという話は聞いたことがないのだが・・・。
因みに、最初のアシスタントは、福元一義先生となり、代筆をしていることが広く知られている。
実際の【ビリー・パック】について詳しく知りたい方は、

【少年画報大全】(少年画報社・2001年、現在三刷)

【少年探偵王】(光文社文庫・2002年)

【『少年画報』誕生60周年記念復刻】「赤胴鈴之助」「ビリーパック」「まぼろし探偵」3冊セット(少年画報社・2007年)

【明治・大正・昭和の大衆文化-伝統の再創造はいかにおこなわれたか-】(彩流社・2008年)

【少年画報】昭和35年正月号完全復刻(少年画報社・2010年)

をご覧いただければ幸いです。
単行本完全復刻に際しては、私が所蔵する初版の本をバラして原本としましたので、先程ご紹介した作者の言葉も確認出来ます。
其々【ビリーパック】に関する解説なども、全て漫画史研究家である私が関わっていますので間違いはありません。
先程の田舎のオジサンや、編集部の担当者が、もし、この中の一つでも私の解説を読んでいたのなら、あそこまで酷いコラムが世に出ることもなかったと思うのですが、誠に遺憾としかいいようがありません。

【金魚屋古書店出納帳】がヤングキングアワーズ増刊12月号『アワーズガール』(平成12年12月2日発行)で初登場した際、私はこの作品に大いなる期待を寄せた。
少年画報社が満を持して創刊した

「こだわり少女のコミック誌オール新作読切14作」

伊藤潤二
今市子
波津彬子
犬上すくね

を別格に

篠原烏童/大沢美月/黒田硫黄/有元美保/芳崎せいむ/川原由美子/逆柱いみり/おがきちか/小石川ふに/佐々木久美子

の中、伊藤潤二先生目当てでこの雑誌を手に入れた私に、未だ名前すら知らなかった芳崎せいむ先生の才能の煌めきを感じさせてくれた。
だが、掲載誌となる『アワーズガール』は廃刊となり、続く『アワーズライト』も廃刊。

小学館の『IKKI』に移ってからは、掲載誌を追うこともなくなり、単行本も古本屋でまとめて購入するレベルになってしまった。

ネット上で漫画史研究会を代表する論客という評判の伊藤剛をして

「芳崎せいむ【金魚屋古書店】に唾を吐け」

と言わしめたのは、漫画古書コレクターと古書店主の本質と真実を、全て美談にすり替えて描いていたことに対する正直な苛立ち、嫌悪感だったのだろう。
伊藤には、【ビブリア古書堂の事件手帖】の登場まで、【金魚屋古書店】の先行作品としての意義を見出だせることは出来なかったし、小学館の編集者も、せっかくの【金魚屋古書店出納帳】の持ってる世界観を【金魚屋古書店】では間違った方向性へと導いてしまったと私は考えている。

本来【金魚屋古書店出納帳】には、【ビブリア古書堂の事件手帖】より先に大ブレイクする可能性、魅力を秘めていた作品だったのだが、担当する編集部と作品の本質を見極めることの出来ない評論家の心ない発言によって、作品のレベルを凋落させてしまった感が否めない。
作品を生かすも殺すも、編集者や読者の存在が必要不可欠だが、上から目線の評論家の発言には、何の意味があったのだろう。
【ビブリア古書堂の事件手帖】大ブレイクの影響だろうか、伊藤剛は昨年、文化庁の委員の一人として【金魚屋古書店】を推薦漫画として評価する。
伊藤剛の鮮やかな変節ぶりは、批評家としての見事な処世術だったのだろうが、ネットが普及した現代において、ネットにおける過去の発言からも全ての真実と本心が見え透いてしまうのだからその特性を早く理解するべきだろう。

以上が【ビブリア古書堂の事件手帖】と、芳崎せいむ【金魚屋古書店出納帳】と【金魚屋古書店】の違いに対する何のしがらみもない在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸の現在の評価です。

漫画史研究会を象徴する伊藤剛たち上から目線の発言のみで、何も生み出さない漫画評論家、批評家たちと、昭和時代の名作漫画の発掘による温故知新で、漫画界の復活を心より願う漫画史研究家の違い。
同じ漫画史を研究テーマにしていても、水と油、その人間性の本質は大きく異なっています。

なので、これを機会に4月からは

【ニュー・マンガ・パラダイス~昭和漫画古書収集奇譚】

と題して、漫画古書に関して【ビブリア古書堂の事件手帖】に倣って、私がこれから電子書籍化したい名作に纏わる取って置きのエピソードの数々を、シリーズで語っていきたいと思います。

私の思想には、先祖から代々伝わるサムライとしての武士道の精神と、庄内地方で公益の祖として慕われる一族の先祖、本間光丘の輝かしい業績に対する誇りと本間家に代々伝わる家訓、明治学院大学で学んだ他者への貢献の精神が大きく影響しているようです。
直接師事した先生方、故・松田春翠先生、故・二上洋一先生、石森史郎先生、心の師匠である平山亨先生の中には、現在もその著書が全国書店で発売されている方もおりますので、是非、ご一読を。

facebook上で、私が交流している人たちも、大半はリアルな知人であり、信頼がおける人達となりますので、参考までに。(*´∀`)♪
以下は、先週の感想になります。









「脅されているんです、異常な男から」

良く出来たドラマだ。

古書を愛する人たち、マニア、コレクターの習性を見事に描いているが、実際の人たちのビジュアルを忠実に再現しなかったのが大正解。(笑)
私が知るマニアやコレクターたちも、大概は本に対して異常な執着心を持ち、知人ではあっても絶対に友人にだけはなりたくないと思わせるビジュアルとルックスである。
最近では、ホンジャマカの石塚さんと、伊集院光さんを足して2で割ったような一見善人そうに見える独特のビジュアルだけでなく名前まで隠してブログをやっており、私がブログを始める何年も前に、成蹊大学から共著として発表した漫画史に関して私が書いた論文の何ら根拠のない誹謗中傷を発売後直ぐにわざわざブログに書いていた。
そのコレクションにかける情熱の素晴らしさとは裏腹に、異常な執着心がブログの端々から伝わってくるのを本人も、交流している人たちもまだ誰も気付いてはいないようだ。
【少年画報大全】発売直後、少年画報社の編集部宛に、半分に引き裂かれ、意味の無い赤い線が多数書き込まれた【少年画報大全】が送られてきたことがある。
50代後半、定年退職間近だった添田善雄編集長は、編集者生活初めての体験に非常なショックを受けていたようだが、私は前述したように異常な行動をとるマニア、コレクターたちの生態を見聞、理解していたので、さほど驚くこともなかった。
古書業界では、『冒険活劇文庫』や絵物語、街頭紙芝居収集に対して、常軌を逸した行動をとるコレクターが存在するのが広く知られている。
だが、絵物語や戦後の少年少女雑誌における日本一のコレクターは、彼ではなく、銀座にある若山美術館のオーナー若山さんだろう。
若山さんには、私が【少年画報大全】を監修した際にも、快く資料協力していただけた。
前述の彼とは、当時から面識があり、協力依頼をしてみたのだが、真逆の対応独特の価値観に当時大変驚いた。
【少年画報大全】発売以降、私と彼との交流は一切ないのだが、ネット上では今も知人の如く彼のブログに私の著書の悪口まで書き込まれていたのだからたまらない。
マニア、コレクターの妬み、執着心、逆怨み恐るべし。(* ̄∇ ̄*)

先週の金曜日、読売新聞と朝日新聞の朝刊に記載された鳥越信さん、本郷功次郎さん、高野悦子さんの訃報記事を読み比べてみた。


鳥越信さんの訃報記事は、読売新聞のみで、上記の二人と違い写真の掲載もない。

鳥越信氏 83歳(とりごえ・しん=児童文学評論家)14日、老衰で死去。
葬儀は近親者で行う。
喪主は長男、恭(きょう)氏。
早稲田大学教授として児童文学研究に取り組み、収集した12万点の資料「鳥越コレクション」を1979年、大阪府に寄贈した。
これを基に84年、吹田市に「府立国際児童文学館」が創設され、運営に当たった。
同館は2010年に廃止され、資料は東大阪市の府立中央図書館に移された。
「日本児童文学史年表」で1976年の日本児童文学者協会賞などを受賞した。

とある。
鳥越信さんの名前や著書など、漫画史研究家として、何度も目にしたことがあるし、一度だけ府立国際児童文学館も利用したのだが・・・。

せっかくの寄贈資料を、十分活用出来なかった施設と後進の研究者たち。
施設関係者たちと、漫画評論家たちは、橋本市長に責任を転嫁し、糾弾したが、賢明なる一般世間の共感を得ることは出来なかった。
在野にいる漫画史研究家である私の施設に対する評価は、賢明なる一般世間と同じく廃止やむなしであったし、今も変わらない。
一度も面識のない鳥越信さんに対する私の評価は、研究者としてよりもコレクターとしての方が高い。
1978年に3万冊でオープン、有料で公開した現代マンガ図書館 内記コレクションよりも、1979年に12万点の資料を収集し無料で公開した鳥越コレクション。
府立国際児童文学館の存続を訴えていた漫画評論家たちの多くは、鳥越さんの追悼記事すら書いていないようだ。
故・二上洋一先生の師匠筋にあたる鳥越信さんの訃報に際し、せめて二上先生の弟子筋である私だけは、鳥越信さんのコレクターとしての功績を高く評価しておきたい。

鳥越さんの御冥福を祈ります。
鳥越さんが集められた貴重な鳥越コレクションについては、在野にいる漫画史研究家である私、本間正幸がいつの日にか必ず後世の研究者の礎として活用させていただきますから御安心下さい。


2013年2月17日

漫画史研究家

本間正幸

さて、15日(金)はのらくろ館のある森下文化センターへ。


辻真先が案内するミステリの世界

講師:辻 真先
(作家・本格ミステリ作家クラブ 会長)

探偵たちの名推理、怪盗たちの鮮やかなトリック、崩されるアリバイ、密室の謎、不可能への挑戦・・・。
数々の魅力があふれるミステリの世界を堪能してみませんか?
講師にミステリ作家、辻真先を迎え、豪華なゲストをお招きして、色々な角度からバラエティに富んだミステリの世界をご案内いたします。

カリキュラム

第1回(10/19) 日本のミステリの歴史~戦前編~

第2回(11/16) 海外のミステリ~山前譲(ミステリ研究家)との対談~

第3回(12/21) 日本のミステリの歴史~戦後編~

第4回(1/18) マンガ・アニメの中のミステリ~唐沢俊一(作家・評論家)との対談~


第5回(2/15) ミステリの現在~東川篤哉(作家)との対談~

金曜日 全5回 19:00~20:30

定員25名

受講料:7500円(全五回分)
教材費:200円(全五回分・資料代など)

全五回共、受講料のわりに大変充実した内容、大満足の講座であった。
脚本家で知られる辻先生の推理作家としての顔も、今回の講座から少しは判るようになった気がする。
定員25名は、まさに参加者の情報収集力と、意識の高さをはかる目安となり得た。
漫画やアニメの評論家として知られる顔は、殆んど見あたらなかったのだから、やっぱりな、と言う印象である。
帰りに一階展示ロビーで行われている

おおやちきの世界展

~伝説の漫画家、『りぼん』『ぴあ』からイラスト、パズルまで~

2/14(木)~3/3(日)

を観てから帰る。
永遠の少女まんが展に比べ、今回は見応えを感じた。
一人の作家の足跡をきちんと掘り下げることが出来ていたからだ。
おおやちき先生について、故・米沢嘉博さんの本が展示されていた。
米沢さん以外、未だにきちんとおおやちき先生の作家性を、誰も把握出来た研究者が育っていない哀しい現実を痛感した。


三連休の中日である昨日、私は前から大変興味のあった三つの展示会を観に行きました。

その一つが、偶然にも今日の日本経済新聞の文化32面にも取り上げられています。

挿絵で描く人間の本性

◇新聞や週刊誌で作家と組み67年、今も現役◇

濱野彰親


挿絵画壇の重鎮

濱野彰親展

モノクロームへの眼差し
ー人間の本性を暴くー

弥生美術館



2013年1月8日(火)~3月31日(日)

濱野先生に会えるチャンス!ギャラリートーク&サイン会

1.2月10日(日)14:00~
2.3月17日(日)14:00~
3.3月24日(日)14:00~

本日の画像は、記事が掲載されている新聞記事をベースに弥生美術館のチラシと、展示会に併せ株式会社ラピュータから発売され、サインを入れて貰った

濱野彰親挿絵原画集
モノクロームへの眼差し

松本品子・編。
定価(本体2800円+税)

私は、午後2時過ぎに弥生美術館に到着。

来館者でフロア一杯の会場の末席で、濱野先生を交えた学芸員のギャラリートークを聴いておりました。

老若男女、とても幅広い参加者。

小松崎茂先生門下の根本圭助先生にも、会場で久々に挨拶出来たし、2006年から『SFマガジン』(早川書房)連載の「SF挿絵画家の系譜」を【SF挿絵画家の時代】(本の雑誌社・2012年)として単行本にまとめて話題の大橋博之さんからは、消費税分をサービスしてもらい、著書を直接購入。
定価(本体1800円+税)。
この本については、私のお薦めの一冊なので、後日改めて紹介したい。

一時間弱のギャラリートークの後、始まったサイン会。

売店で本を購入し、濱野先生から本にサインを入れて貰った後、隣接する竹久夢二美術館で学芸員のギャラリートークに参加。

"見知らぬ世界"を求めて

旅人・竹久夢二

ー旅、恋、異国への憧れー

2013年1月8日(火)~3月31日(日)

◆学芸員によるギャラリートーク◆

1.1/13(日)午後3時より
2.2/10(日)午後3時より
3.3/10(日)午後3時より

弥生美術館と竹久夢二美術館は、二館併せて入館料一般900円、大・高生800円、中・小生400円でご覧頂けます。
*高畠華宵の常設ルームも併せてご覧いただけます。

竹久夢二美術館のギャラリートーク参加者は、いつも女性の方が多いイメージ。

テーマを決めて毎回展示内容を変えているため、何度観に行っても興味深い。
私が初めて竹久夢二美術館に行ったのは2000年以降。
その時から収蔵作品も増えているのだろうが、もうすっかり見慣れてしまった物もある。
企画展毎、年4回、12年だとすると48回弱は訪れた計算になる。
竹久夢二が、庄内酒田に滞在したことは知っているが、今回、私の父の故郷である庄内鶴岡にも滞在していたこと、同じく銚子でのエピソードが有名だが、私の母の故郷の隣町である潮来へも滞在していたことが興味深かった。
晩年、横浜から船に乗って外遊したりと、画家よりも旅人としての先人であった夢二に、私は寅さんにも似た親近感を憶えたのだ。

昨夜のBSフジの番組「名画と歩こう 竹久夢二・長崎十二景を巡る」では、夢二好きで知られる女優の緒川たまきさんと共に、竹久夢二美術館の学芸員の石川さんが解説のため、出ていたようだ。
近年、竹久夢二研究家として、学芸員である石川さんの外部での活躍もめざましい。

ギャラリートークを終えた後、濱野彰親先生夫妻を交えて、隣の喫茶港やで、日本出版美術研究会の会合と情報交換会。
私は、2002年からここのメンバー。
大橋博之さんには、2006年にこの会合で初めて会った。
年は私より八歳上だが、私のメジャーデビューが2001年なので、私の方が随分早くなる計算だ。
著書の中で小松崎茂先生や、濱野彰親先生、根本圭助先生など総勢七一名取り上げているが、小松崎茂先生に直接長時間インタビューするチャンスにだけは、残念ながら恵まれなかったようだ。
私は、【少年画報大全】監修後直ぐの2001年夏に、東京ドームホテルにて、初対面となる中一弥先生、伊勢田邦彦先生、濱野彰親先生、そして根本圭助先生と夕食を御一緒する幸運にも恵まれている。
探し続けている本を手に出来る幸運や、憧れ続けている作家さんに直接逢える幸運、共に一期一会の場合がある。

昭和時代を代表する300人弱の漫画家さん、絵物語作家さん、挿絵画家さんの図版を取り上げ、その中から小松崎茂先生を始め、上田トシコ先生など10人の作家さんのインタビューを収録した【少年画報大全】(2001年・少年画報社)を監修する幸運は、昭和時代の漫画史研究家として、これに勝るものは今も見当たらない。

さて、港やを後にした私は、一人のらくろ館のある森下文化センター

【永遠の少女マンガ展】

へ向かう。

今日が最終日なので、昨日のうちに観ておいたのだが、クオリティーが高くて評判の美術館の展示を立て続けに観た後のためだろうか?期待に反してどうしても見劣り感が否めない。

評判の高い名著を買って読んだ後、アクセス数の多い人気ブログを読んだような気分にさせられた。

プロとアマ、前座と真打ちの実力の違い、順番が逆だったらまだ良かったのかも知れない。

原画の展示と、原画ダッシュの展示素材については一級品なので文句無し。

無料で読める少女マンガも、下手な漫画喫茶より素晴らしい充実ぶり。

だが、今回の展示会のための美術館の図録や書籍にあたるもの、少女マンガに対する愛情や志が足りないような気がするのが残念で仕方ない。

私が学生だったなら、文句なしの内容だが、プロの漫画史研究家の視点からすると、泣いて馬謖を斬る、苦言を呈さざるを得ない展示内容だ。

無料の漫画喫茶に、ドリンク代わりに貴重な原画が展示されている贅沢で素敵な空間、それが私の印象の全てだ。

故・米沢嘉博さんの遺志を継ぐような正統な少女漫画史研究家の長き不在、及び、美術館、博物館の学芸員ではないスタッフのみしか展示に関わっていないことが、心から悔やまれる展示内容だ。
せっかくのチャンスだったのだから、今出来ることはもっと沢山あったはずなのに。(涙)


2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。

配信対象の13作品※かっこ内は出版年

浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)

やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。

その為だろうか?

昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。

配信対象の五作品※()内は連載年。

上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)

以下、続々と電子書籍化予定です。


田河水泡・のらくろ館特別展

「永遠の少女マンガ展」


会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館

時間:午前9時~午後9時

会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】

東京都江東区森下3ー12ー17

TEL03(5600)8666

主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター

■原画'(ダッシュ)

出展作家

松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子

■三原順原画展示

■編集者・小長井信昌の仕事

小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。

■田河水泡と弟子たち

「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。

■おことわり

株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。

先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。


大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。

また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。

私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。

少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。


以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。


2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。

鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!

とある。

私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。

【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。

その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。

二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。

そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)

プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。

そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。

私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。

だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。

スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。

私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。

後は、私自身の才能と努力の問題である。

街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。

漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。
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