『クライマーズ・ハイ』は2003年1月に発表され、2006年に文庫化された作品。
主人公は北関東新聞の古参記者・悠木。現在の年齢は52歳。17年前の1985年に同僚の元クライマー・安西に誘われ、谷川岳に屹立する衝立岩に挑戦する筈でしたが、彼と待ち合わせしていたその日、御巣鷹山で日航機が墜落し、悠木は全権デスクを命じられて、安西との約束を守れませんでした。一方安西の方は、当日午前2時に繁華街で倒れているところを発見されて病院に運ばれ、そのまま意識が戻らず、植物状態に。「下りるために登るんさ」という謎の言葉を残して――。悠木は安西の息子と今衝立岩に挑戦します。17年前の出来事やそれ以前の彼の過去がフラッシュバックし、大半のページが過去に割かれます。日航機事故を彼がどう思い、全権デスクとして社内政治に翻弄されつつどう切り盛りして紙面を作っていったか。その一方で、安西の最後の日の足取りも追っていきます。また、以前に事故とも自殺ともとれる形で新米記者を死なせてしまったこと、その事件が悠木の身の振り方に与えた影響なども回想します。記者として、夫として、父として、友としての苦悩、怖れ、義憤、怒りなどが比較的淡々と描写されています。
そして、山登りを通じて、安西の息子の心細さを救い、悠木の息子・淳との親子関係を改善し、自分自身の過去を逡巡しつつも徐々に克服していく様子には山登りなどしない私でも共感できます。
1985年の日航機墜落事故は私も朧気ではありますが、覚えています。生存者の一人だった少女がかなり取り沙汰されていたように記憶しています。あれからいくつも飛行機墜落事故があり、大勢の方がなくなりましたが、それでも520人亡くなった日航機墜落事故の規模を上回る墜落事故はなかったように思います。
作品中で20歳の女性の口を借りて「軽い命と重い命がある」という問いかけはマスコミばかりでなく、私たち一人一人が自分に問いかけ考えて行かなければならないと感じました。例えば、2001年9月11日の飛行機2機を用いたテロで約5000人の方が亡くなりました。追悼報道は言うまでもなくたくさんあり、遺族たちのためにたくさんの義援金が集まり、911の犠牲者を悼み、アメリカに同情する空気が作られて行ったのをよく覚えています。でも、その後に続いたオサマ・ビン・ラデンを追い落とし、テロリストを殲滅戦とアフガニスタンに乗り込んだ米軍を始めとする有志連合軍の攻撃で亡くなった多くの罪のない人々に対してはどうでしょうか。
2010年代になって「イスラム国」のテロがネットの普及と共に世界中に頻発するようになり、一件一件は犠牲者も数人から数十人で規模こそ小さいですが、そのテロが欧米で起これば大きく報じられ、「イスラム国」に対する憎しみが増長されます。しかし、そうしたテロがほぼ日常的に起こっているアフガニスタンやイラクなどでテロがあっても欧米人や日本人が関わってなければニュースは軽く流されるだけです。日本では報道すらされないかもしれません。こうしたテロの犠牲者たちの命は確かに軽く扱われているとしか言いようがありません。そして大抵の人は関係のない「対岸の火事」としか捉えず、数日もすれば忘れてしまいます。私はそれが悪いと言うつもりはありません。世界中に溢れる悲惨な死・死・死・死・死。身近な人の死以外の多くの死を一々真剣に受け止めていられるほど人間の精神は強くないので、一種の自己防衛手段として感覚が鈍化し、麻痺するようにできているのではないかと考えられるからです。
けれども、時として立ち止まって考え、命の尊さを噛み締め、命は数字では計れないということを改めて想起し、感覚を研ぎ澄ます必要はあると思います。
そういうことを考えさせられる作品でした。
書評:横山秀夫著、『第三の時効』(集英社e文庫)
書評:横山秀夫著、『64(ロクヨン) 上・下巻』(文春e文庫)
書評:横山秀夫著、D県警シリーズ『陰の季節』&『刑事の勲章』(文春e文庫)
書評:横山秀夫著、『臨場』(光文社文庫)
書評:横山秀夫著、『深追い』(実業之日本社文庫)
書評:横山秀夫著、『動機』(文春文庫)
書評:横山秀夫著、『半落ち』(講談社文庫)
書評:横山秀夫著、『顔 Face』(徳間文庫)~D県警シリーズ