今夜は中秋の名月ということで、月といえばかぐや姫、あの竹取物語ですね。
竹取の翁が竹の中から見つけたかぐや姫、実は月の都の住人で最後には月に帰ってしまいます。
地上に来た理由が、何と罪を得て流されて来たという。
かぐや姫の罪とは何か? ずっと疑問でした。
竹の中から見つかった時は、まだ赤ちゃん。 赤ちゃんが罪を犯すなんてことあるのでしょうか? それとも地上に送られる時、罰として赤ちゃんにされてしまった?
月からの迎えの壮麗さを見ると、只の罪人を赦すにしては大げさです。 かぐや姫は月の都では相当な身分のようです。
それで思い当たるのは、罪といっても犯罪とは限らない、歴史によくある権力闘争。
勝者が敗者を一族もろとも罪に陥れて排除することがあったじゃないですか。 幼い子どもまで流罪にしたり。
かぐや姫のケースは正にこれじゃないですか?
姫の一族は月の都でも権力の中枢にいて、それが勢力争いに敗れて追い落とされた。 姫もその巻き添えで…。
あるいは、流罪という名目で、高貴な血筋である大切な姫を地上に逃がして保護したのかも知れません。
そのうち姫の陣営が勢力を盛り返し、権力の座に返り咲いて、地上に送った姫を月の都に呼び戻す。
そう考えると、豪華絢爛なお迎えだけでなく、姫を見つけた後、翁が竹を切ると黄金が出て来たというのも説明が付きます。 地上の姫の養育費を仕送りしたわけです。 只の罪人だったら、そこまでしないですよね。
この物語が出来た平安時代の人達なら、そのあたりは説明が無くても解ったのかも。
それがエコロジーと何の関係があるんだ? という疑問も出るでしょうね。
月は花、雪と並んで自然の美の代表、自然界の女王と言っていいでしょう(月を男性とする民族も多く日本神話でも実は男神なんですが、ここはかぐや姫のイメージで)。
つまり、かぐや姫は自然の美の象徴です。
そんな自然と人との関わり方が、この話から感じられませんか?
特に5人の求婚者が、姫に課題を出されて次々失敗する下りは、自然との関わり方の失敗例のようです。
大伴大納言は龍の首の珠を取ってくるよう求められます。
龍は自然の脅威、例えば嵐、台風。 それは恐ろしい災害をもたらすけれど、農作物に必要な雨などの恵みも与えてくれます。 その恵みが珠なのでしょう。
けれど、この人はそんな風に物事を考えない、武力一辺倒。 とにかく力で押して、自然の脅威の前にあっさり敗れ去ります。
阿倍(安部じゃないよ)大臣には火鼠の裘。
火の中に住む鼠の毛皮は火に入れても燃えない、なんて有りそうにないですが、厳しい自然の中に生息する生き物の中には、その厳しさを利用して見事に適応している物もいます。
それはともかく、阿部さんのやり方はとにかく金に物を言わす。 「金さえあれば手に入らない物はない」なんていつか聞いたセリフだけど、昔からいるんですね、こういう人。
もちろん、そううまく行くはずはなく、火でも燃えないはずが燃え尽きて灰になってしまいます。
石作皇子の課題は仏の御石の鉢。
この人は無精でグウタラ ーん?何かやな予感ー な、もんで人任せにして適当に、どっかの山奥の寺にあった汚い石の鉢を持ってくる。 けれど本物は光り輝く美しい物だというんで、大恥をかきます。
これは、何かと言うと「自然のままが良い」なんて手抜きの口実にしている、私のようなグウタラ者にはイタイ話です。
自然の物も、人間が利用するにはそれなりに手を掛けないといけないですよね。 動植物など生き物には世話がいるし、森林や山、川なども手入れをしないとたちまち荒れ果ててしまう。 本来すばらしい自然を手抜きで荒れさせておいて、これが自然の姿だ、なんて言い訳しているのはグウタラ皇子と同じ間違いをしているのかも。
車持皇子は蓬莱の玉の枝。
この人はかなり抜け目がない。 グウタラ皇子と違って、それがどのような物か詳しく聞いて模造品を作らせてしまいます。
科学技術が発達して、精巧な造花どころか、バイオテクノロジーやクローン技術で生命操作が可能になる世の中。 でも不安がつきまといます。 本物と作り物の差は何か、はっきり言えなくても、やはり違う気がする。
皇子の偽物に姫も危うく騙されそうになりますが、嘘がばれたのは費用をケチって職人に支払いをしなかったので、姫のところに訴え出られたため。
いくら科学技術が発達したって、医療費削減で恩恵が受けられなかったり、安全性に問題が出るのでは困ります。
税金のムダ遣いや、私腹を肥やす政治家・官僚を取り締まって、国民のために使う所はケチらないで欲しいものです。
石上中納言には燕の子安貝を取ってくる課題。
これは燕が卵を産む時に出現するという。 なら、何処でも手に入りそうな気がしますが。
石上さんも同じように考えたのか、燕の巣を探します。 この人は愚直で人は良いんですね。 大炊寮の大釜が据えてある小屋の屋根に巣があると知って、とにかく真面目に上って取ろうとする。
でも、宝物がそう簡単に手に入るはず無いじゃないですか。 これは生命誕生の神秘、子育ての尊さを象徴する物じゃないでしょうか? 命がけの出産、それに続く地道な努力の繰り返し。 その場でパッと手に入る物じゃないんですよ。
結局、彼は手に入れ損なって落下し、打撲が元で命を落としてしまいます。
さすがに姫は同情してくれたけど、こうなっては「かひ(貝、甲斐)なし」です。
5人の失敗の後、帝が登場します。
国の最高権力者ともなると、治水工事のように、ある程度自然に手を加えることも可能です。 姫も歌のやり取り位してくれるのですが、自然の全てを手に入れ思いのままにすることは出来ません。
そして、かぐや姫は月に帰って行きます。
本来あるべき姿に戻るのです。
この国を代表する自然の景観、不二の山のエピソードで話が締めくくられるのも象徴的です。
竹取の翁が竹の中から見つけたかぐや姫、実は月の都の住人で最後には月に帰ってしまいます。
地上に来た理由が、何と罪を得て流されて来たという。
かぐや姫の罪とは何か? ずっと疑問でした。
竹の中から見つかった時は、まだ赤ちゃん。 赤ちゃんが罪を犯すなんてことあるのでしょうか? それとも地上に送られる時、罰として赤ちゃんにされてしまった?
月からの迎えの壮麗さを見ると、只の罪人を赦すにしては大げさです。 かぐや姫は月の都では相当な身分のようです。
それで思い当たるのは、罪といっても犯罪とは限らない、歴史によくある権力闘争。
勝者が敗者を一族もろとも罪に陥れて排除することがあったじゃないですか。 幼い子どもまで流罪にしたり。
かぐや姫のケースは正にこれじゃないですか?
姫の一族は月の都でも権力の中枢にいて、それが勢力争いに敗れて追い落とされた。 姫もその巻き添えで…。
あるいは、流罪という名目で、高貴な血筋である大切な姫を地上に逃がして保護したのかも知れません。
そのうち姫の陣営が勢力を盛り返し、権力の座に返り咲いて、地上に送った姫を月の都に呼び戻す。
そう考えると、豪華絢爛なお迎えだけでなく、姫を見つけた後、翁が竹を切ると黄金が出て来たというのも説明が付きます。 地上の姫の養育費を仕送りしたわけです。 只の罪人だったら、そこまでしないですよね。
この物語が出来た平安時代の人達なら、そのあたりは説明が無くても解ったのかも。
それがエコロジーと何の関係があるんだ? という疑問も出るでしょうね。
月は花、雪と並んで自然の美の代表、自然界の女王と言っていいでしょう(月を男性とする民族も多く日本神話でも実は男神なんですが、ここはかぐや姫のイメージで)。
つまり、かぐや姫は自然の美の象徴です。
そんな自然と人との関わり方が、この話から感じられませんか?
特に5人の求婚者が、姫に課題を出されて次々失敗する下りは、自然との関わり方の失敗例のようです。
大伴大納言は龍の首の珠を取ってくるよう求められます。
龍は自然の脅威、例えば嵐、台風。 それは恐ろしい災害をもたらすけれど、農作物に必要な雨などの恵みも与えてくれます。 その恵みが珠なのでしょう。
けれど、この人はそんな風に物事を考えない、武力一辺倒。 とにかく力で押して、自然の脅威の前にあっさり敗れ去ります。
阿倍(安部じゃないよ)大臣には火鼠の裘。
火の中に住む鼠の毛皮は火に入れても燃えない、なんて有りそうにないですが、厳しい自然の中に生息する生き物の中には、その厳しさを利用して見事に適応している物もいます。
それはともかく、阿部さんのやり方はとにかく金に物を言わす。 「金さえあれば手に入らない物はない」なんていつか聞いたセリフだけど、昔からいるんですね、こういう人。
もちろん、そううまく行くはずはなく、火でも燃えないはずが燃え尽きて灰になってしまいます。
石作皇子の課題は仏の御石の鉢。
この人は無精でグウタラ ーん?何かやな予感ー な、もんで人任せにして適当に、どっかの山奥の寺にあった汚い石の鉢を持ってくる。 けれど本物は光り輝く美しい物だというんで、大恥をかきます。
これは、何かと言うと「自然のままが良い」なんて手抜きの口実にしている、私のようなグウタラ者にはイタイ話です。
自然の物も、人間が利用するにはそれなりに手を掛けないといけないですよね。 動植物など生き物には世話がいるし、森林や山、川なども手入れをしないとたちまち荒れ果ててしまう。 本来すばらしい自然を手抜きで荒れさせておいて、これが自然の姿だ、なんて言い訳しているのはグウタラ皇子と同じ間違いをしているのかも。
車持皇子は蓬莱の玉の枝。
この人はかなり抜け目がない。 グウタラ皇子と違って、それがどのような物か詳しく聞いて模造品を作らせてしまいます。
科学技術が発達して、精巧な造花どころか、バイオテクノロジーやクローン技術で生命操作が可能になる世の中。 でも不安がつきまといます。 本物と作り物の差は何か、はっきり言えなくても、やはり違う気がする。
皇子の偽物に姫も危うく騙されそうになりますが、嘘がばれたのは費用をケチって職人に支払いをしなかったので、姫のところに訴え出られたため。
いくら科学技術が発達したって、医療費削減で恩恵が受けられなかったり、安全性に問題が出るのでは困ります。
税金のムダ遣いや、私腹を肥やす政治家・官僚を取り締まって、国民のために使う所はケチらないで欲しいものです。
石上中納言には燕の子安貝を取ってくる課題。
これは燕が卵を産む時に出現するという。 なら、何処でも手に入りそうな気がしますが。
石上さんも同じように考えたのか、燕の巣を探します。 この人は愚直で人は良いんですね。 大炊寮の大釜が据えてある小屋の屋根に巣があると知って、とにかく真面目に上って取ろうとする。
でも、宝物がそう簡単に手に入るはず無いじゃないですか。 これは生命誕生の神秘、子育ての尊さを象徴する物じゃないでしょうか? 命がけの出産、それに続く地道な努力の繰り返し。 その場でパッと手に入る物じゃないんですよ。
結局、彼は手に入れ損なって落下し、打撲が元で命を落としてしまいます。
さすがに姫は同情してくれたけど、こうなっては「かひ(貝、甲斐)なし」です。
5人の失敗の後、帝が登場します。
国の最高権力者ともなると、治水工事のように、ある程度自然に手を加えることも可能です。 姫も歌のやり取り位してくれるのですが、自然の全てを手に入れ思いのままにすることは出来ません。
そして、かぐや姫は月に帰って行きます。
本来あるべき姿に戻るのです。
この国を代表する自然の景観、不二の山のエピソードで話が締めくくられるのも象徴的です。
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