二条城本丸御殿の修理完了、同一般公開が昨年9月に始まったことで、関連イベントが多く開催されている。寺町通の京都市歴史資料館でも、2024/11/30ー2025/2/22の期間、「特別展 二条離宮――元離宮二条城 本丸御殿公開記念――」が開催中である。
1/26の学芸員によるギャラリートークは、大変な盛況ぶりであった。内容は一般には知られていない新しい知見も多く詳細であるが、解説はわかりやすい。ギャラリートークは2/18にもあり、歴史好きな方にはぜひおすすめしたい。
写真一枚目のポスターと同じ体裁のチラシを京都駅前の観光案内所でもらっていた。そのチラシの裏側は次の通り。
「菊紋装飾」とあるのは、二の丸御殿大広間南の破風板に取り付けられていたものであるらしい。2018年9月の台風で剥がれ落ち、その衝撃で花弁に歪みが出ているとのこと。この花弁は16枚。皇室の紋章が十六八重表菊と定められたのは1926年の皇室儀制令なので、明治17(1884)年に離宮となり、同26(1893)年から二の丸御殿の改修で取り付けられた菊紋が十六一重表菊であるのもわかる。
花ついでに、今回展示されていた本丸御殿の御常御殿渡廊下の杉戸絵についてもひとこと。ポスター左下の犬の絵は、その杉戸絵のものである。引き違い戸なのでバラと仔犬を描いた板戸が2枚あり、展示ガラス越しにかなり接近して見ることができる。描かれたのは江戸時代であるらしい(展示資料一覧より)。江戸の時代にバラとは、粋である。そぐわない、とも思う。本丸御殿は、1894年に桂宮御殿の一部を移築したもので、その後の修復の有無は不明。仔犬7匹は、特に白色が退色しているが、上部に描かれたバラは、白色も濃ピンク色も鮮やか。正面を向いた仔犬はかわいらしいが、横顔の2匹はどうだろう。別人の加筆ではないかと思うほど、違和感を感じた。
鯱瓦2点(北大手門櫓・西南隅櫓)は、全く顔つきが違う。ともに江戸時代の作(展示資料一覧より)であるらしいが、違う地域で造られたもののように感じた。土も違うように見える。成分分析すれば、地域を特定できないだろうか。作り手が違う、あるいは工房が違うだけなのか?
鯱は「頭はトラで、背にとげのある常に尾をそらした魚の形をしている(集英社『国語辞典』)」ものだが、北大手門櫓の鯱瓦の頭は寺院の天井画の龍のよう、西南隅櫓の鯱瓦の頭は鬼瓦の顔のようだ。検索しても、トラの頭に見える鯱瓦は見つからなかった。
市歴史資料館では、パンフレットを販売している。展示解説は写真撮影禁止なので、パンフレットを読んで再確認。