老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

体力ダウン

2007年05月12日 | Weblog

ブログをしばらく休んでしまいました。体力的にパソコンに向かうことが無理なようですが、仕事上パソコンは必要ですし、ブログも続けたい。目の神経が疲れ白内症治療中、ブログはとても続けられないと思い、しばらくパソコンも開けなかったのですが、体調も少しは良くなり昨日ブログを開いてみると毎日沢山の方が私の所にご訪問くださっていたことを知り、何もしなかった自分なのに有り難く心より感謝しています。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございます。これからも無理のない程度に続けたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。                         

   


思い出一話

2007年05月12日 | Weblog

パソコンに向かうのが怖くて、しばらく無視していましたが、やはりパソコンがなければ不便だし、ブログは楽しみの一つですし。皆さんのブログを少しの時間ずつ見せてもらいながら、目を慣らしていましたが、今日は何か書いてみようとパソコンの前に付いています。

どれだけの時間で書き入れられるかも解りませんし、何を書くかも無計画のまま椅子にかけています?// 先ほど皆さんのブログをめくっていたとき電車をテェマーにした大阪環状線京橋駅が写されており、何度も何度もこの写真を見せて頂いたのですが、昔の面影は何処にもありませんでした。

ただ一つ変わっていないものに、京橋駅と言う三つの文字です。懐かしいです。今は立派な駅に変身しているようですが、私が見るこの三文字の駅は木造で三角に補強の出来た屋根、木の椅子、広告が貼られたホームこれが私の心に残る京橋駅。


思い出二話

2007年05月12日 | Weblog

2月10日と記されている、外は寒い、15歳の春弟子入りしてから8年22歳の2月新聞の片隅に大阪の放出、東洋軽金属株式会社従業員募集とある。葉書を出すと、採用の通知が来る、何処の企業も若者がほしかった時代だったのだろう、ずっと後で知った事、すぐ此の家を出ることを決意主人に告げる。

ここ1年程いやで反抗ばかりしていた自分、主人、出るのならお前には箸1本やらないとの言葉。そんな事どうでも良かった、出られることで満足。2月10日とあるのは2月9日に給料日と言われる日であったのだろう、記憶にはないが、くれるお金は1ヶ月1500円、当時この金額は、安物のジャンバーが一枚買えた金額。

前の日に持ち物の中から良い下着を探せば 5枚ほど、これを風呂敷に包み、後は処分、10日の朝6時、皆んと一緒に起床、他の者は工場え仕事に出る、朝食は何時も6時30分頃、ご飯を食べてゆくようにとの声はあったが断って家を出る。外はまだ薄暗い。


思い出三話

2007年05月12日 | Weblog

船の出航時間は昼の11時30分と夜の11時30分の二回、小松島港を出ると神戸港により大阪天保山え、6時間となっていたが実際乗り込んで降りるまでなら、日によっては、7時間たっぷりかかっていました。家を出ると乗船場は近くでしたので開けっ放しの待合室では、隅の椅子で寒さをしのぎ、時間を稼ぐ、

採用通知の葉書には、天保山から環状線で、京橋駅で降りて電話をすれば迎えに行くと書かれている。しかし、もし迎えがなければ? 其処に付いた頃には日は暮れている。夜が明ければ何処かで仕事は探せる。

泊まる所、当時小さな旅館を探せば、夜遅く入り食事は取らないで泊まるだけ、朝食はご飯味噌汁卵と味付けのり一枚と食事が付いて400円これは知っていたので、これだけのお金は使ってはいけないと、1500円の中から別の所に入れる。9時を過ぎかけると待合所の辺りでも人通りが多くなる。お腹も空いてくる。

    

     

 

 


思い出四話

2007年05月12日 | Weblog

出航まではまだまだ時間はある、先ずは腹ごしらえをしなければ、後は何時食べられるかも解らない、早くて明日の朝だろう。時間稼ぎを兼ねて町の方に歩く、安い食堂に入り程々の食事90円の支払い。

下着を包んでいる風呂敷も良い物ではないし、大阪に出るのにカバンが欲しかった。帽子とカバンを扱っている店に入ってみたが安物はない、比較的大きい物は安いが、小さな物も同じ値段、気に入りもあって買うことにしたが400円これは痛い。

ぶらりと待合所に戻る、やがて窓口も開くだろう、船賃は380円今思うとカバンより安いのだから・・今もこのカバンもっているが立派な仕上ではある。長い時間が過ぎてやっと船に乗り込む、出港までの間にそこで食べる竹輪や土産物を売りに来る、顔見知りのおばさんもいて、どうですか? そばに来て声がかかるがそんな余裕はない。


思い出五話

2007年05月12日 | Weblog

天保山に付いた時は辺りは暗い、不安が無いわけではないが、とにかく電車に乗らなければ? ボケッとから出した京橋駅までの運賃はいくらだったか記憶にない。 京橋駅電車から降りると人に流されるまま改札口を出る、しかし其処は商店街の中、降りた人達は皆んな其処にある別のホームに入ってしまう。

片町線えの乗り替えだ、普通改札口を出れば其処は道路か広場になっているはずなのにはたして? 迎えに来てくれるにしても車の止める所も見あたらないし、自分も出られない、袋のネズミ一瞬不安が走る。とにかく行き先に電話をしてみる事に、公衆電話を探す。

電話の相手は優しく説明してくれた。それはホームを間違えているから、改札口で10円を支払いもう一度ホームに上がって反対側にある改札口を出ると迎えの車が来てるとのこと、でもその時の10円は辛かった。ボケットには10円玉数個しか? 10円あればパン一個買える、40数年たった今もあの時の10円忘れられないですね。

  


思い出六話

2007年05月12日 | Weblog

迎えに来てくれていると言う、着くところどんな所だろう、どんな人が来ているのだろう、車は乗用車だろう等とホームを歩く短い時間に思いながらも今夜一晩の宿があればいいと思い直し不安を消す。改札口を出ると其処に眼鏡をかけたおばさん風の女性が先に私の名で声をかけてくれる、そして止めてある車は仕事用の大型三輪車ハンドルは丸じゃなく(へ型)

運転士だけだと私が心細いだろうとの心遣いで事務員が付いてきたとの事でした。会社に着くと夜遅かったこともあり二段ベット式の寮に直通、寮生に今日からこの人が来ましたと簡単な紹介だけ、すぐベットに入る、朝は食堂でみんなが食事、寮生も地方からの集まりなので淡々としている、私にとっては大助かり、会社の人達に紹介されることもなくそのまま振り付けられた職場え、

   


思い出七話

2007年05月12日 | Weblog

気がかりだった一夜も過ごし一日の任務終えた。三度の食事も作ってくれる、これまでの人生の中で一番幸せを感じた一時だつたと思う。宿泊料として別に持っていた400円が使える、取り合えず歯磨きセット、靴しかないので普段の履き物を買ってくる。安泰、ところが何と言う事か夜遅くになって虫歯がうずきだす、歯は丈夫ではないがこんな事は今までに無かった事。

夜は寮から外に出られない、みんな静かに寝ている、さっき買ってきた歯磨き粉を痛む歯に詰めると少しの間痛みが和らぐように思う、これを繰り返して朝を迎える、長い一夜だった、会社に知らせて病院え、保健証が出来ていないので幾らか現金で支払ったように思う、楽になった。一喜一憂の繰り返しだ、


思い出八話

2007年05月12日 | Weblog
無事に2日が過ぎ3日が終って今日は日曜日、習慣で朝は早く食堂にも何時も一番、今日も食堂に行ったが閉まっている、聞くと日曜日はおばさんも休みとのこと。持ち金も一食分はある今日は大丈夫だ、そして一週間は安泰、

給料日までまだ二回の日曜がある他の人達は近くの食堂で、お金がなければツケ、給料日に支払う、私はそれが出来ないので食事の時間になるとふらりと出る、少し遠いところまで歩いて帰ってくる、近くの食堂に行かないので食事は?と聞かれる、向こうで食べてきたとか言って一日過ごす。

次の月は早出、残業をし皆勤して一ヶ月二万円ほど、求人欄を見ていると仕事はきついがこの倍はもらえる、すぐ転職、大阪で13年ほどいたが20社を回ることになった。最後にいた会社で4年いたのでさすがに30歳を過ぎて大人になり始めていたのだろう、

思い出九話

2007年05月12日 | Weblog

5年ほどは徳島にも帰ってこなかったし、大阪で毎日乗り降りした駅と言えば、梅田、天王寺、上本町、布施、瓢箪山、淀川、佃、姫島など多くの駅を利用して、京橋駅は環状線で素通りするだけでここで乗り降りした記憶はない、なのにこの駅が一番濃く残っている。人には誰も思い出がある、それも一つ二つではない それが戦争を体験した者となると、又一段と厳しい思い出が多い。

今憲法9条が騒がれているが、どんな事があっても替えてはいけないと私は思う、戦争を起こせば犠牲になるのは相手国などではない一番大きな犠牲を負うのは我が国民なんだ。 最後に一言付け加えるならば、憲法9条を替えようとしていることは確かだろう、でもこれは与党や総理に責任を押しつける問題ではないと思う。

無責任、無関心、立派な発言のわりに行動は伴っていない人も多くみられる、今よければいい、楽しい事にしか興味がない。中国、韓国が、日本の海域まで来ても政府任せ、何の盛り上がりもない国民、 愛国心と言う言葉が使われはじめてもても不思議ではないように思う。憲法9条、替えて欲しくはないが変えようとしているのは気づいてない、この一人一人ではないのだろうか。