老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

父親の存在

2007年05月18日 | Weblog

私の内孫は女の子一人、小学3年生になりますが、毎日母親が送り迎えしています。学校から帰ると私の仕事場に少しの時間いて帰ります。私がパソコンの所に口が退屈なので飴をおいていますが、気にいれば食べながら帰る、昨日も一個食べながら出て行ったのですが、すぐ後戻りしてきてママの分もちょうだいと言って一コとって行きました。

何を持っていてもママが買ってくれた。としか考えれない子供。どうにもぶつぶつとたぎる不満が年来ある。毎年(母の日)が華々しいのをねたむのではないが、世間では子供達が成長するにつれて、真っ先に母親えの恩を口にするのが当然のような風潮がある。子供を持つ父親としては、その度に気持ちがしおれてしまう。

それは 女性がお腹を痛めて命を世に送り出し、ご飯を食べさせ、世話をする時間の多いのは事実だ。しかし男性の言い分も聞いて欲しい。(男は玄関を出れば7人の敵がいる)。こんな男の大変さを表現した言葉もあるほど。 外で仕事をして生活を維持するのは苦労の絶えない事なのだ。家に帰り、妻や子供に苦労話の愚痴を並べ立てるわけにも行かず、ひたすら我慢を繰り返し砂を噛むような毎日を送っている。

これも、子供達の成長を夢見て、日々、のしかかる重い荷物をなんとか振り落として生きている。男の一生というものは、かくも単純で、そしてこれからもこんな人生を続けるのだろう。父親が脚光を浴びることはなくても、せめてその存在に感謝の念を頂きたいものだ。世のお父さん方の思いはいかがなものだろう。   自分で良いと感じた事を次え伝えるブログです。

 


童話.船頭さん

2007年05月18日 | Weblog

童話 村の渡しの船頭さんは
         今年六十のおじいさん
           年はとってもお船を漕ぐ時は
                     元気一ばい 櫓がしなる
                         ソレ ギッチラ ギッチラ
                                ギッチラコ
団塊世代、が注目されている。六十歳を迎え、第二の人生を歩んでいる人達、この童話がほとんど聞かれなくなった。今年六十のおじいさん...納得今の六十、バイタリティー、体力は実に若々しいからである。

カモメの水兵さん、などの武内俊子さんが、出生地の広島県三原市沼田川の渡しの、船頭宇佐さんをモデルに、太平洋戦争に突入した、昭和十六年1941年に書いた詩だが、当時の六十は今で言えば八十、いやそれ以上と言ったところだろう?

戦中の作品と言う事もあって、二番では、あれは戦地え行くお馬、三番では
村のご用やお国のご用、とされていたが、戦後になりそれらの歌調は改作された。戦地から男達が帰還し、そしてベビーブームが訪れた。その時の赤ちゃん達こそが、今、団塊の世代を迎えた人達。