『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

67 金剛輪寺

2023-12-13 | 滋賀県

古寺巡り 金剛輪寺

 

湖東三寺のひとつ。「血染めのもみじ」と呼ばれる有名な紅葉の名所。

 

朝は雨だったが間もなく止み、外歩きには暑からず寒からず梅雨の合間の丁度良い日。朝から石塔寺、百濟寺、西明寺、そして金剛輪寺。実は、石塔寺の次に、日野町の近江商人のお屋敷2軒を見学したので、本日は6件目の訪問である。特に、この湖東三山は鈴鹿山脈の中腹に位置するため、それぞれの寺は境内が広く、高低差もかなりあり階段や坂道を上り下りする。さすがにこの金剛輪寺では疲れがたまり、参拝も端折ってしまった。

寺の歴史。  琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。奈良時代の中頃、天平13年(741)に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開山された。言い伝えによると、行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊として祀ったとされる。後の世に「生身の観音」と呼ばれるようになった。

安時代の初めには、比叡山より慈覚大師が来山、天台密教の道場とされて以来、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となりました。鎌倉時代末期には天台密教の一流派である西山流の本拠地となっている。

天正元年(1573)、織田信長の兵火で湖東三山の百済寺は全焼し、金剛輪寺も被害を受けるが、現存の本堂、三重塔は寺僧の尽力で焼失をまぬがれたという。当寺の本堂をはじめとする中心堂宇は総門や本坊のある地点から数百メートルの石段を上ったはるか奥にあるため、見落とされ、焼き討ちをまぬがれたのではないかという説もある。江戸時代以降はは次第に衰微し、楼門の2階部分が崩壊したり、三重塔の三重目部分が倒壊したりしている。

幕末の慶応4年(1968)に薩摩藩の西郷隆盛や公家の岩倉具視の支援を受けて、この寺で赤報隊が結成された。

 

参拝日     令和5年(2023)6月22日(木) 天候雨のち曇り

 

所在地     滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874                       山 号     松峯山                                  宗 旨     天台宗                                  本 尊     聖観世音菩薩(生身の観音)(秘仏)                    創建年     伝・天平13年(741)                           開 山     伝・行基                                 開 基     聖武天皇(勅願)                             中興年     嘉承年間(848~851)                          中 興     伝・円仁                                 札所等     近江西国三十三観音霊場第15番                       文化財     本堂(国宝) 二天門、三重塔、木造阿弥陀如来坐像ほか(国重要文化財)


 

 

 

案内図

 

 

 

総門。  総門と呼ばれる江戸時代の建立。門に吊るされている赤いちょうちんは「聖観音」。一間一戸、高麗門、切妻、桟瓦葺。

 

総門を入ったところに受け付けがあり、ここで拝観手続きをする。総門の前に駐車場があるが、総門からの本堂までの参道はかなりの距離がある。少々疲れもあり、参道はショートカットし、直接本堂に向かうため、本堂側の駐車場に止めることとした。

 

 

 

境内には紫陽花が咲き乱れていた。

 

 

 

本堂付近の境内の様子。

 

 

 

本堂の前の境内の様子。

 

 

本堂(大悲閣)【国宝】      元寇の戦勝記念として、近江守護の佐々木頼綱(六角頼綱)によって建立されたとされる。本堂の須弥壇金具には、弘安11年(1288)の銘が残っている。しかし、現存する本堂は南北朝時代に再興されたものとみられる

 

 

 

 

 

本堂の前に香炉。

 

 

 

 

 

 

正面の七間は総て蔀戸。縁は礼堂の三方のみに設けられている。

 

 

大悲閣の扁額。

 

 

堂宇の規模は、総檜造り、桁行7間・梁間7間、入母屋、桧皮葺。 向拝がない純粋な入母屋で、反りの美しい軒先が特徴。

 

 

金剛輪寺本堂と西明寺本堂は、ほぼ同じ時期に建立された七間堂である。金剛輪寺本堂には向拝がない点を除けば、造りもほぼ西明寺とほぼ同じ。

 

 

側面は、礼堂部分の前三間が妻戸。後四間が白壁。中央二間が内陣。後二間が後戸。

 

 

柱の上の組物は出組(一手先)、組物間の中備は間斗束。出組は、三斗組の大斗から肘木を一つ飛び出させ、この肘木の先端の上に三斗組を乗せたもので、一手先組ともいう。

 

 

 

 

 

 

 

 

鐘楼。  梵鐘は、鎌倉時代の乾元2年(1303) に河内の鋳物師助安によってつくられたもの。その梵鐘は、愛荘町立文化歴史博物館に展示されている。

 

 

二天門【国重要文化財】    屋根の腐朽が激しいため、令和5年度から屋根檜皮葺の全面葺き替えおよび木部部分の修理が行われていた。三間一戸、八脚門、入母屋、檜皮葺。

 

 

 

 

 

 

二天門から参道の石段を見下ろす。

 

 

 

本堂の脇の小道を上り三重塔に行く。

 

 

 

しばらくすると木々の間の三重塔が見えてくる。

 

三重塔【国重要文化財】    本堂の左(北)の一段高い場所に建つ。鎌倉時代 寛元4年(1246)の創建。桧皮葺、高さ 22.15m。。鎌倉時代の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられる。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。

 

撮影の足場が悪く、素人写真では相輪までよく撮れない。現状の塔は、昭和50年(1975)から(昭和53年(1978)にかけて修理復元されたもの。欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一層の組子。

 

 

 

塔は高欄のない広い縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも間斗束。

 

 

 

 

 

案内図。

 

 

御朱印。

 

 

金剛輪寺 終了

 

 

(参考文献)
  
金剛輪寺HP フリー百科事典Wikipedia   滋賀県の塔(ブログ)  国宝建造物HP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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