『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

39 西本願寺

2023-10-06 | 京都府

第27番 西本願寺

 

信じる力が生み出すエネルギー

 

西本願寺は初めてである。かなり見ごたえがある寺なのだが、東山や嵯峨野などと比べると観光客が断然少なくゆっくり参拝できる。境内は大きく、巨大な堂宇が二つもあり、京都三閣(ほか金閣、銀閣)の一つ飛雲閣も建っている。一日中見てても見飽きない唐門。それに桃山文化が見事な書院がある。国宝と重文だらけの寺院は、そのお宝をなかなか見せてくれない。飛雲閣と唐門は修繕工事中(飛雲閣は常日でも非公開である・・・)で、書院も通常非公開。書院は通常非公開だが、月の法要日に参拝すれば見学できるそうだ。ということで、見どころ満載の寺院は、見れない個所だらけだった。

真宗大谷派の本山である東本願寺(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。

文久7年(1272)に、親鸞の末娘の覚信尼が東山の大谷に親鸞の遺骨を改葬し、廟堂を建てたことに始まる。室町時代には、多数の門徒を抱える仏教集団に発展した。その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591)に豊臣秀吉の寄進により、大阪天満から移転した。

 

参拝日    平成30年(2018)10月4日(土) 天候曇り

 

所在地    京都府京都市下京区堀川通花屋町下る門前町60
山 号    龍谷山
寺 名    西本願寺
宗 旨    浄土真宗
宗 派    浄土真宗本願寺派
寺 格    本山
別 称    お西さん   
本 尊    阿弥陀如来                                 創建年       大谷本願寺・元享元年(1321)  西本願寺・天正19年(1591)                          開 山    大谷本願寺・覚如(本願寺第3世) 西本願寺・顕如(本願寺第11世)  
開 基    本願寺第11世顕如                                 正式名    竜谷山本願寺                                   中興年     文明3年(1471)                              中 興    連如(本願寺第8世)
文化財    御影堂 阿弥陀堂 書院 唐門 飛雲閣ほか(国宝)  
       経堂 鐘楼 手水場 総門ほか(国重要文化財)
 

 

 

境内地図

 

本願寺伝道院【国重要文化財】    塔屋のイスラム風が特徴の明治の洋館。明治28年(1895)に設立された真宗信徒生命保険会社の社屋として、東京帝国大学教授伊東忠太の設計、竹中工務店の施工により建築された。様々な使用を経た後に「浄土真宗本願寺派布教研究所」となり、昭和33年(1958)あそか診療所として1階が改修され使用された。その後、僧侶の教化育成の道場として今日にいたっている。

 

 

総門【国重要文化財】。 西本願寺の御影堂門の前に、堀川通りを挟み対面にある門。門の手前は仏壇や仏具の店が並ぶ門前町。

 

 

数珠を中心にした仏具の店。創業160年だと言う。

 

 

堀川道を渡り切って総門を振り返る。

 

 

堀川通と呼ばれる国道1号線。

 

 

堀川通と西本願寺の築地塀の間に小さな堀があるが水は無い。 

 

 

 

 

北小路通 北の西本願寺と南に建つ興正寺との間の通路。築地塀が京都らしい雰囲気を味わえる。塀は切妻造、本瓦葺の版築の塀で5本の定規筋が引かれている。江戸中期~後期の建築。右奥手に唐門(国宝)と手前右手に飛雲閣(国宝)があり、いづれも改修工事中。

 

唐門【国宝】  境内の南側、北小路通に南面して建ち、対面所のある書院の正門。桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き・唐破風の四脚の造り。前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式。。総漆塗り、極彩色彫刻と鍍金金具で装飾しており、日暮し眺めても飽きないとされることから「日暮門」の俗称がある。いまだ以て、この門が最初に本願寺に現れた年代や事情ははっきりしていない。残念ながら参拝の際は、修繕工事中で工事用仮設に覆われ見ることはできなかった。次回、京都に来た際の撮影をしよう。(写真は西本願寺のHPより)

 

 

御影堂門【国重要文化財】   親鸞聖人600回大遠忌を前に、安政6年(1859)に大阪の講社が担当し修理。昭和35年(1960)には、親鸞聖人700回大遠忌を前に修理。平成18年(2006)にも3年をかけ修理を行っている。

 

 

 

 

 

目隠し塀【国重要文化財】 阿弥陀堂門を入り目の前にある独立塀。切妻造、本瓦葺、真壁造の塀で、江戸後期の建築。浄土真宗の宗祖・親鸞聖人をお祀りする御影堂が丸見えにならない目隠し。

 

 

阿弥陀堂の前の境内。

 

 

御影堂の西側には飛雲閣(国宝)があるが、ただ今修理中で仮設に覆われて何も見えない。

 

飛雲閣【国宝】 境内の東南隅にある名勝 滴翠園の池に建つ三層柿葺の楼閣建築。初層は入母屋造りに唐破風と千鳥破風を左右に、二層は寄棟造りに三方には小さな軒唐破風を配し、三層は寄棟造りと実に変化に富んだ屋根になっている。二層、三層と建物は小さくなり、その中心も東に移るという左右非対称ながら巧みな調和を持つ名建築として知られている。全体的に柱が細く障子の多いことから、空に浮かぶ雲のようだということで、飛雲閣と名づけられたといわれる。(写真は西本願寺HPより)

 

 

一層は主室の招賢殿と八景の間、舟入の間(写真右)、さらに後に増築された茶室・憶昔(写真左)からなる。庭園と一体となった、日本を代表する建築の一つ。(写真は西本願寺HPより)

 

 

鐘楼【国宝】 飛雲閣に付随し、江戸時代の元和4年(1618)に建立。桁行一間・梁間一間で、切妻造の陶製本瓦葺。妻側には彩色された彫刻が見られる。

 

 

 

 

 

龍虎殿  参拝の受け付け処。

 

 

御影堂【国宝】 「ごえいどう」と読む。寛永13年(1636)に再建された。中央に親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像を安置。

 

 

堂の大きさは本堂の阿弥陀堂より大きい東西48、南北62m、高さ29m。江戸時代の建築物としては最大級の建物である。

 

 

堂の西側を見る。 軒先柱や建登せ柱(通し柱)でこの大きな屋根を支えている。

 

 

妻飾り部の懸漁。 妻側は、二重虹梁大瓶束で、蟇股および菊や波をあしらった透かし彫りで飾っている。(写真では判らない)

 

 

向拝正面。

 

 

向拝を横から見る。正面には三間幅の向拝を付して木階(きざはし)六級を設ける。

 

 

幅2間はある堂の外側を覆う広縁。

 

 

建登せ柱や軒柱、多様な紅梁など江戸時代前期の高度な架構や技法を駆使し、当時の超大型建築物を構築している。

 

 

堂の正面入り口。

 

 

外陣部は多数の門徒を収容するため、441畳の大きな空間を有し、太い柱が建ち並び上部に紅梁を掛けわたし大きな空間を支えている。 この堂の太い柱は100本以上使用されているという。

 

 

内陣まわりは、金箔、彫刻欄間、障壁画、彩色を施し壮厳さが感じる。

 

 

建立当時の明かりは、ろうそくなどが主体だったので、天井からの照明は現代の器具だろう。

 

 

内陣の正面には「見真」の扁額。見真の意味は、真実の理を見抜くことにあるが、浄土真宗の宗祖親鸞に対して明治9年(1876)11月28日に宣下された大師号。

 

 

金箔を施された内陣の造作。

 

 

背の高い障子戸と菱目格子の欄間。

 

 

御影堂から阿弥陀堂を見る。御影堂が阿弥陀堂よりも大きな造りとなっているには浄土宗と浄土真宗の大寺院の大きな特徴である。これは、阿弥陀如来を祀る本堂よりも宗祖を祀る御影堂の方を大きく作り、宗祖の像を背景として、大勢の信者・門徒を相手に法話を行うようにしているためである。

 

 

 

渡り廊下【国宝】  御影堂と阿弥陀堂を結ぶ渡り廊下。

 

 

阿弥陀堂から見た御影堂。

 

 

国宝御影堂と国宝阿弥陀堂を結ぶ渡り廊下。

 

 

阿弥陀堂に移り、阿弥陀堂から見た境内の様子。

 

 

手水舎【国重要文化財】 破風板には錺金具を付け、四周を開放し花崗岩の四半敷で中央に石製の井戸と水盤を据えている。軸部は方形礎盤に几帳面取角柱を立て、内法虹梁で繋ぎ、柱頂部の舟肘木と内法虹梁上の蟇股で受け、鏡天井を張っている。

 

 

 

 

 

雨受け石桝。 大きな石桝を支えているのは「雨の邪鬼」で、身長38㎝だそうだ。

 

阿弥陀堂【国宝】 西本願寺の本堂である。宝暦10年(1760)に 再建。南北45m、東西42m、高さ25m。中央に本尊の阿弥陀如来立像、両脇にインド・中国・日本の七高僧の内、龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚の六師を、両余間に法然聖人と聖徳太子の影像を安置している。

 

 

 

正面向拝を見る。

 

 

 

 

 

 

向拝を横から。

 

 

外陣から内陣を見る。

 

 

 

内陣は欄間彫刻や柱や壁に金箔を施した。

 

内陣。平成29年(2017)8月より4年8か月にかけて内陣の修復工事を行った。修復は格天井、丸柱の漆塗り修理、彫刻や組み物の彩色修理、天井画と無地金障壁・襖の表具修理。それに格天井・須弥壇の飾り金物の金具宇野修理。併せて宮殿の修復を行った。

 

 

2017年から修理が始まり、参拝したのは2018年の秋。修理工事中と全然気付かなかった。

 

 

外陣の様子。 285枚の畳敷きだそうだ。

 

大銀杏  まるで根っこを天に広げたような形から「逆さ銀杏」とも呼ばれる樹齢約400年の大銀杏。京都市の天然記念物に指定。本願寺が火災があった時、この銀杏から水が噴き出して消し止めたという伝説から、「水吹き銀杏」とも。

 

経堂【国重要文化財】    経蔵に納められている『大蔵経(一切経)』は天海僧正の開版されたもので、寛永12年(1635)に江戸の寛永寺で発起し、12年をかけて完成した。

 

 

総合案内所。 阿弥陀堂門を入った左側にありさすが大寺院だ。

 

書院【国宝】  桃山時代に発達した豪壮華麗な書院造の代表的なもの。間取りは、大きく分けて対面所と白書院がある。それぞれの部屋に座敷飾(床、違棚、帳台構、付書院)を完備し、金碧障壁画や彫刻で飾られている。対面所は寛永年間(1624~44)に建築され、白書院はそれよりやや古い建物である。書院の障壁画は、渡辺了慶とその一派により描かれている。

 

 

白書院 三の間(孔雀の間)から一の間(紫明の間)を見る。                           (以下室内の写真は西本願寺HPより)

 

 

一の間一の間(紫明の間)。

 

対面所 本願寺の書院で一番規模の大きい広間。主にご門主との対面に使われた。上段正面の欄間に鴻の透かし彫りがあることから、鴻の間とも呼ぶ。対面所の構成は上段と下段からなり、下段は一六二畳敷の広大な座敷で、二列の柱で三つに分けられている。

 

 

上々段の手前にある軍配型の火灯窓(左)上段左の帳台構(中)上々段右の付け書院と違い棚(右)

 

 

上段の欄間の鴻の透かし彫り(左) 上段正面床の張良引四皓謁太子図

 

対面所下段左側の巨松と花鳥を描いた金碧松鶴図。

 

虎渓の庭  対面所の東にあり、桃山時代の様式を伝える特別名勝の枯山水。虎渓とは中国江西省の廬山にある渓谷のことで、御影堂の屋根を名山・廬山に見立てた借景とし、北側の巨石で表された枯滝から砂礫の川の流れが大海に注ぐ様を表現。(写真は西本願寺HPより)

 

 

阿弥陀堂門【国重要文化財】 江戸時代後期、天明8年(1788)頃に大阪別院から移築された。昭和58年(1983)、檜皮の葺替、飾金物と金箔押などの補修が行われた。

 

 

 

 

唐破風と天井下部分。

 

 

 

 

 

門柱の基礎部分。

 

 

門の袖壁と扉。

 

 

境内側から見た門。

 

 

横から見た阿弥陀堂門。

 

 

御成門【国重要文化財】切妻造、本瓦葺の高麗門。江戸後期の建築。

 

太鼓楼【国重要文化財】  境内の東北角にある重層の楼閣。内部に今も残る大きな太鼓は、江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていた。 幕末、本願寺を一時的に屯所としていた新撰組による刀傷が、今も残っていると伝えられている。

 

 

堀川通から西本願寺の全景を見る。

 

 

案内図

 

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」からーーー浄土真宗は一神教的といっても、キリスト教のように、自分の神こそ唯一絶対の神であるという原理主義的な一神教ではない。他の神仏も八百万の神も認めるが、自分は阿弥陀仏だけを信じるとかたく決める人間的な生き方だ。世の中には多数の母親がいるが、わが母はただ一人、というようなものかもしれない。信仰を持つことは、人生における目的になるだろうか。いや、人生には決められた目的というものはない、と私は思っている。それでも、目的のない人生はさびしいものだ。さびしいだけでなく、むなしい。むなしい人生は、大きな困難にぶつかったときに、なかなかつづかないものだ。人生の目的とは、「自分の人生の目的」をさがすことではないか、と私は前に書いた。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことこそ人生の目的なのでないだろうか。そのためには、まず生きなければならない。行きつづけていてこそ、目的もあきらかになるのである。そんな目的は、私たちが生きているあいだには、なかなか見つからないかもしれない。でも、人はなお生きつづけていく。

 

 

御朱印

なし

 

西本願寺 終了

 

(参考文献) 西本願寺HP フリー百科事典Wikipedia  WANDER国宝HP  閑古鳥旅行社HP

       五木寛之著「百寺巡礼」第一巻京都(講談社)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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