「百寺巡礼」第39番 専修寺 念仏する心という原点
津からJR紀勢線で一つ目の駅が、無人駅の一身田駅である。
朝は、この専修寺が経営する高田中・高等学校があるため乗客は、ほぼ生徒で埋められ一般の客は筆者だけだった。この駅から徒歩で4分のところに専修寺がある。
専修寺は、関東に浄土真宗を広めた真宗高田派の本山 建保2年(12149念仏を関東に広げるために配流先の越後から関東へ入り、約20年にわたって活動した親鸞が、嘉禄2年(1226)1月に、明星天子の夢告によって、現在の栃木県芳賀郡二宮町高田に一寺を建立し、高田専修寺としたことに始まる。親鸞54歳のとき。
親鸞は60歳で帰洛し、その後は親鸞24輩と呼ばれる親鸞の門弟24名の1人、真仏が二世として関東の門徒を指導し勢力を伸ばす。その勢力をさらに拡大させたのが10世の真慧(しんけい)で、東海、北陸にまで教化を広め、朝廷からの崇敬を得て、専修寺は皇室の御祈祷所にもなってさらに隆盛に向かう。その真慧が寛正6年(1465)に三重県の一身田に寺院を建立。その後関東の専修寺が火災に遭うなどしたことから、以降は歴代の上人が一身田の専修寺に居住するようになり、一身田の専修寺が本山となった。関東の高田の専修寺は別院となる。
専修寺の伽藍配置図
山門の通り 右側は門前町となる一身田寺内町は、東西500、南北450mの周囲を濠や掘、川を引き込み土塁で囲う事で自治地区を形成し寺内町として発展、町には3箇所の門があり番所を設けて出入りを管理したとされる。
山門(国指定重要文化財)御影堂の真正面に位置し、専修寺伽藍の総門。五間三戸二階二重門の形式となっているのは、山門として最高の格式を誇る。瓦に宝永元年(1704)の銘があり、これが建築年時とされている。
斜め横から(専修寺HPより)
三門を境内から見る
向かって左側如来堂。右側御影堂 親鸞の血脈が継承する本願寺派が台頭するまでは、この専修寺こそが浄土真宗の信仰の中心であった。そうした歴史を示すように、境内には豪壮な木造建築が建ち並んでいる。
御影堂(国宝) 親鸞聖人を安置するお堂で、間口43m、奥行き34mの規模を誇り、日本の現存する木造建築では5番目の大きさを誇る。建立は寛文6年(1666)に上棟し、延宝元年(1679)に落慶法要が行われた。
御影堂の妻側 破風錺と懸魚が豪華で美しい
妻飾りは銅板で破風板は金色に耀く五七桐紋の金具を貼り付けてある。 懸魚は三花懸魚。よく見えないが標準的な二重紅梁組で
御影堂の内部 堂内は780畳の広さ。 天井高は約8m。
須弥壇の上には親鸞像とともに、歴代上人の画像も安置され親鸞の教えの正統を受け継ぐ派としての矜持を見せつけている。
内陣、中陣は彩色が豊かで極楽浄土をイメージして造られた。中陣を横から見る。金蘭巻の柱や彫刻が施された梁、天井には多彩な絵が描かれ色彩豊かである。
御影堂内部須弥壇廻り
須弥壇廻りの装飾
通天橋(国指定重要文化財) 御影堂から如来堂への渡り廊下。
通天橋と名のつく渡り廊下を見る
如来堂(国宝) 阿弥陀如来の仏殿で、規模は御影堂の約半分。棟の高さは御影堂の揃えている。上棟は延享元年(1744)に行い落成遷仏は寛延元年(1748)と伝えられている。昭和58年(1983)から7年半かけて大規模修繕を行い平成2年(1990)に工事が完成した。
屋根の下にもこしと呼ばれる庇があり二階建てのように見える。
如来堂の軒先周り 尾垂木の組み物は莫、龍、象などの彫刻が彫られ様々な表情をみせる
鐘楼
専修寺第15世住持堯朝上人の夫人高松院が堯朝の7回忌を迎えるにあたって、慶安5年(1652)は辻越後守重種と一族の氏種に鋳造させたもの。高松院は、津初代藩主藤堂高虎の長女。
唐門(国指定重要文化財) 如来堂の正面に建つ門で、天保15年ン(1820)に棟上げされた。屋根は檜皮葺で正面と背面の軒に大きな唐破風があることから唐門と呼ばれる。控え柱4本が腰長押から下で斜めに外に踏み出しsた形になっている。造作はすべて欅材とした品位の高い造り。扉、小壁、欄間には菊、牡丹の透かし彫りが施され、ほかにも親子の獅子や力士の彫刻が見られる。全体に華麗で複雑な構造をした門である。
庭園 雲幽園 池泉回遊式の庭園。一面に杉苔、竹木の間が路地となり茶室「安楽庵」にすすむ
茶室「安楽庵」は茅葺屋根の瀟洒な建物。
「安楽庵」の躙り口 60cm四方の入り口。
茶室の内部 畳2畳半と半畳の鱗板の広さ。
御廟の透塀
御朱印 その時は、まだ御朱印帳など持ってなかった。「百寺巡礼」文庫本の専修寺のページに書いてもらった。
高田山専修寺
参拝日 平成27年(2015)9月30日 天候 曇り
三重県津市身田町2819
寺名 専修寺
山号 高田山
宗派 真宗高田派
創建 文明年間(1469~1487)
本尊 阿弥陀如来
開基 真慧
開山
文化財 国宝 如来堂、御影堂、西方指南抄、三帖和讃
重要文化財 木造阿弥陀如来立像
五木寛之著 百寺巡礼から
「専修寺を訪れていちばん強く感じたのは、多くの人々の親鸞に対する深い思い、というものだった。七百数十年も前の親鸞という存在に対して、たくさんの人々がいまも熱い思いを寄せ続けている。そのことに深い感動をおぼえずにいられなかった」
参考資料 専修寺HP 百寺巡礼第4巻 滋賀・東海(講談社文庫) 永田美穂監修「日本の七宗と総本山・大本山」(青春新書)
案内図
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