『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

61 岡寺

2023-12-02 | 奈良県

古寺を巡る 岡寺

 

 

明日香の地には、飛鳥寺の参拝に訪れたが、明日香を巡る循環バスは1時間に1本。次のバスが来るまでの1時間で岡寺を拝観することにした。寺は、明日香村の東にある山の中腹に位置し、明日香の岡寺地区のバス停から7分の距離だ。坂道なので急ぎ足にはきつい。

「東大寺要録」などの古い資料によれば、天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の住んだ岡宮の跡に、奈良時代の法相宗の租である義淵僧正が創建したとなれる。寺の西に隣接する治田神社境内からは奈良時代前期にさかのぼる古瓦が発掘されており、創建当時の岡寺は現在の治田神社の位置にあったものと推定されている。また、義淵がこの地の民を苦しめていた悪龍を当寺の池(現、龍蓋池)に封印して石で蓋をし、悪龍の厄難を取り除いて以来、当寺は「日本最初のやくよけ霊場」となり、鎌倉時代にはすでにその信仰が広まっていた。

義淵僧正の門下には東大寺創建に関わった良弁や行基などがいた。それゆえ法相宗の興福寺の末寺であった。江戸時代には長谷寺の住職であった法住が入山して当寺を復興し、中興第一世となって以降、長谷寺の末寺となって真言宗豊山派に属する。

当寺院には「岡寺」「龍蓋寺(りゅうがいじ)」の2つの寺号がある。「岡寺」は地名に由来する寺号、「龍蓋寺」は建立当初の正式名であり、現・法号である。仁王門前の石柱には「西国七番霊場 岡寺」とあり、通常はもっぱら「岡寺」の呼称が用いられている。「龍蓋寺」の法号は龍蓋池に封じた龍の説話に由来する。

 

参拝日    令和5年(2023)3月24日(金) 天候曇り

 

所在地    奈良県高市郡明日香村岡806                        山 号    東光山                                   院 号    真珠院                                   宗 旨    新義真言宗                                 宗 派    真言宗豊山派                                本 尊    如意輪観音(国重要文化財)                         創建年    7世紀末ごろ                                開 山    伝・義淵                                  開 基    法住                                     正式名    東光山 真珠院 龍蓋寺                            別 称    龍蓋寺                                   札所等    西国三十三所第7番                                  文化財    義淵僧正坐像(国宝)仁王門・書院・如意輪観音像ほか(国重要文化財)

 

 

境内図。

     

 

明日香村の岡寺地区の集落街なみ。 バス停のある個所。

 

 

 

寺へは、バス停から細い坂道を上る。

 

 

岡寺門前。

 

 

仁王門【国重要文化財】   慶長17年(1612)に再建されたもの。 四隅上にはそれぞれ阿獅子・吽獅子・龍・虎があり大変珍しい形態なのだが、写真は撮っていなかった。

 

 

仁王門の扁額は「龍蓋寺」。

 

 

 

門を潜る。

 

 

仁王門の金剛力士像(吽形)。

 

 

金剛力士像(阿形像)。

 

 

3月末、桜の盛り。

 

 

3間1戸(正面の柱間が3つあり、その中央の1柱間が戸口)の楼門。本瓦葺の入母屋造り。江戸時代初期の再建時に古材に手を加えて建立されたもの。江戸時代前期の建物としては、かなり古風な建物に見える。礎石は奈良時代の礎石を再利用 。

 

 

仁王門を進み境内。正面の石垣の上に庫裡、書院。左手に手水舎。石垣の手前右手方向に上がる。

 

 

今の季節、枝垂れ桜が迎えてくれる。

 

 

大師堂。  右側大師像のの前の石板の下に「四国八十八ヶ所霊場」のすべての霊場の砂が埋めてある。

 

 

大師堂から本堂方向を見る。       右から本堂、開山堂、楼門、社務所の建物が並ぶ。

 

 

本堂の方向に進む。

 

 

鐘楼。    本堂と同じ時期の文化年間(1804~1817)に再建された。

 

 

梵鐘。  梵鐘には文化5年(1808)と刻まれており、建築様式などから本堂と同時期に再建されたものと考えらる。鐘の中央付近に7つ穴があり、戦時中の供出で鐘の材質を調べる為にあけられた穴の跡だという。それでも、供出にはならず今も残されている。

 

 

本堂の前。

 

 

本堂。    

 

 

蓮華形の常香炉越しに見た本堂向拝。

 

 

本堂【奈良県指定有形文化財】  入母屋造本瓦葺葺き。文化2年(1805)に上棟を終え完成迄に30年以上かかった堂。4mを超える本尊が安置されている。参拝時は、本堂内にて『やくよけ法要』を勤修しているため一般の内陣参拝はできない期間であった。一般の内陣参拝期間は4月~12月まで。

 

 

広縁部分。

 

 

本堂妻の懸魚。唐屋根の棟飾りがどのようなもの判別しない。

 

 

 

向拝の上部屋根は、唐破風に飾られた屋根。

 

 

蟇股は江戸後期から末期に取り入れられた意匠のようだ。

 

 

照明。

 

 

向拝を見る。

 

 

本尊の如意輪観音座像。 ガラス越しに見る。

如意輪観音座像【国重要文化財】    像高4m85cm 奈良時代  塑造の現存作品としては我が国最大の大きさ。かつ、我が国如意輪観音の最古の遺例。像は右手を挙げて施無畏の印を結び、左手は膝上に置き掌を仰いで与願印とし、左足を前に組んで坐す。現在は左脚の下方が切りつめられて結跏趺坐の姿をとるが、本来は左足を踏み下げた半跏像であったと思われる。

古来より”銅像”の東大寺 毘盧遮那仏(奈良の大仏)、”木像”の長谷寺御本尊 十一面観世音菩薩、そして”塑像”の岡寺御本尊 如意輪観音菩薩が日本三大仏だと言われる。 (写真は岡寺HPより)

 

 

広縁部分の格天井。

 

 

大紅梁と二重紅梁を掛け間に蟇股で支持の二重紅梁架構式で唐屋根を支えている。

 

 

垂木、肘木、斗拱などの組物の様子。

 

 

十三重石塔。   龍蓋池の上部に.昭和元年(1926)建てたもの。

 

 

龍蓋池。   創設当時の寺名龍蓋寺の元になった池。明日香の地を荒らし農民を苦しめていた悪『龍』を、義淵僧正がその法力をもって池の中に封じ込め、大きな石で『蓋』をしたという言い伝えの池。

 

 

義淵僧正の石碑。   飛鳥を荒らす悪龍を其の法力により石の蓋をもって、池に閉じ込め改心させる龍は善龍となり今でもこの池に眠る。

 

 

桜が真っ盛り。

 

 

 

本堂より一段高い場所の三重塔へ。

 

 

 

 

三重宝塔。  元々三重宝塔は治田神社境内に建てられたが、文明4年(1472)の大風により倒壊。その後も復興される事なく、昭和59年の弘法大師千百五十年御遠忌を契機に、昭和61年に514年ぶりに再建された。内部の扉絵・壁画・琴など平成13年に完成した。

 

 

 

軒先に荘厳として吊るされた琴は全国的に見ても復元されている例はないので、珍しい荘厳となっている。

 

                             (写真は岡寺HPより)

 

 

九輪に水煙の相輪。

 

 

4間四方の間口。

 

楼門【奈良県指定文化財】      書院(国重要文化財)の前方に建つ入母屋造の門。仁王門と同様に慶長年間(1596~1615)頃の建立と考えられている。独特の形式を持つ小型の鐘楼門として大変珍しい遺構。

 

書院【国重要文化財】        普段は非公開。平成元年の修理に係る調査で、南面側通りの足固框内面から寛永21年(1644)在年の墨書きによる落書きが発見され、書院建立はこの年か、それ以前という事と考えらるという。

 

 

 

 

 

 

 

境内も周辺も花盛り。

 

 

境内から見た橿原市方向。

 

 

境内から見た明日香村方向。

 

 

帰りの道も満開の桜が見送ってくれた。

 

 

案内図

 

 

 

御朱印

 

 

 

岡寺 終了

 

 

(参考文献) 岡寺HP フリー百科事典Wikipedia  ほかに、他のブログをいくつか参照