詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

大げさな話

2015年06月14日 | 雑記
高松にいるときに勤めていた会社の同僚が研修のため東京へ来たので、同じく高松で一緒に働き、いまは異動になって東京で働いている課長と三人で東京散策。歩くのが好きな三人なので四谷から始まり、飯田橋やお茶の水などをぶらぶらと、たまにビールも飲みつつ、あの建物は何?とか、このお花がきれい、などと言いながら、クタクタになるほど歩きました。途中で美しい教会を見て素晴らしいなぁと思いながら不思議な気持ちでいっぱいになりました。

外ももちろん立派な建物ですが、中に入るとまたまったく違う。別世界が広がっています。美しさに負けてお祈りしてしまいそう。
でも、もう、それとも、まだ?
私にはいまのところひとつの宗教を信仰するということは難しいです(誰にもそれを求められてはいませんが)。
人がお祈りする姿はとても美しいと思うし、お祈りするということ自体が救いだと思うし、正直なところ、私もしょっちゅうお祈りしています。でもひとつの形を信じる、ということはできない気がする。信者さんたちはどういう気持ちで信仰をしているのかなぁと、礼拝の説明をしてくださる方の横顔を見ながら思っていました。
それなのに、美しい教会はあって欲しい!そこでお祈りする人達がいて欲しい!いろんな(平和な!!)宗教があって欲しい!と自分勝手に思うのでありました。
教会の美しさがどういう意味を持っていたか、知らなくはない気がするので、純粋な気持ちで見ることはできないけれど、美しさには圧倒されます。そしてそこに流れている純粋な信仰心には心が洗われる気がします。
祈る気持ちや美しさには私は信仰を持てるかもしれません。
自分でもそれがどういうことかよくわからないのに、いつからか「美しさを信じたい」という気持ちがあって、その気持ちをいかに忘れないでいるか、が大げさですけど、私にとって人生のひとつのテーマのような気がします。ロマンチックで生きてきて、ろくに鍛えられてもいない自分のそんな気持ちに正しさなんてあるのだろうかと思いますが、自分は自分でしか在り得ないのだから、間違っていても仕方ない、と開き直ってみたり。

最近、詩について考えます。詩ってなんだろう、と思います。たまに現代詩手帖という詩誌を買って読んでみますが、多くの詩が謎、というかその独特な言葉遣いが苦手です。素晴らしく才能があるのだろう、すごいなぁとは思うのですが。そして自分が詩と称して書いているものは一体なんだろうと思います。これは詩なのかな?そもそも、私がしたいことって、詩を書くことなのかな?考えはいつまでもはっきりとした道筋をつけられず、味のはっきりしないスープをどろどろとかき混ぜ続けているような感じ。でも焦って答えを出さずに考え続けている(自分の人生で大切にすべきことは何なのか、どうしたらそれを大切にすることができるのかを考え続ける)そのずっと先のほうに、「神さま」と呼ばれる何かがあるような気がしたり……。しなかったり。だから拙い詩を書くなんて、本当に、時々無性に、恥しくなるのですが、やっぱり少しずつでも続けていこうかなぁと思うわけなのです。

道筋……なんて


紫陽花のきれいな季節になりました




仲良しの鴨さん


文化学院 いいなぁこの雰囲気!!


コメント
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