写真を撮るということは、日常の向こう側の隠された世界を想い見ることです。
カメラが一種の「窓」になって、ファインダーがそれを見つめる「眼鏡」の役割を果たしてくれます。
この窓を通して、身のまわりのさまざまな事物の細部にまず眼を向けます。
その細部がどれほど豊かな形と色彩であるか、突然輝いて見え始めたら、
それが「こころの眼」が開かれる瞬間です。
写真を撮るということは、詩人のように、万物が生まれ、死滅する時間の流れと自分の心を一体化させる、全く直感的な作業です。
詩人ほど想像力を駆使させることなくても、直感の火花といえるような、時空の瞬きやひらめきを捕まえるような… その意味では、俳人に 近いものかもしれません。
このブログでは、こころの眼、そして癒しのことばを募集していきたいと思います。
あなた自身が出会った「こころの眼」の体験、そして癒しのことばを教えてください。
私も20年来、アーティストとして写真を撮り、詩を綴りながら、その経験を分かち合っていきたいと思います。
皆さんと綴る、 こころの眼・癒しのことばが、少しでも世の中を豊かに彩り、そして争いやいじめを減らすために、少しでも役立つものとなりますように!
2007年1月4日
伊藤美露
カメラが一種の「窓」になって、ファインダーがそれを見つめる「眼鏡」の役割を果たしてくれます。
この窓を通して、身のまわりのさまざまな事物の細部にまず眼を向けます。
その細部がどれほど豊かな形と色彩であるか、突然輝いて見え始めたら、
それが「こころの眼」が開かれる瞬間です。
写真を撮るということは、詩人のように、万物が生まれ、死滅する時間の流れと自分の心を一体化させる、全く直感的な作業です。
詩人ほど想像力を駆使させることなくても、直感の火花といえるような、時空の瞬きやひらめきを捕まえるような… その意味では、俳人に 近いものかもしれません。
このブログでは、こころの眼、そして癒しのことばを募集していきたいと思います。
あなた自身が出会った「こころの眼」の体験、そして癒しのことばを教えてください。
私も20年来、アーティストとして写真を撮り、詩を綴りながら、その経験を分かち合っていきたいと思います。
皆さんと綴る、 こころの眼・癒しのことばが、少しでも世の中を豊かに彩り、そして争いやいじめを減らすために、少しでも役立つものとなりますように!
2007年1月4日
伊藤美露