MIRO ITO発メディア=アート+メッセージ "The Medium is the message"

写真・映像作家、著述家、本物の日本遺産イニシアティブ+メディアアートリーグ代表。日本の1400年の精神文化を世界発信

癒しの日本文化、その源のかたち

2007-08-26 15:40:59 | Weblog
癒しの日本文化、その源のかたち

大学卒業後、ドイツへ移住し、その後アメリカへ移住した私にとって、好きな街を上げるとしたら….
ストックホルム、ブダペスト、ベルリン・ミッテ地区の博物館島、ヴェネチア、ニューヨーク・マンハッタン島でしょうか。
共通するのはすべて水のある街であること。
ドナウ河の両岸に東西に広がるブダペスト以外は、水に浮ぶ島の上に創られた街です。
島がそのまま都市となったモントリオールも、いつか住んでみたい場所です。

水辺ではないのですが、日本で一番好きな場所は、奈良です。
現在進めている海外向けの展覧会プロジェクト「祈りと懺悔の身体」の撮影・取材のため、奈良の宗教行事は欠かすことができませんが、奈良には癒しの場所が実にたくさんあります。

私にとっての癒しの場所は、例えば、東大寺~春日大社から若草山を見上げる散歩道。
西大寺から佐紀楯列(さきたてなみ)古墳群を巡る古墳の道。
般若寺や奈良豆比古(ならづひこ)神社のある奈良阪町の古い街並です。
そして柳生一族の史跡を辿る柳生街道、生駒山麓の宝山寺、明日香の古墳探訪、吉野の天河神社…等々。
この3年間、足しげく通ったのも、どれも素晴らしいパワースポットだからです。

京都では、嵯峨野の愛宕山にある愛宕念仏寺(おたぎねんぶつてら)を昨年訪れました。
私の敬愛する友人でヒーラーの原田真裕美さん (NY在住) のお勧めのヒーリングスポットです。
千二百羅漢と触れ合ったその足で、愛宕街道、嵯峨野の竹林を抜けて嵐山に向かう道は、何度でも訪れてみたい場所です。
京都は、残念ながらまだあまり探索できていませんが、これから御能や禅の取材がてら、いろいろ訪れてみたいと思っています。

私自身、ドイツ~アメリカを拠点に11年半~12年ほど海外で活動してきたこともあり、日本文化に「癒し」を求め、その出発点に「身体表現」を選びました。
NYから飛んできていた時期も含め、足掛け5年間がかりで、日本文化の源のかたちを取材してきましたが、そのパワー&ヒーリングの源は、実は、水、樹々、石や岩に宿る、カミそのものであることに気づくようになりました。

そう思うと、日本には実にたくさんのカミの姿形があり、カミの降りる聖地があり、聖なる滝があり、聖なる石、聖なる木や山があります。

日本文化を撮影しながら、いつしか日本文化を突き抜けて、さらにその奥底に流れる、自然のすべてに宿る見えないカミの姿を見つめていきたい、思う自分がいます。
もはや西でもなく東でもなく、いま日本文化を通して、限りなくロマン派に近づいていくのです。


今日も美し過ぎる雲を眺めて....

伊藤美露
text and photo by miro ito, all rights reserved.
sky over kamiuma, 07.08.23

 ☆☆☆☆☆ 日本図書館協会選定図書 ☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション
 http://www.MdN.co.jp/

空、そして永遠の祈り

2007-08-20 19:33:05 | Weblog
空、そして永遠の祈り

8月15日の「終戦記念日」の空は、これまでに見た空の中でも最も美しい空のひとつでした。
東の上空に広がる竜巻雲が、地平線の彼方へと沈みゆく寸前の残り陽を浴びて赤く染まり、この世のものとは思えないほど怪しく、畏怖を感じさせるほどの美しい神秘の光を放っていました。

かつてNYで911を体験した時、その前日の東京の夕陽がいかに美しかったか、後になって知人から写真を見せてもらったことがありますが、その異様なまでに鮮やかな赤紫色の雲が、いまでも目に焼き付いています。
8月15日も、その翌朝に地震があったことで、「あれは地震雲だったかもしれない」と一瞬思ったほどです。神戸の震災の前にも「地震雲」が見えた、という話もあったそうです。

さて、空は実際、畏怖を感じさせる以上のものです。
私自身、911以降は、世界に祈りを捧げるプロジェクトとして、日本の伝統と前衛を繋ぐ「奉納の身体」「祈りの身体」という展覧会プロジェクト(※)をスタートさせましたが、空を見ていると、人智を超えた大いなる存在への祈りの原点に立ち戻れる気がします。

鈴木大拙禅匠の「禅は生命そのものであるから、生命の構造をなすものすべてを含んでいる。すなわち、禅は詩である、哲学である、道徳である。生命の活動のあるところ、どこにでも禅がある」(『禅』鈴木大拙著/工藤澄子訳、ちくま文庫より)のことばを思い出します。

以前のブログでも、禅は空(くう)を目指す、と記しましたが、空(そら)こそまさに禅そのものかもしれません。
そして空は詩であり、哲学であり、生命活動のあるところ、どこにでも空があり、空はどこまでも「永遠の祈り」なのです。

過去、現在、そして未来のすべての「終戦」に祈りを捧げて

伊藤美露
text and photo by miro ito, all rights reserved.
Sky over kamiuma,2007.8.15


※「祈りの身体」をテーマにした個展(能から舞踏へ)は、'07年10月15日~'08年1月5日まで、NY公立パフォーミングアーツ図書館(NY Public Library for Performing Arts)で開催予定です。詳細はまたブログでも掲載します。

 ☆☆☆☆☆ 全国図書館協会選定図書 ☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション
 http://www.MdN.co.jp/

光を見続けるー光を観る心

2007-08-11 01:05:18 | Weblog
光を見続けるー光を観る心

人生の嵐の只中にいる時、「葛藤」に捕われないことが、それを乗り切る第一の秘訣です。

人間には「耐えられない試練」はもともと与えられてはいない、と言われますが、辛い経験や悲しみ、苦しみそのものには、人生のよい面をすっぽりと覆い尽くす、圧倒的な闇の力があります。
当事者にとっては、これまでの生き方そのものを否定されるような、大きな災難として降り掛かってきます。
そんな時は、自分の価値観を再検証する時です。
自分を一旦真っ裸にしてみて、人生の目標なり、大切に思うものは何か等、基本的な問いかけを行うときです。

私自身、複数の異国で人生をやり直すほどの衝撃的な体験が何度もありましたが、その時に支えとなったのは、「光を見つけたい」という目標でした。
とはいっても、光は照らすに相応しい対象が現れるまで、見出すことができない、といわれます。
私は写真家として、美学家として、人間が見せる「光」を、作品として見出すことを思い立ちました。

ニューヨークに2000年を機に移住したのも、世界に「光」となる言葉を投げかけていたり、活動をしている人々と出会い、インタビュー集にまとめたい、という目標を抱いていました。
その目標は、NYを離れたいまでは、日本発の展覧会だったり、東西を結ぶ映像作品企画として、形を変えてはいますが、「光」を見つめ続けていると、自分自身がいつしか本当に光の恩恵を受けるようになるものです。少なくとも、大きな力に護られていることに気づく時がやってきます。

闇からの攻撃的な力を感じたら、極力、自分の好きな物、目標としているもの、大切にしてきた世界観など、もう一度胸にしっかりと抱きしめてください。
私自身、アーティストとして三つの国で生きてきた中で、ひとつ声高に言えることは、最後に救ってくれるのは、他でもない自分自身の心の力です。どんな状況にあっても、光を見続ける勇気です。

自分が信じているもの、愛する人々、魂を捧げてきた活動なり、価値を、嵐の中でこそ、心底大切に慈しんでください。

素敵な未来を願って....

伊藤美露
2007/8/11
sky over kamiuma, 07.08.07
text and photo by miro ito, all rights reserved.

空から学ぶことー葛藤を手放す

2007-08-04 18:57:59 | Weblog
空から学ぶことー葛藤を手放す

空を観ることの素晴らしさは、視点が変わることです。
空は多くのことを教えてくれますが、葛藤に満ちた日常にあって、空から学べることは、まず悩みや落胆をいかに手放すか、ということかもしれません。

禅が説くがごとく、「葛藤という束縛」から解放されるためには、「自然や雲の精神そのものになること」「われわれ一人一人に本来備わっているすべての力を解き放つこと」(鈴木大拙)が理想ですが、そこまでジャンプできなくても、一度自分の視点を空の高みにまで、飛翔させることで、何かが変わるかもしれません。

空を見上げていると、全てが瞬時に移り変わるという無常観とともに、それでも空は空であり続ける、という普遍的な力にうたれる思いがします。
その普遍的な力に我が身を預け、すべてをあるがままに受け入れようと決意するなら、いま捕われている経験の別の側面が見えてくるかもしれません。

別の側面とは、苦しみを与えた相手の心の闇だったり、嫉妬や侮蔑などのネガティブな感情だったり…そこまで見え始めたら、相手が差別したり、苦しませる理由は何か、ということも思いつくかもしれません。
といっても、相手の頭の中までを変えることはできないのですが、少なくとも相手と同じレベルで対峙せず、相手も含んだ自分の経験そのものを、あたかも自分の身に起こったことではないことのように眺められるほどの、距離感と冷静さを持つ事が大切です。そうすれば、状況自体を容易に変えられないとしても、辛い状況自体には、もう振り回されなくなります。振り回されなくなることで、原因への洞察を勝ち得、心の中で次の段階を準備できます。

そして太陽が陰り、雨が降り、空が荒れ、嵐があっても、いつかまた日は昇り、太陽が照り出すのを待つのです。
台風シーズンの空の表情は、怒りや悲しみ、葛藤をいかに手放すか、人生という嵐の中で、教えてくれるように思います。

大切なのは、これは私自身の永年の経験ですが、嵐に振り回されず、嵐が過ぎ去るのを、次のステップを準備しながら、忍耐強く待つことです。
忍耐とは、魂の成長のために実に不可欠な階段といえるものですから。

台風の合間に撮った空を眺めながら

伊藤美露

text and photo by miro ito, all rights reserved.
sky over kamiuma, 28/07/2007