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終りました。
地元町内の太鼓台も道具。神輿に続いて宮入を終らせて町内に帰ってきました。
もう太鼓台が列を組んで動くのも1年後までありません。
祭りの好きな6番孫は2日間殆ど家には帰ってきません。
寝るために帰ってくる2日間でした。
父親も神輿の奉仕で今日は殆ど家に居ませんでした。
7番孫だけが何故か家に居ました。
小学5年生、間にこのようになることも有ります。
私の子供の頃は戦争中祭りは中止でした。
気の荒い祭りの名残が色濃く残る時代でした。
幼稚園の頃でした、神輿と太鼓台の喧嘩で太鼓台は運行中止。
翌朝現場に行きました。
太鼓と神輿は折り合いが付いて撤収した後で影も形もありません。
がっかりして帰った記憶が残っています。
それ以来祭りは戦争で中断しました。
戦争が終った昭和20年は秋に祭りの日を変えて実施されました。
まだ小学6年生、祭典の細かい経緯は分かりませんでした。
以後中断は有りません。
台風のような天気でも実施されています。
太鼓台は雨の中でも運行出来るように道具が揃っています。
8月半ば、焚き火に当たって祭りをしたことも有りました。