気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

終戦当時の思い出

2016-08-03 17:17:49 | 人生

間もなく戦後71年目の終戦記念日を迎える。今では、戦後とか終戦記念日とか云はれても、殆ど実感がない世代が多くなっている。あれから70年余も過ぎているのだから当然のことだろう。

終戦記念日の度毎に、当時11歳だった当方には忘れられない出来事が幾つかある。その一つは、雑音が多くてよく聞き取れない「玉音放送」を聞いていた亡父(18歳から28歳までロサンゼルスで移民として働いていた。)が「これで終わった。あのアメリカと戦って勝てる訳がない戦争だったからな・・」と亡母にしんみり話していたことだ。

戦時中、亡父は勿論、戦争批判に類する話は一言も云わなかった。その亡父から意外にも「勝てる訳がない戦争だった」との一言の意味を知るようになったのは、中学・高校に進学し、社会や歴史の授業で米国について学んでからのことだった。勝てると教え込まれ、信じていた子供達にとってもショックだった敗戦だったが、亡父は戦中から、戦争の結末を予見出来ていたのだろう。

その二は、終戦のかなり前のある日、当方の田舎の湾岸に避難して来た2000t程の輸送船に対し、空襲があり、何発かの爆弾が投下された。幸いにして命中はしなかったが、軍記物の本に出ているような大きな水柱が上がった。そんな光景を漁港を見渡せる道の側溝に身を屈めながら目撃したこと。終戦後、この輸送船が積んでいた米穀が搬出され、約300戸の全戸に何袋かの米が配布された。食糧難の最中、このお米は村人にとっては予期せぬ贈り物となった。お陰で何年振りかで白米を腹一杯食べた記憶は今も鮮明に覚えている。

その三は、終戦後、港の市場に水兵さんの水死体が、日を異にして何体か収容され、筵(むしろ)にくるまれて安置されていたこと。胸には夫々ネームが縫い込まれていた。その時見た若い「板橋二等兵」さんの死顔は、色白で安らかに眠っているようだった。大人達の話では、終戦を悔やんで終結港に向かう輸送船等からの投身自殺者が何件もあり、「板橋上等兵」さんもその一人だったそうだ。勝つと信じて軍務に服した若者が、何故に自ら命を絶ったのか、その純粋な死生観のことを理解したのは、大東亜戦争史観について学んでからのことであつた。

思い出は以上の三点だけにとどめておくが、兎に角、終戦時、報道統制のタガが外れたことによる伝聞情報や、人々の志向や価値観は、あの時を境にして劇的に変わった。そんな変化を子供心に諸々体感させられた。当時は、貧しさに耐えることは出来ても、我々子供達も、新しい時代にどう対応するかについては、全くの無知蒙昧な状態だった。しかし、村人たちはそんな時代でも、自暴自棄になることなく、必死で生きて若者達を育て、今日の「ふるさと」の再生に力を尽くして呉れた。71年経った今年も、辛かったが温かかった終戦当時の村の様子なども、色焦ることなく脳裏に焼き付いている。

終戦前後の思い出は、世代、当時の居場所や環境により様々だ。現代の若者には関係のない歴史の一齣かも知れないが、時代が変わっても「温故知新」の教えに則り、せめて終戦記念日の歴史的意義について暫し考えて貰いたいものである。

 

 

 


老人閑居して惰眠を貪る事勿れ

2016-07-04 20:50:51 | 人生

過日、昔の仲間の集まりが都内であった際、初参加で15年振りに会ったN君が「皆さんご無沙汰致しておりましたが私も元気で、年寄りになりました。ところで皆さん、年寄りだからこそ、教育(きよういく)と教養(きようよう)が必要だという話をご存知でしょうか・・・と近況を交えて話し出した。

当方は、以前何かの雑誌で読んだことがあるので、「例の話だな・・」と直感した。だから特に興味はなかった。しかし、現役当時から能弁なN君が喋り出すと何か如何にも新鮮な感じもしたし、周りの同輩は興味ありげに聞き入っていた。この話、実はNet等でも紹介されているので、ご存知の方も多かろうから、詳述は割愛する。

要するにこの話は、駄洒落話しの類で、簡略に解すると「・・高齢者はとかく家に引き籠りがちになり易いので、健康の為には、教育(今日行くところ)と教養(今日用がある)ことが大切だ・・」ということを同音異義語の比喩で示唆して呉れている話である。

確かに高齢者向けの尤もな話だとは思う。N君の話を聞きながら自分も、今日行くところは、自ずと限られ、今日の用もその都度見つけて対応しているが、そんな自分でよいのかな・・それに、真面目な話し、若い頃から随分諸々の教育を受けて来た筈だが、果たして年相応の教養が身についているのかな・・とふと感じたりもしている昨今である。

今日行くところは、特になくても、例えば近くの図書館や公民館・書店等に行き、最近の国内外の事件や話題等(例:英国のEU離脱問題の行方、バングラデシュでのテロ事件の遠因・近因、参院選の与野党の主張の差異や選挙の見通し)について諸資料を手掛かりに常識として整理し直す等やるべき用はいくらでも見出す事が出来る

だから、やることを見出しもせず、年だし何もやりたくないと消極退嬰的な気持ちになり、家に籠るようなことだけは絶対にしないぞ!!と心に決めているし、日々そのように実行している積りである。

兎に角、体力気力が衰えても、「老人閑居して為すこともなく只管惰眠を貪る」ことの無いようにしたいものである。これが、満81歳になった老生の切ない今の願いである。


「莫生気」と題する人生訓

2015-10-13 12:47:43 | 人生
1、当方は30歳で結婚して以降、還暦頃迄の間は今思うと二重人格的性格の夫だった。家庭内では怒りっぽくて妻子には厳しく、知友人等には愛想のよい生き方をしていた。意識してそうしていたのではなく、自然にそんな男になっていたように思う。
 
そんな自分にピッタリな人生訓、それが長老のKさん(日本留学後日本に帰化)から教えて貰った標記の「莫生気」と題する漢詩である。一昨年から聴講しているNHKの「まいにち中国語」のラジオ講座の中でこの漢詩に用いられている用語とその読みに出会うことも時々あるので、今ではより馴染みのある漢詩の人生訓になっている。
 
意味は理解出来ているのだが、願わくは中国語読みが完全に出来るようになりたいものである。現代中国の特に対日政治姿勢には警戒すべき点が多い。しかし、同国の歴史・伝統・文化には学ぶべき事柄も多く、その点では、興味と関心は尽きることはない。

 2、Kさん伝授の漢詩「莫生気」の全文は以下のとおりだ。

戯     因

易     是

気    

気     気

意     況

比     家

起     神

3、概略の意味は以下のとおりだ。

人生は一幕の劇のようなものだ
縁あったが故に一緒になって今日に至った仲なのだ

だが、お互いに支えあって老いてゆくのは容易ではない
とは言え、だからこそ互いに労り大切に生きて行こう

日常の些細なことで気持ちを荒げたりしてはいけない
後で思い返せば、そんな必要も無かったと思うものだ

他人が気持ちを荒げても、自分は腹を立てないでいよう
腹を立てて病気になっても誰も、代わってはくれないから

もし私が怒り狂ったとしても、そんなことは誰も気にかけない
だから自分が気持ちを荒げれば、自分が傷つき無駄骨を折るだけだ
ご近所や知り合いと自らを比べてみても仕方なかろう

子供や孫のことにあれこれ口を挟まないように心していよう
苦しみも喜びもお互いに分かち合い、
神様さえも羨むような良き伴侶であり続けたいものだ

4、上記のような「怒り」に関する訓言は、わが国にもあるにはある。

例えば、「健康十訓」の中には「少憤多笑」、「人生五訓」には「・あせるな、・おこるな、・いばるな、・くさるな、・おこたるな」の戒めがあるし、徳川家康の「人生訓」の中には「・堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」などの訓言もある。

しかし、前記の「莫生気」のように、「怒り」そのものをテーマにした人生訓は、やはり中国独特の国民性や風土に由来して伝えられて来たものだろう。

ところが、前記Kさんの話によれば、中国でも古くから伝えられている「莫生気」も時代の変化で人口に膾炙されなくなりつつあり、若い人はあまり知らないだろう・・とのことだ。

洋の東西を問わず、これも当然の時代の成り行きなのだろうか。いずれにしても、格言とか人生訓は、時代を超えて語り継がれる「普遍性」と「説得性」がなければ、訓言としての価値も薄らいで行くのではないだろうか。

その点では、大先輩から教えられた本稿の「莫生気」も傾聴に値する名句であることは確かだ。けれども、若い頃から「人のあるべき生き方」を教え込まれて来たKさんが、今も大切にしているこの「莫生気」の人生訓が、中国大躍進の時代の波の中で次第に失われつつあるとすればそれは、隣邦の友として、とても寂しくて残念なことである。

 

莫生気(ムォ・ション・チ-)のこと。

2015-01-18 12:42:09 | 人生

かって、新宿区内で、某中華料理店の総支配人を務めていた通称「黄」さんとの付き合い関係が出来てから、もう既に40年近くになる。「黄」さんは今年満94歳だが、大変元気で、「気力を失えば老いが早まる。だから弱気は損気だよ。」というのが、先輩の口癖である。自宅居間には、皇居二重橋や昭和天皇・皇后及び今上天皇と皇后の写真を掲げている程の皇室崇拝者である。とにかく、我々以上に大和心を弁えた上海出身の帰化人である。

その「黄」さんから、老いては益々夫婦相互の愛と労りを大事にしなさいよ!と云われて5年程前に渡されたのが、「莫生気(怒ることなかれ)」と題する次の漢詩である。

      中国の誰が、いつ頃読んだ漢詩なのか、「黄」さん自身も解らないとのことなので、市の図書館及びインターネットでも調べた。だが、その辺りの事情は不明のままである。

しかし、概略の意味は「黄」さんから聞いていたので、当方なりの解釈も加え次にその全文を掲載する。

昨年から、80の手習いでNHKの中国語ラジオ講座を聞いて、テキストを頼りに勉強していることもあり、静かに声を出して読む度に、年の所為か、語感と味わい深い内容が沁みてくる昨今である。

 (全文は横書き、横読み)

人生は一幕の劇のようなものだ
縁あったが故に一緒になって今日に至った仲なのだ

だが、お互いに支えあって老いてゆくのは容易ではない
とは言え、だからこそ互いに労り大切に生きて行こう


日常の些細なことで気持ちを荒げたりしてはいけない
後で思い返せば、そんな必要も無かったと思うものだ

他人が気持ちを荒げても、自分は腹を立てないでいよう
腹を立てて病気になっても誰も、代わってはくれないから


もし私が怒り狂ったとしても、そんなことは誰も気にかけない
だから自分が気持ちを荒げれば、自分が傷つき無駄骨を折るだけだ
ご近所や知り合いと自らを比べてみても仕方なかろう

子供や孫のことにあれこれ口を挟まないように心していよう
苦しみも喜びもお互いに分かち合い、
神様さえも羨むような良き伴侶であり続けたいものだ

記「黄」さんの話によれば、中国では古くから伝えられている「莫生気」も、時代の変化で人口に膾炙されなくなりつつあるので、この詩も若い人はあまり知らないだろう・・とのことだ。洋の東西を問わず、これも時代の自然の成り行きなのだろうか。

 


80年目の新年の誓い

2014-12-31 23:38:00 | 人生

八十年目の新年を又新たにして複雑な気持ちで迎えることが出来た。

門松や 思えば一夜 三十年 (芭蕉)

めでたさも 中ぐらいなり おらが春 (一茶)

NHKの「紅白歌合戦」やその後の「行く年来る年」の番組を観ながら、30年前のことなどは確かに一夜の夢のようでもあるし、老生にとっては、迎えた「新年のめでたさ」も

中位いだな・・というのが正直な実感である。思えば、自分の子供の頃は、寂れた漁村では「80歳前後の老人」は実に稀有な存在で、印象に残っている仙人のようだった隣の爺さんは、あの頃確か75歳位だった。

「人生80年を超える時代」の今日、当の自分は、70年前の隣の爺さんの歳を遥かに超え、元気にこうして生かされているが、年齢的には人生の「終焉期」を生きているのである。

隔世の感深しである。14歳の頃大病をし、今で云う臨死体験もした自分が、先に逝った知友人よりもこうして長く生かされている。人の命の不思議さを身に染みて感じている。

長生きに伴い当然のことながら、体の老化ピッチは、逐年早くなりつつある。如何に計画的な体力管理に努めてもこの老化を止めることは、誰も出来ない。

しかし、幸いなことに人は誰しも、気持ちの持ち方次第で「心の老化ピッチ」を遅らせたり、気持ちの若さを保ち続けることは出来る。だから、傘寿を迎えても、徒に過去との比較で今の自分を不知不識のうちに、消極退嬰的老人にしてしまう必要はない筈だ。

「もう歳だから・・」と呟いていてるだけでは、残りの人生益々つまらなくなるだけだし、精神衛生上もよくない。ならば、弱気で内向きの生き方ではなく、寒さ・暑さも当然のことと受け入れ、常に心の背筋を伸ばし、何事につけても前向き志向で、与えられた残りの人生をゆっくり進もう。しっかりとした足取りで、今年も全てのことに感謝しつつ、趣味を友としながら、日々悔いのない人生終焉期の旅を続けて生きたいものだ。

これが、今年も吾輩が意図する老生の生き方観である。

末尾になりましたが、爺の拙いブログを覗いて頂いた諸氏のご健勝とご多幸を祈ります。