気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

ベランダの桜と行く年来る年

2014-12-23 16:11:44 | 人生

今年も人夫々、諸々の感慨を秘めながら行く年を送り、新しい年を迎えようとしている。何人かの知友人が又去って逝った。だが当方は、有難いことに70代最後の年の瀬を迎え、来年傘寿世代の仲間入りをする。今日迄生かされて来たことに感謝し、来年以降も平凡だが普通の老人でありたいと願っている。              

 

この寒さの中、ベランダ横の公園の桜達は、今は唯じっと寒冷に耐えている。春になれば、若葉をつけ、開花程なく満開の姿を見せて呉れる。そんな桜達をベランダから観る度に、桜達の逞しさ・強さ・可憐さに共感するものがある。反面、残りは限られ、白頭老化が進む老生だが、先を憐れむこと勿れ、傘寿を迎えても、心迄もが萎えること勿れである。ベランダ横の桜達は、そんなことを行く年来る年の自分に教えて呉れているようだ。

 

初唐時代の詩人、劉 廷 芝(:651年-- 679年)の「代悲白頭翁 (白頭を悲しむ翁に代わる)」と題する漢詩の中に次のような一節がある。

  古人無復洛城東   古人また洛城の東に無く

 今人還對落花風   今人還って対す 落花の風

 年年歳歳花相似   年年歳歳花相似たり

 歳歳年年人不同   歳歳年年人同じからず

 寄言全盛紅顔子   言(げん)を寄す全盛の紅顔子

 應憐半死白頭翁   応(まさ)に憐れむべし半死の白頭翁

 此翁白頭眞可憐   この翁白頭真に憐れむべし

 伊昔紅顔美少年   これ昔紅顔の美少年

前記のうち当方は、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同・・」の件(くだり)が大好きだ。毎年花は同じように咲くが、この花を見る人々は毎年移り変わり、昔紅顔の少年も、今はすっかりくたびれた白髪老人になっている・・との部分である。花と人の生涯を端的に詠んでいて、心に響く余韻を感ずるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大相撲名古屋場所・稀勢の里考

2014-07-28 23:07:06 | 人生

大方の予想通り、名古屋場所で白鳳が30回目の優勝を成し遂げた。平成の大横綱にしてみれば、一つの通過点だろうから、1年以内に大鵬の32回・千代の富士の31回の優勝回数を更新することは容易に可能なことだろう。

この場所は見どころもいろいろあった。関脇豪栄道が大健闘して大関昇進を確実にしたこと。角番大関・琴奨菊が千秋楽迄優勝戦線に残って健闘したこと。負け越しはしたが西前頭3枚目の大砂嵐が2日続けて横綱鶴龍と日馬富士を破る史上初の連続金星を挙げたこと。23歳若手のホープ、前頭5枚目遠藤が善戦して勝ち越したことなど話題豊富で活気のある場所だった。

だが、注目が多かった上位陣の中で、誰もが又しても期待はずれだったな・・と思ったのは、相変わらず強さと弱さの両癖病のある大関「稀勢の里」の戦績である。出だしは良かったものの中盤以降崩れて、今場所は結局9勝6敗の成績に終わった。

ところでこの大関は、白鵬とは年令・初入幕も1年違い、三役昇進は19歳11ヶ月で貴乃花・北の湖・白鵬につぎ歴代4位の実績もあり、大関昇進のころから、日本人横綱の最短候補と目されていたし、白鵬キラーとしても認められて来た。事実、白鵬の63連勝(2010.11月)23連勝(2011.1月)、43連勝(2013.7月)を夫々の月に大きな壁となって阻止して来たのは、この稀勢の里だけだ。

本人には悪いが、あのふてぶてしい面構えで、今場所も小手投げで堂々白鵬を破り、流石稀勢の里と誰もが思った。だがその後、残り2日は2横綱になす術なく惨敗した。白鵬を破ったあの勢いはどこに行ったのかと云いたくなる2連敗した負け方を観て思ったことがある。

それは、この大関は、「心技体」のうち、最も欠けているのは「心の強さ・逞しさ・柔軟さ・厚釜しさ」ではないだろうかということだ。さらに云えば、この1~2年、稀勢の里は次の場所で12勝以上すれば、横綱昇進間違いなしと半ば約束され乍、そんなチャンスの場所になると不甲斐な戦績で昇進のチャンスを自ら潰しているのも、心の脆さが大きな原因になっているのではないかと思わざるを得ない。

稀勢の里なる四股名の「稀勢」とは、今迄にない勢いのある力士と云う意味もあるのだろうが、現状では、その「稀勢の里」が、稀に大器の片鱗を見せて、豪快な勝ち方をする時もあるが、脆さも大ありの万年大関に成り下がってしまっている。こんな現状に一番悔しい思いをしているのは、勿論当の関取本人だろうし、その親方だろう。しかし、ここで忘れられてはならないのは、長年期待を裏切られ続けている多くの稀勢の里フアンである。

かく云う当方も隠れ稀勢の里フアンの一人だ。だから、もし、来場所以降も稀勢の里らしい成績が残せなければ、多くのフアンは稀勢の里の将来に見切りをつけることにだろう。もしそうならば最悪の場合、同大関は、相撲人生上最大の窮地に見舞われることになるような気もする。

そうならない為にも稀勢の里には、来場所に向け今から「心のギア」を入れ直しリニュウアル稀勢の里として次回こそ本来の底力を見せつけられる大大関に変身することを心底切望したい。こう願うのはこの老生だけではないだろう。


来年は傘寿の仲間入り!

2014-06-30 08:27:21 | 人生

6月28日で満79歳になった。なつたと云うより、諸々の人に支えられ「お陰で長生きさせて貰って今日に至っている」と認識すべきであろう。いずれにしても、ありがたいことである。気持ちの面では未だ「古希」位の積もりなのに、社会通念上は、もう「傘寿」直前の老人になっている。

劉廷芝の代表作「代悲白頭翁」の詩の中にある・・年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 寄言全盛紅顏子 應憐半死白頭翁 此翁白頭真可憐 伊昔紅顏美少年(・・年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず 言を寄す全盛の紅顔子 應に憐れむべし半死の白頭翁 此の翁の白頭 真に憐むべしこれ昔 紅顔の美少年)」の文節が当方大好きである。  

どちらかと云えば当方も少年の頃は、紅顏美少年だったように思う。それはともかく、当時は多少風邪気味でも、学校を休むのは「生徒の恥」だと心得ていた時代だった。手袋等したくてもなかった吹雪の日でも、ホッペを赤くして通学していた頃の郷里の小学校も来年6月、少子化対策の一環で廃校になるそうだ。こうした通学環境の変化も時代の必然の流れであろう。小学時代から60数回の年年歳歳、歳歳年年を経て今の自分がある。幾度かの試練や苦難もあった。

人生には、山もあれば谷もあるのは当然だ。この先、新たな試練や苦難もあるだろう。無事傘寿の坂を登ってもその先、まさかの坂に遭遇するかも知れない。老生の実人生は確かに下り坂の途上にあるとしても、未だ余生は残されている筈だ。

人生の終章を「ピンコロ終焉」で迎えたい。ぜひそうありたいと切に願っている。けれどもそれ迄の間は、持病と上手に付き合いながら、周りに余計な迷惑をかけることなく、努めて元気で長生きしたいものである。

 


同郷の後輩へのレクイエム

2014-05-28 11:12:27 | 人生

T君が喉頭癌で逝去されたのを知ったのは 26日の葬儀が終ってからだった。当方はT君の兄S君とも親交があるのに何故じ後連絡でしか、T君の消息を知り得なかったのか聊か残念だった。この訃報のじ後連絡には、兄弟不仲関係が原因しているようだった。幼少期に父親を亡くした兄弟が不仲になったのは、もう40年も前のことである。


詳述は省くが、長兄のS君が弟T君の結婚のことで、良かれと思って何度か仲立ちをしたその好意の何処かに、T君としては終生許せない理由があったようだ。以来、実母が逝去された時も含め不仲の始まり以降、T君は一度も帰省せず、70年の生涯を終えてしまった。


葬儀後T君の奥様からお知らせの電話を頂いた。「・・主人は頑固な人で1年前頃から闘病中も、実家や同郷の知友人には絶対他言無用だと厳命されていていましたので事前の連絡が出来ず失礼しました・・」とのことだった。確かにご兄弟は共に「頑迷固陋で一徹」な一面があったことはお互いに認めてもいた。


しかし、そんな間柄をよく知る先輩としての自分が、何故、両君の和解の取持ちをこれ迄真剣にしてあげられなかったのか、今にして後悔することも多々ありである。
「義を見てせざるは勇無きなり」ではなかったのか、反省し悔やまれてならない。
本当は誰よりも故郷への想いが強かった筈のT君・・兄さんとの仲直りの手伝いが何も出来なくて申し訳ない。ごめんなさい・・祈るご冥福・・合掌