気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

団地入口表示看板雑考

2016-09-03 17:47:45 | 環境

散歩を兼ねて近傍団地周辺を散策の際、団地入口に表示されている看板類には夫々特徴があることに気付いた。以下はその例示である。概して云えることは、古くからの団地のものは、単調で目立たない表示のものが殆どで、逆に築歴の新しい団地においては、工夫を凝らしたカラフルかつイラスト入りで目に留まり易いものが多いことだ。

 

これらの看板に共通した特徴の一つは、表示要領は異なるがいずれの団地にも「私有地につき関係者以外の通行・駐停車禁止」を掲示した看板が設置されていることだ。

当方がこの看板設置に関し疑問に思うことは、「関係者以外の通行人が、団地内の通路を近道替わりに利用することについての法的根拠と効果」について、どう認識すべきかということだ。

当方の結論はこうだ。「団地の管理組合及び住人は、民法206条「所有者は、法令の範囲内で、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する」により、写真のような通行・駐停車禁止」の看板類の設置は当然の権利として有している。

しかし、その権利を盾に、単に通行する関係者(車)以外の者にその通行禁止を義務づけることは法的には出来ないのではないか」と考える。何故なら、当該団地の組合と、不特定多数の第三者(関係者(車)以外の通行人)との間には何の契約関係がない故に、通行禁止の意思表示を如何に明確に明示していても、不特定多数の第三者には履行の義務を伴わないからである。

但し、その不特定多数の第三者のうちのある者が、許可なく敷地内に駐車等をして住人に不利益を与えたり、団地内通行中に住人や施設等に迷惑を及ぼす行為を行ったりした場合は、不法侵入に伴う刑法上の責任を追及する権利は、当然に認められている。

余談で行為の対象は異なるが、団地内に立ち入り、集合郵便受け等に勝手に風俗などのいわゆる「ピンクチラシ」を投函する行為は、迷惑防止条例や風俗営業法で禁止されているので法令違反として取扱えることになっている。

 

それは兎も角として、多額の経費をかけずに「関係者()以外団地内通行禁止」の看板効果をより高めるための妙案は何かないものか、近傍団地周辺を散策時ふとそんなことを暫し考えさせられた。


大好きな遊歩道

2016-04-25 23:06:57 | 環境
この3月に、既設部分も含む浦安海岸沿いの遊歩道(約4Km)が全面完成した。環境にも恵まれているこの遊歩道は今後益々地域住民に親しまれるエリアとして注目されることになるだろう。茶褐色の歩道は足への負担も少なく、水捌けのよいアンツーカ仕様なので大変歩き易い。 
    
 
左側は東京湾、右方向には新興住宅地が立ち並んでいる。平日の利用者は今はまばらで、暇な中高年者が殆どだが、休日ともなるとジョギング愛好者等で活気ずく。若狭の海辺育ちの当方は、今も海への愛着心が強く、東京湾にも微かな潮の匂いがあることを体感している。対岸の内房総や広い東京湾を眺めながら歩く度に、素敵な環境の下で健康にして快適・爽快なウオーキングが出来ることの有難さを感じている。 
 
  
 
晴天で干潮時は、この「三番瀬」一帯は「あさり」採りの人気エリアになる。遠浅海岸なので、かなりの沖合迄マニアの人達が繰り出している。対岸は幕張メッセや京葉コンビナート群が繋がっている。     
 
  
 
遊歩道の中間に位置するこの広場付近は、東日本大震災の際は諸所に陥没や断裂カ所が出来たが、2年前に補修整備され右手奥の広い「総合運動公園(一周約1300m)とともに「交流広場」として市民に親しまれている。   
        
        

ドーム状の休憩場所はこの地域の西の端に位置しており、視程の良い冬期は富士山を遠望することも出来し、羽田・横浜・東京アクアラインの海ほたる・木更津方面等を見渡せる絶好の人気スポットになっている。

       
  
     
沿道を含む湾岸地域一帯には若い所帯の新しい高層マンションが多い。JR駅のすぐ近くに位置する当方達の団地は市内で最も高齢化しているが、浦安市自体の平均年齢は未だ38.3才で、愛知県の長久手市に次いで全国第二の若い街なのである。
 
   
 
市内を二分して流れる「境川」の延長上(約13Km先)には東京スカイツリーも見えるし、川辺では、休日等はハゼ釣り等の家族連れで終日のどかな光景も観られる。
   
   
     
自宅からドアToドアで、以上の遊歩道を含む散歩の距離は約7kmになる。歩速を強いて速めず、途中殆ど休憩もせず、歩くこと約1時間40分程の歩行運動を聊か酷に感ずる時もある。しかし、爽快な気分で、諸々の思索をしながら、大好きな遊歩道を日々快適に利用出来ることは、傘寿過ぎの老生にとって誠に有難いことである。だから、五体五臓が概ね満足で、概ね正常な動作行為が出来る限り、「大好きな海辺の散歩」と名付けているこの散歩を今後も続けたい。「継続は力なり」なのだから。

「多死社会」の現実に関するNet記事について(雑感)

2016-04-14 11:50:33 | 環境

先日、『遺体ホテル 遣体-加速する「多死社会」の現実』と題するNet記事を読んだ。遠からずお迎えを受ける老生にとっては、身近な現実を垣間見たような思いもした。

同記事の要点は次の通りだ。

1.我が国の年間死亡者数は約130万人。死亡者は年々増加し、団塊の世代が80歳代を迎える2030年には毎年約2万人ずつ増加して160万人に達する。因みに都内での年間死亡者数は約11万人、毎日平均約300人以上が死亡しているが、島嶼部を除く都内の火葬場は慢性的に不足しており、その数は僅か26カ所しかなく増設は容易な状況ではない。

2.総じて特に大都市部では、仮想場や斎場が相対的に不足していること等の理由から、該当地域では、遺族の火葬希望期日・時間帯に対応出来ず、死亡者数が増える冬場や夏場等の繁忙期には火葬待ちの期間が長くなり、7日位になるケースも現に生じている。

3.遺体を解剖実習の為に提供する「遣体」の登録数は、30年前の約4倍で、現在約26万人が既に登録済で、その数も増加傾向にある。その理由は、独居老人の増加、遣体に供すれば火葬費用は病院負担になる等の背景事情もあるそうだ。

4.火葬順番待ち等の多死化事情に対応するため、既に首都圏、大阪等では、遺体を一時安置して、通夜・葬儀、遺族の宿泊等も可能な使用目的限定の「遺体ホテル」ビジネスも始められているとのことだ。

 

以上の諸事実からも明らかなとおり、我が国における多死化の波は、このように避けては通れない大きな社会現象になりつつあることは確かだ。

因みに、当方が住む浦安市の1日平均死亡者数は2.4人で、この数値は、全国813市区の1日平均死亡者数5.4人の半数以下である。死亡者数は全国平均より遥かに少ない。加えて、浦安市には最新の火葬場も整備されているし、今後の埋葬需要を十分満たせる立派な墓地公園も整備され、かつ拡充もされている。

その点で、浦安市民としては、多死社会の事情に悩まされることは将来的にもまず無さそうである。とは言え、余生は長くない老生と雖も、現に生起し、将来的にも益々懸念事情が複層化するこの国の「多死社会」の現状と今後の趨勢を等閑視することは出来ないだろう。


隅田川沿いを夜桜観光船で周遊

2016-04-04 17:51:55 | 環境

4月3日都内、隅田川沿いを周遊する夜桜周遊船に初めて乗船し、墨田公園はじめ、両岸沿いに咲き誇る満開の夜桜を存分に楽しんだ。

約45分間、船上から彩り鮮やかな東京スカイツリーとその周辺の景観や吾妻橋から桜橋に至る両岸の夜桜は実に見事だった。

折しも、春休み期間中とあって、船内は多くの老若男女や外国人観光客もいたし、この時期ならではの墨田芸者さんによる踊りの披露もあり、雨上がりで日曜日の夜桜周遊ツアーは大賑わいであった。

古いデジカメで、夜景写真撮影に不慣れなこともあり、ピンボケ写真ばかりではあるが、情景説明上は、写真なしより多少はよかろうと思い、敢えて不出来なスナップを掲載した。屋形船が多い遊覧船の中でも当方達が乗船した遊覧船は2階層に展望デッキ付で、墨田川周辺周遊船としては最大級の観光船だった。

乗船料は、ビール等の飲み物に弁当込みで大人2800円だった。僅か45分、されど代金相応に乗って楽しめた日曜夜のひと時を過ごせた。折角の機会なのに、船上デッキからの風景鑑賞よりも、船内に残って飲食しながら談笑する客人もかなりいた。人夫々、人間模様も様々である。夜桜を眺めながら、桜についてふと次のようなことを感じた。

それは、桜はやはり、この時期の花の主役であり、朝・昼・晩夫々に趣を異にする観方で楽しめる。加えて、桜という大和花は、年齢や性別を問わず、観る人を厭きさせず、その人達の心に“しんみりと何かを思わせ、感じさせ、考えさせて呉れる花だ。だから、この点で、この”桜“という花は、確かに” 華麗さと冷徹さを合わせ備えた美な心の花“だとの思いを新たにした。

同時に、こんなに素晴らしい満開の桜達も程なく散りゆくのか・・と思うと何故か寂しさも感じられた。そんな思いと同時に、あの名曲“さくら”の歌詞にある「霞みゆく景色の中に、あの唄が聴こえる さくら さくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って・・の」一節を思い出した。

乗船した娘夫婦等を含む8人のうち、前記のように聊かセンチメンタルな感じ方をして下船したのは、多分当方だけだったようだ。でもこのたびの夜桜船上周遊は、冥途の土産にしたい位極めて素敵で、心に残る貴重な体験でもあった。

 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。とにかく桜という大和花は、終活期のこの老生に、この時期、いろんなことを暗示して呉れているようだ。


隅田川沿いを夜桜観光船で周遊

2016-04-04 17:51:55 | 環境

4月3日都内、隅田川沿いを周遊する夜桜周遊船に初めて乗船し、墨田公園はじめ、両岸沿いに咲き誇る満開の夜桜を存分に楽しんだ。

約45分間、船上から彩り鮮やかな東京スカイツリーとその周辺の景観や吾妻橋から桜橋に至る両岸の夜桜は実に見事だった。

折しも、春休み期間中とあって、船内は多くの老若男女や外国人観光客もいたし、この時期ならではの墨田芸者さんによる踊りの披露もあり、雨上がりで日曜日の夜桜周遊ツアーは大賑わいであった。

古いデジカメで、夜景写真撮影に不慣れなこともあり、ピンボケ写真ばかりではあるが、情景説明上は、写真なしより多少はよかろうと思い、敢えて不出来なスナップを掲載した。屋形船が多い遊覧船の中でも当方達が乗船した遊覧船は2階層に展望デッキ付で、墨田川周辺周遊船としては最大級の観光船だった。

乗船料は、ビール等の飲み物に弁当込みで大人2800円だった。僅か45分、されど代金相応に乗って楽しめた日曜夜のひと時を過ごせた。折角の機会なのに、船上デッキからの風景鑑賞よりも、船内に残って飲食しながら談笑する客人もかなりいた。人夫々、人間模様も様々である。夜桜を眺めながら、桜についてふと次のようなことを感じた。

それは、桜はやはり、この時期の花の主役であり、朝・昼・晩夫々に趣を異にする観方で楽しめる。加えて、桜という大和花は、年齢や性別を問わず、観る人を厭きさせず、その人達の心に“しんみりと何かを思わせ、感じさせ、考えさせて呉れる花だ。だから、この点で、この”桜“という花は、確かに” 華麗さと冷徹さを合わせ備えた美な心の花“だとの思いを新たにした。

同時に、こんなに素晴らしい満開の桜達も程なく散りゆくのか・・と思うと何故か寂しさも感じられた。そんな思いと同時に、あの名曲“さくら”の歌詞にある「霞みゆく景色の中に、あの唄が聴こえる さくら さくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って・・の」一節を思い出した。

乗船した娘夫婦等を含む8人のうち、前記のように聊かセンチメンタルな感じ方をして下船したのは、多分当方だけだったようだ。でもこの度の夜桜船上周遊は、冥途の土産にしたい位極めて素敵で、心に残る貴重な体験でもあった。 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。とにかく桜という大和花は、終活期のこの老生に、この時期、いろんなことを暗示して呉れているようだ。