一日中雨。11-7℃


雨は好きだけど、気温はいきなり寒いし、
快適オフィスでもない限り、落ち込み気分の人も多いのではなかろうか?
関東 雨と真冬の寒さ続く 都心10度未満
夕べから睡眠不足が続いている…。




いつもの環境にして、クロに任せて、
でも、死んでいるんじゃないのか、気になって気になって、


呼吸していると、ホッとする。
排便はともあれ、排尿感覚があったり、無かったりで、おむつ交換も頻回に。

動物のおむつも進化した、人間並みだし、当てられる猫も素直だ。
そして、これがビリルビン尿、ご参考までに。
エイズウィルスが悪さをしているのだ。
輸液もする。量は注意深く。




輸液瘤を優しくゆすってあげ、分散させる。
凹んだ眼には目やにが浮かび、動物用の目薬を差す。
その後、食事をさせ、オムツもみて暖房しているベッドに運ぶ。

時間ごとに衰えていくのが解るのだが、これでも結構、まだ自分の意志で動いている。
食欲もある。
「猫は中年期が長いなぁ」と思うのだが、犬よりはるかに老年期が短いと思う。
今迄の猫達より、やいやいは頑張っている方だ。
練習もするが、実際フラフラだ。


このところ、私生活もグダグダすぎて眠れない+猫重篤のあり様。
30年間探した古本をめくってみた。





いずれにしろ内容は同じだが、一冊は80年前の本、中は綺麗だ。




帯からハガキ迄全部揃っている。
そして買って良かったと思った。
村岡花子氏同様、深澤正策氏も名訳であって、
というか、ほぼ二人の文体に違和感がなく、同一人物が訳したような。
また当時の人間の葛藤が、人種も違えど、今とほぼ同じことに気づかされた。
多分これは人間である限り、永遠に変わらないのだろう。
まだ読み始めたばかりだが、
パール・バックは宣教師の娘であったが、私といささか同じことを感じて書いている。
キリスト教を熱心に布教する立場よりは、少し客観性がある。
それは、宣教師の布教に集まる中国の民衆の事。
すでに幾年かの昔になっているが、今でもそのささやかな信者の集まりのことを思ふと、私は胸が張りさせるばかりになる。そこには何とはなしに、無限の痛ましさがあった。なぜ、彼等は昔ながらの自分達の社会から抜け出してこの見馴れぬ人の教えを聞くのだろうか?なぜ、彼等は自分達の社会の安全を去って、彼を信じるのだらうか?
そのあと集まってきた人たちの心の平安が欲しいというわかり易い願いや、
単に英語が学びたいなんていう、ちゃっかり目的のケースの記述が続く。
求めるものは違ふけれど、何物かを求めて、人々は伝導所に来た。好奇心だけで新しいことを見聞きするために来た人々は、すぐに姿を見せなくなる。しかしどの伝導所にも、少数の人たちが必ず残る―――そうして説教を聞き、学び、そうして最後に信者になって聖餐式のパンを食べ葡萄酒を飲むのである。そのパンを食べ、その葡萄酒を飲んだあとではアンドリウに彼等は一心になって縋りつく。なぜならば、もう頼るところがないからである。彼等は自ら同国人を捨てたばかりでなく、彼等自身も依然と同じ人間になりえない。キリストに属する者だ。
ここからは、
改宗した人々のことを、私はパールと違い、
遠藤周作「沈黙」、歴史上のキリスト教利用の植民地政策とか、「インディアン悲史」@インディアンのキリスト教への改宗教育の人々と変わらないと思う、
去年起こった事件、「北センチネル島」の宣教師殺害事件で問われる「未接触部族」の権利までを思い出してしまった。
最後の事件については、「まぁ余計な事を、」とも思うw
だが、パール・パックの父親は自分の信じる神を疑うということを知らない、
使命感を持って、彼が思う哀れな異教徒を生涯布教し続け、80歳で中国の土になった。
パール・パックの父母の生い立ちの描写も、
二人が伝道師になるまでの決意の話も面白いのだが、
新天地で語学を学習する方法や、
中国語聖書の翻訳の苦労話、
その時の中国の歴史的背景、外国人が観た異国での生活、
「母の肖像」と照らし合わせて、考えの違いからくる夫婦の軋轢、
極貧の中で、いかに暮らしてゆくかなど、
この2冊は私には本当に面白い本であり、様々な生きるヒントをくれる。


雨は好きだけど、気温はいきなり寒いし、
快適オフィスでもない限り、落ち込み気分の人も多いのではなかろうか?
関東 雨と真冬の寒さ続く 都心10度未満
夕べから睡眠不足が続いている…。




いつもの環境にして、クロに任せて、
でも、死んでいるんじゃないのか、気になって気になって、


呼吸していると、ホッとする。
排便はともあれ、排尿感覚があったり、無かったりで、おむつ交換も頻回に。

動物のおむつも進化した、人間並みだし、当てられる猫も素直だ。
そして、これがビリルビン尿、ご参考までに。
エイズウィルスが悪さをしているのだ。
輸液もする。量は注意深く。




輸液瘤を優しくゆすってあげ、分散させる。
凹んだ眼には目やにが浮かび、動物用の目薬を差す。
その後、食事をさせ、オムツもみて暖房しているベッドに運ぶ。

時間ごとに衰えていくのが解るのだが、これでも結構、まだ自分の意志で動いている。
食欲もある。
「猫は中年期が長いなぁ」と思うのだが、犬よりはるかに老年期が短いと思う。
今迄の猫達より、やいやいは頑張っている方だ。
練習もするが、実際フラフラだ。


このところ、私生活もグダグダすぎて眠れない+猫重篤のあり様。
30年間探した古本をめくってみた。





いずれにしろ内容は同じだが、一冊は80年前の本、中は綺麗だ。




帯からハガキ迄全部揃っている。
そして買って良かったと思った。
村岡花子氏同様、深澤正策氏も名訳であって、
というか、ほぼ二人の文体に違和感がなく、同一人物が訳したような。
また当時の人間の葛藤が、人種も違えど、今とほぼ同じことに気づかされた。
多分これは人間である限り、永遠に変わらないのだろう。
まだ読み始めたばかりだが、
パール・バックは宣教師の娘であったが、私といささか同じことを感じて書いている。
キリスト教を熱心に布教する立場よりは、少し客観性がある。
それは、宣教師の布教に集まる中国の民衆の事。
すでに幾年かの昔になっているが、今でもそのささやかな信者の集まりのことを思ふと、私は胸が張りさせるばかりになる。そこには何とはなしに、無限の痛ましさがあった。なぜ、彼等は昔ながらの自分達の社会から抜け出してこの見馴れぬ人の教えを聞くのだろうか?なぜ、彼等は自分達の社会の安全を去って、彼を信じるのだらうか?
そのあと集まってきた人たちの心の平安が欲しいというわかり易い願いや、
単に英語が学びたいなんていう、ちゃっかり目的のケースの記述が続く。
求めるものは違ふけれど、何物かを求めて、人々は伝導所に来た。好奇心だけで新しいことを見聞きするために来た人々は、すぐに姿を見せなくなる。しかしどの伝導所にも、少数の人たちが必ず残る―――そうして説教を聞き、学び、そうして最後に信者になって聖餐式のパンを食べ葡萄酒を飲むのである。そのパンを食べ、その葡萄酒を飲んだあとではアンドリウに彼等は一心になって縋りつく。なぜならば、もう頼るところがないからである。彼等は自ら同国人を捨てたばかりでなく、彼等自身も依然と同じ人間になりえない。キリストに属する者だ。
ここからは、
改宗した人々のことを、私はパールと違い、
遠藤周作「沈黙」、歴史上のキリスト教利用の植民地政策とか、「インディアン悲史」@インディアンのキリスト教への改宗教育の人々と変わらないと思う、
去年起こった事件、「北センチネル島」の宣教師殺害事件で問われる「未接触部族」の権利までを思い出してしまった。
最後の事件については、「まぁ余計な事を、」とも思うw
だが、パール・パックの父親は自分の信じる神を疑うということを知らない、
使命感を持って、彼が思う哀れな異教徒を生涯布教し続け、80歳で中国の土になった。
パール・パックの父母の生い立ちの描写も、
二人が伝道師になるまでの決意の話も面白いのだが、
新天地で語学を学習する方法や、
中国語聖書の翻訳の苦労話、
その時の中国の歴史的背景、外国人が観た異国での生活、
「母の肖像」と照らし合わせて、考えの違いからくる夫婦の軋轢、
極貧の中で、いかに暮らしてゆくかなど、
この2冊は私には本当に面白い本であり、様々な生きるヒントをくれる。
寝られないのも分かります
息きをしているかしてないか....そんなことも24時間づきますものね。
輸液もおひとりでよく出来ますね。
私なんかあの太くて長い針が怖くってパパさんと一緒やっていました。パパさんは抑える役で針はとてもとても出来ないと....
みゃー様ご自身の体の痛みもあります。どうか....休めるときは休んでくださいね。
みゃー様の本にかける熱情は凄いものですね。
私のようにあまり本を読みない人間にとっては驚くばかりです。
かなり昔の本でも綺麗に保存されるものなのですね。
寝てくださいね。
お疲れ出されないよう。。。
やいやいは、意外ともってくれていますね。
まぁ、動物にしても人にしても、こんな日々が続く、
私は黒歴史を明かすと、
動くもの対象でもオムツ交換、摘便が得意なんです。モルヒネ使うとカチコチになるしね、
そんなの特技にもなりませんがwwwww
ここ数年なかったのが奇跡ですね。
家族が同意しなくても、
自分が保護すると決めたら、
もしくは言い出しっぺが自分であるのなら、
自分で全部のことが出来るようにしなくてはいけないと私は思っています。
医療関係の友人も私の気持ちにこたえてくださいます、三方活栓が使えた時は嬉しかった。
獣医師も私と話すと楽しいとおっさっる、
社交辞令でしょうが、そもそも質問の質が違うらしい、こちらはもう必死ですけどね。
私はもう自分の体力の限界で、保護はもうできぬと思うわけで、
最初から他力本願の道すらなく30年です。
仲間も似たようなものです。
病院やレッスン=貴重な社会人の勉強の時間だと思う。
動物に限らず学ぶチャンスです。
必ず、人や動物のQOLに必要、覚えられるものは泣いてでもやりとげる。
それは子供のころから叩き込まれてきた、人間は所詮一人なんだって。
だが、近頃衰えてきて、気力がないのが問題です。ヒッキーです。
また、そう教えてくれた両親も、結局は私に共依存でしwww
嫌でも覚えたその知識は、一般には何の役にも立たないものではあります。
本も同じです。
読まなくても生きていけます。
芸術しかり。
だから、若き日に司書教諭も短期間した時期もあるのですが、その後は、
自分を生きるというより、家という集団で生きろ、
従順になれで、「人形の家、ボヴァリー夫人かよ?」と思いながらも、「自分が変わっているのだろうな」と。
相手に合わせる、頼るということは、本も読めない、習い事も出来ないなど、
私は、結局は自分のアイデンティティーを殺して生きてきたと思っています。
昨夜も友人とLINEでそのこと、共依存の話などをしたばかり、
そして残りの人生、人とどうかかわって生きていくのか、真剣に話をしておりました。
みいやん様は、素晴らしいご家族を構築されたのですよ、
温かい家庭、そして手芸や料理の腕があるではありませんか。
本など読むひまがないと思っていますし、
私は本読んでいない、残念ながらあまり読書家の方ではありません。
下の下です、ネットには素晴らしい方hが一杯、
是非で出会ってください、人生に損はありません、私が保証します♡
それよりお化粧を覚えたい、
化け方がわからない、
何を先につければいいのかわからない、そもそも何をそろえればいいのかわからない、
そういう164・5の49をどうにかしてくださいなm(_ _"m)
でわまた。
猫には、私がやれるだけのベストを尽くす、
それでいいのだと思っています。
gooの改悪でiPadの画面が最悪になった事件から、
2月から殆どのブログにお邪魔してもコメントしていません。
読み逃げスミマセンですm(_ _"m)
海外旅行ですか、いいですね、楽しみですね!
私も東京五輪には友人に来ていただくように、
ささやかな娯楽を決めましたよ。
みいやん様がファースト、私がセカンドバイオリン、
きなこママちゃんはチェロで、パパちゃんがピアノ、
ようやくメンバーがそろいましたねwwww
さぁ、いつか岡山のアイビースクエア?(👈わかんないけど)でフラッシュモブですよ、
その日が実現できる日まで頑張りましょう、座布団やミカンの皮が飛んでこないことを韻りましょう、
夢や希望は大きくwwww