さだこの像
原水禁大会3日目は、早めに朝食を済ませ、7時にはホテルを出て、63年目の広島市主催の平和記念式典に参加し原爆投下の8時15分に1分間の黙祷をしました。 8月6日、広島は未明から祈りに包まれ、被爆者の平均年齢は76歳を超えました。
式典での秋葉広島市長の平和宣言は、「核兵器は廃棄されることにのみ存在意義がある」とし、「子どもたちの未来を守るためにも、日本政府に対して憲法を守り、核廃絶のために力を尽くすこと、原爆症認定の促進などを具体的に求めた格調高いものでした。 その後の福田首相のあいさつは、非核三原則を守り、核廃絶をめざすというものの心に迫るものはありませんでしたが、今年初めて(?)国連事務総長のメッセージが代読されました。
その後、平和公園内にある共産党員詩人峠三吉の「人間をかえせ、父を、母をかえせ」の碑などをめぐって、午後からの原水禁閉会総会に参加し、帰路につきました。 途中、大阪での「ゲリラ豪雨」の影響で、京都の手前で1時間の立ち往生で、1時間遅れてしまいましたが、無事帰宅とあいなりました。
原水禁大会3日目は、早めに朝食を済ませ、7時にはホテルを出て、63年目の広島市主催の平和記念式典に参加し原爆投下の8時15分に1分間の黙祷をしました。 8月6日、広島は未明から祈りに包まれ、被爆者の平均年齢は76歳を超えました。
式典での秋葉広島市長の平和宣言は、「核兵器は廃棄されることにのみ存在意義がある」とし、「子どもたちの未来を守るためにも、日本政府に対して憲法を守り、核廃絶のために力を尽くすこと、原爆症認定の促進などを具体的に求めた格調高いものでした。 その後の福田首相のあいさつは、非核三原則を守り、核廃絶をめざすというものの心に迫るものはありませんでしたが、今年初めて(?)国連事務総長のメッセージが代読されました。
その後、平和公園内にある共産党員詩人峠三吉の「人間をかえせ、父を、母をかえせ」の碑などをめぐって、午後からの原水禁閉会総会に参加し、帰路につきました。 途中、大阪での「ゲリラ豪雨」の影響で、京都の手前で1時間の立ち往生で、1時間遅れてしまいましたが、無事帰宅とあいなりました。