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日向国での知られざる南北朝時代の戦い

2012-06-16 15:22:05 | 日記

1336年から1392年までの半世紀余りの時代の宮方と武家方の戦いで全く知られてない

柏原地区での戦いが展開されていた。宮方が伊東佑広、益戸四郎行政、肝属兼重、萩原  

兼政。武家方に伊東佑持他、土持宇左衛門太郎親他、太田助頼他、矢野義基、中でも島津

総州家内で内紛が勃発、島津家(当初宮方、途中から武家方)と肝付家との戦いは醜い争い

を展開してます。建武3年に柏原地区で日下部盛連と肝付兼重与党とで合戦を行つている、

柏原は南朝の一拠点であった。なおこの柏原地区は島津元久から平田親宗買うけし田代

宗次郎に売却されています。柏原神社は土持氏の氏神様が存在していたので南北朝の戦い

は熾烈な戦いだったと思われます。

1315年(鎌倉時代)大分県宇佐神宮からは日向国に派遣された土持家が建立した神社  

です。土持家は武家方で南朝方の肝付兼重とこの地で戦っているので柏原神社で必勝祈願

をしたことでしょう。

平安時代に柏原別府が開拓された地域で、開拓前は葦で覆われていた沼地でした。     

この地の地層は泥炭地層(馬の糞、乾燥して燃料として使っていた)で開発には難事業   

だったと思われます。今でも道路建設、公共施設の基礎工事にはかなりの工事費かかる   

所です。今では平安時代の開拓者の苦労が実って豊かな農地になってます。日向カボチヤ

は全国に知らています。またキュウリは宮崎県の栽培が全国トップクラスの生産地になつて

おり柏原地区も担ってます。また新しい作物(マンゴ、洋ラン)と新しい農業経営で成功され 

ている方が多くなりました。宮崎市郊外で実り豊かな田園風景が残ってます。  

 

 

 

                                                                          

                                                                             

 

 



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