MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2480 おじさん目線の虐待対策

2023年10月13日 | 社会・経済

 埼玉県議会の自由民主党議員団が同県の9月定例県議会に提案していた「児童虐待禁止条例の一部改正案。10月6日には同県議会の福祉保健医療委員会で可決され本会議での採決を待つばかりとなっていましたが、子育て世代を中心に全国からの反対意見が集まったことで撤回を余儀なくされ、大きな話題となりました。

 改正案の趣旨は、小学3年生以下の子供を留守番させたり、子供だけで遊ばせたり登下校させたりなどすることは子供の「放置」に当たるとして、これらの行為を禁止するもの。併せて、そうした状況を確認した者は、当局への通報を義務付ける内容となっています。

 小学3年生以下の子どもだけで留守番をさせることは、それだけで本当に虐待に当たるのか?議会での議論が本格化すると、条例の内容が子育て世代を追い詰めるとの懸念が広がり、SNSなどを中心に批判的な意見が噴出。結果、この改正案は子育て世帯に大きな負担に繋がる可能性が高いとして、(自民党の国会議員を含む)多くの政治家や市民たちから強い反対意見が寄せられ、10月10日には提案自体が取り下げられることとなりました。

 取り下げの理由について自民党埼玉県議団の田村琢実団長は、「条例案自体に瑕疵はなかったが、定義について説明不足だった」「私たちが考えていない方向に世論が動いてしまった」と唇をかんでいます。

 世論が変な方に引っ張られてしまったからで、よくよく説明すれば理解してもらえたはず。子供の安全を願えばこその提案だったのに…という話なのでしょうが、この条例改正が子育て世代に(ある意味全く)受け入れられなかったのは事実です。子どもたちを放置やネグレクトから守ろうとして考えられた今回の条例改正は、なぜこれほどまでに世論の反発を生んだのか。

 幅広い議論を生んだ今回の問題に関し、10月13日のニューズウィーク日本版が『埼玉県虐待禁止条例案の裏にある「伝統的子育て」思想とは』と題する論考を早速掲載しているので、参考までにその一部を小サイトに残しておきたいと思います。

 記事によれば、同条例は子どもたちの安全を確保していくとの思いで提案させれたものであり、①夕食の買い物や近距離のゴミ出しなどで、たとえ短い時間でも親が子供を残して家を離れること、②子供だけで公園で遊ばせること、③登下校や習い事の送り迎えをしないこと…などを禁じているが、こうした行為自体が「放置」であり「虐待」であるというメッセージを強く訴えることが重要と考えたと、提案者の一人である田村議員は述べているということです。

 しかし、この条例案を厳密に実行しようとすると、共働き家庭やシングル家庭はほぼ子育てが不可能な状態になってしまう。専業主婦の場合であっても、十全なサポートが見込めなければかなりの負担になるだろうと記事はしています。

 特に近年は、学童保育などのサービスが予算不足により縮小しつつある。条例案には違反したときの罰則は設けないとされるが、子供だけで公園で遊んでいるなどの「放置」が発見された場合は通報されることになっているので、事実上罰則があるようなものだというのが記事の認識です。

 一方、大きな批判にあったこの条例案については、擁護する人もいると記事は言います。それは、アメリカなど諸外国では、子供の留守番禁止や登下校の親の送り迎えは常識だというもの。確かに、アメリカの一部の州では留守番禁止年齢を法律として定めるなど、親の「放置」に厳しい措置を取っている場合が多いということです。

 確かにそれらと比べれば、今回の条例案は決して異常なものというわけではない。しかし、よく考えてほしい。銃社会であり、治安の面から多くの心配をせざるを得ないアメリカの状況と、日本の状況は自ずから大きく異なるというのが記事の見解です。

 そもそも、親が見ていない状況で(子どもたちだけで)遊んでいるのは、「可哀そうな子どもたち」なのか。最近の研究や調査では、(親が見ていないところでの)子ども同士での付き合いは、学力の低下や非行に繋がりやすいという偏見が見直され、むしろ自立にとってよい面もあると指摘されていると記事はしています。

 そもそも、「子供たちの安全」を一番に考えるとしても、何をどこまでどうするべきかは、治安やサポート体制の有無を含め国や地域、家庭の事情によって異なるもの。それを(ある意味権力的に)条例で一律に禁止事項を決めるのは、やはり乱暴だったいうべきではないかというのが記事の指摘するところです。

 子供の「放置」に厳しい国では、同時に親の負担を減らすような、育児サービスを外注できる仕組みづくりや、育児と仕事を両立できる働き方改革にも力を入れていると記事はしています。しかし、そのような政策がいまだ不十分な日本で、突然に(上から目線で)家庭に負担を押し付けるかのような条例改正案が提出されれば、誰だって反発したくなるということでしょう。

 しかし、今回の「炎上」の原因はそれだけにとどまらない。ここで問題にすべきは、子供の「放置」を防ごうとするときに、サポートの制度を充実させるのではなく、まずシングルや共働きなど伝統的家族観にそぐわない家庭に対して懲罰的な規制をかけるという発想になったところにあるというのが記事の見解です。

 子育ては家庭が、特に母親が全てを犠牲にして取り組むべきものだ…という(旧来の)考え方が、提案者の間に無意識的に刷り込まれてしまってはいないか。また、(実際にそうかどうかは別にして)そういった年配男性にありがちな感覚が、条例案の行間に垣間見えてしまったのではないか。そしてそうしたところに、世の子育て世代の反発の原因があったのではないかと記事は見ています。

 母親に抱かれて育つのが子どもの幸せ、「鍵っ子」は可哀そうというノスタルジーを持つおじさん世代。確かに言われてみれば、この条例案からは「孫が公園で遊んでいてケガをしたのは、嫁が目を離していたせいだ…」そうやって息子の奥さんをなじる(自分では子育ても何もしてこなかった)昭和生まれの舅の姿が浮かんでくるような気もします。

 子供の虐待や放置が問題なのはもちろん当然であり、子どもの安全を願っているのは(そんなこと言われなくても)誰より親自身であることはおそらく間違いないでしょう。

 そしてだからこそ、今後また条例改正案が出るとするなら、その条例案は特定の家族形態を押し付けるものか、それとも多様な家族形態を前提にしているのかを丁寧にチェックする必要があるだろうとする記事の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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