MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2238 東京の街には銭湯が似合う

2022年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 東京都内の銭湯の料金が、7月15日から一律20円引き上げられました。新料金は12歳以上の大人が500円、6~11歳の中人が200円、5歳以下の子供が100円になったということです。

 振り返れば今から40年以上も前、大学入学とともに上京し、風呂なしトイレ共同の下宿暮らしを始めた時、銭湯の料金は(確か)170円だったと記憶しています。それでも、1日おきか2日おきにしか行けなかったのは、時代の貧しさというものでしょう。

 時は過ぎ、私自身、銭湯に通わなくなってから久しいものがありますが、今回のニュースを聞いて、ついに風呂代も500円かと感慨を新たにしたところです。

 この4月末日現在で、都内で営業されている銭湯は476軒。昨今の燃料費や電気料金の高騰などにより、それぞれの経営はかなり苦しいという話も耳にします。

 もとより銭湯には、その公共性を踏まえ、水道代などの減免に加えて、様々な補助制度があるということです。収入の約15%は補助金だということなので、そもそも(この500円の)入浴料だけでは経営が成り立たないビジネスになっているのが現実のようです。

 銭湯を営業するには「公衆浴場法」という法律に基づいて営業許可を得る必要があり、その料金は「物価統制令」に基づき都道府県が(それぞれ)定めることとされています。物価統制令は終戦直後のインフレを抑えるため1946年に施行されたもので、ピーク時にはコメや酒、医薬品など1万品目が対象となっていました。

 しかし、その後の自由競争、価格の自由化の流れの中で、現在、この政令の対象となっているのはわずかにこの銭湯の入浴料だけ。公衆衛生のために入浴は不可欠なので料金があまり高くなっては困ることから、値上げを20円に抑える必要があると判断されたということになります。

 現在この東京で、風呂などの入浴設備を持たない住居に暮らしている人がどれだけいるかはわかりませんが、(このままの状況が続けば)マーケットの規模として銭湯の需要がさらに減少していくのはおそらく事実です。

 しかし、必要な人には絶対に必要なインフラで、さらに言えば(「裸の付き合い」といった)江戸文化をこれからの世代に残すためにも、なんとか巷の銭湯には踏ん張ってもらいたいところ。夕焼け空に煙突の意突き出た「銭湯のある街」に、ある種の温かさやノスタルジーを感じるのは私だけではないでしょう。

 そうした折、8月16日の日本経済新聞の連載「値札の経済学」に『銭湯500円、娯楽化で勝負』と題する記事が掲載されていたので、参考までに紹介しておきたいと思います。

 東京都内の公衆浴場(銭湯)の入浴料が、燃料費の高騰などを受けて20円引き上げられた。客離れを防ごうと、こだわりのサービスで独自色を打ち出す施設が目立つと記事はその冒頭に記しています。

 実際、今回の新型コロナ禍の前には、度重なる値上げにもかかわらず利用者数の減少に歯止めがかかる兆しも見えていた。入浴文化の火をともし続ける努力が、人気の復活を支えていると記事は言います。

 都の浴場組合に聞くところでは、銭湯の経営は、原価計算すると本来なら大人料金は87円上げてやっとコスト増がまかなえる状況にあるとのこと。特にガス代の値上がりにより、銭湯のコストの多くを占める燃料費が直近だけで1.4倍に及んでいる。都内の銭湯はこの10年間で約4割、2021年度の1年間だけで19軒も減っているのが現実だということです。

 しかし、明るさも見えないわけではない。2019年は大人料金を10円値上げしたにもかかわらず、東京都に時系列記録が残る1985年以降で初めて利用者が増加していたと記事は言います。

 わずか1%の増加ではあるが、料金が上がっても利用したい場所として支持され始めていた証ともとれる。その背景にあるのが、娯楽の場として銭湯の魅力を高めようとする動きの活発化だというのが記事の指摘するところです。

 銭湯の顧客は、サウナや浴槽などのハード面は勿論だが、家風呂では味わえない空間の雰囲気を求めてわざわざやって来ると記事はしています。銭湯は生活に必要なインフラや近隣住民の交流の場として機能するほか、日本の入浴文化を示す文化的価値もあるということです。

 生き残るために魅力を高める競争と、インフラや文化を残すための共存。その両立には業界が一体となった利用者数の底上げが求められると記事はその結びに綴っています。

 さて、思えば私が子供の頃、家にも風呂はありましたが、父親がしばしばく「社会勉強だ」と言って銭湯に連れて行ってくれたのを思い出します。

 当時の銭湯には、刺青の(少し強面の)お兄さんや戦争で障害を負った風情のおじさんなどがたくさんいて、洗い場に並んだその背中からたくさんのことを学んだような気がします。また、当時の銭湯には「三助」などと呼ばれる背中を流してくれる商売の人などもいて、いろいろな話を聞かせてくれたのも良い思い出です。

 翻って、高齢化、多様化する社会の下で、街中の銭湯が発揮できる役割はまだまだたくさんあるはず。経営者の皆さんには、これまで銭湯文化に親しみを持ってこなかった若者を取り込みながら、大衆文化の発信地として付加価値をつけていくことで、大きな時代の波を乗り越えてほしいと感るところです。

 



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