MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2006 バラマキの責任はどこにあるのか

2021年11月02日 | 社会・経済


 財務省の現職の事務次官である矢野康治氏は、「文芸春秋」誌(11月号)に寄稿した「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」と題する論考において、自民党総裁選や衆院選をめぐる政策論争を「ばらまき合戦のようだ」と強く批判しています。

 矢野氏はこの論考で、与野党で主張されている数十兆円規模の経済対策や消費税率引き下げなどについて、「国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてくる」と指摘。その内容は、財政を預かる立場の思いとして財政再建の必要性を訴えるものですが、現役の事務方トップがこのような形で自らの意見を表明するのは極めて異例であり、様々な批判も呼んでいるようです。

 もちろん、この論考における矢野氏の鋭い舌鋒が、ポピュリズム的な政策に走る日本の政治に向けられていることは間違いありません。「現在の状況はタイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」、「放置すれば日本国債の格付けに影響が生じかねず、日本経済全体にも大きな影響が出る」との厳しい指摘には、「よくぞ言った」という一種の潔さ、清々しさすら感じさせられます。

 今回の寄稿における矢野氏のこのような主張に対し、慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績(おばた・せき)氏が10月16日の「東洋経済オンライン」において興味深い指摘をしているので、(この機会に)引き続き追っていきたいと思います。(『「このままでは国家財政破綻」論は1%だけ間違いだ』2020.10.16)

 矢野氏の寄稿のタイトルは「このままでは国家財政は破綻する」というもの。一方、小幡氏はこの論考で、もはや日本財政は「破綻するかどうか」といったレベルの問題ではなく、「破綻するのがいつなのか」が問題となっていると話しています。これはバブルの構造と同じで、既に時限装置が作動している状況として理解すべき。矢野論文は、そうした中での「なんとかぎりぎりのところで踏ん張って、財政破綻させないようにしてくれ」という悲痛な叫びではないかというのが小幡氏の指摘するところです。

 一方、小幡氏は、(矢野氏と違って)「政治家などこのフィールドにいる人々は、いつか財政破綻してしまうかどうかには関心がない。せいせい数年先のことしか考えていない」とこの論考に綴っています。そして、「(政治への理解としては)たぶん矢野氏よりも私のほうが正しい。結局、どんな警告を発しても無駄なのである」というのが、政治というものの立ち位置に対する小幡氏の見解です。

 そもそも、「バラマキだ!」といくら強く批判しても、それ自体はまったく無意味なもの。なぜなら、政治の世界の人々は「バラマくぞ!」と積極的に主張しているのであり、まさにバラマキ合戦をすることを意図しているからだということです。

 しかも、今回は、多くのネット評論家、有識者、さらに専門家であるエコノミストたちの中でも多くの人々が、バラマキを支持し、画期的なバラマキの具体策を提案していると氏はしています。「これまでの対策は中途半端で、思い切りが足りなかった」というのが多数派の主張と化している。バラマキが大規模であればあるほど素晴らしく、思い切りのよい優れた政治家とみなされる。財務官僚の警告などにひるまない、強い政治家ほど絶賛されているというのが氏の指摘するところです。

 矢野氏は、財政の真実の姿を国民に直接伝え理解が広がれば、国民は賢明な判断をするだろうと信じている。しかし、私は信じていない。そして、ここが私と矢野氏の決定的な違いだと小幡氏は話しています。

 バラマキは、国民の(すべてではないとしても)多数派が望んでいるものだと氏は言います。政治家は馬鹿ではない。勝つために政策を主張し公約をする。与野党そろってのバラマキ主張は、票を取るためには「正しい戦略」なのだというのが小幡氏の認識です。従って、バラマキの責任は政治家にあるのではなく国民にある。つまり、批判すべきは、バラマキを受けて喜んでいる国民、有権者たちであり、政治家は飯のため、権力を取るためそれに迎合しているにすぎないということです。

 そして、政治家を責めるぐらいなら、もっと糾弾されるべきは、財政出動、減税を礼賛・推奨している、有識者、エコノミストたちだと氏は続けます。彼らこそが、国を滅ぼす戦犯である。彼らを糾弾するためには、「日銀が国債を買えば大丈夫だ」「国全体のバランスシートは問題ない」」「MMT(現代貨幣理論)は有効だ」「インフレが起きてないから、むしろインフレを起こすために破綻しかねないぐらいの財政の動をしろ」といった類の議論がいかに間違っているかを書く必要があるだろうと氏は話しています。

 いずれせよ、確かに政治家は国民の声を受けて動くものであり、いくら彼ら政治家を糾弾しても国民の意識が変わらなければ(政権が変わるだけで)結果は変わらない。国民がバラマキを望んでいると踏んだからこそ、各党は踏み込んだ対策を提案したということでしょう。

 そういう意味で言えば、今回の選挙で自民党や立憲民主党を中心とした野党連合が沈み、「まずは成長戦略」と主張した維新の会が議席を増やしたのは、国民の良識の表れだったと言ってもよいかもしれません。財政破綻の最終的な責任はだれが負うのか。小幡氏の言うように、それが政治家個人ではなく最終的には国民一人一人だというのも確かに「道理」というものだと、小幡氏の指摘から私も改めて感じたところです。。



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