3月31日のロイターは、トランプ米大統領が、いよいよ保護主義的政策を先鋭化しつつあると報じています。
医療保険制度改革(オバマケア)代替法案の断念やメキシコ国境の壁の建設先送り、財源確保がままならないインフラ投資や減税政策など、米トランプ政権は公約実現の「壁」に直面している。
なかなか「得点」できない状況に業を煮やし、まずは通商政策や為替政策で(さらには北朝鮮やシリアなどへの軍事力の行使などによって)現状の煮詰まった状況を「突破」しようと試みていると記事は指摘しています。
市場の反応は大統領の一挙手一投足に敏感で、取引の理由を虎視眈々と探している。当然、日本もその矢面に立ちそうな気配が濃厚にあり、東京市場関係者にも緊張感が走り出しているということです。
「トランプ・ショック」と呼ばれた米国大統領選挙におけるトランプ氏の勝利から早、半年の月日が経過しようとしています。米国市場を席巻したトランプ・ラリーの波がひと段落した現在、そろそろトランプ大統領登場の意味を改めて考えてみてもよい時期が訪れているような気がします。
多くの経済学者やメディアに「保護主義」と揶揄されたトランプ候補の政策は、何故多くのアメリカ人の共感を呼んだのか。
神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹(うちだ・たつる)氏が、メンズファッション誌「GQ」の2月号に「不動産王の「壁作り」はなぜ支持されたのか?」と題する興味深い論評を寄せているので、備忘の意味でここに内容を整理しておきたいと思います。
この論評において内田氏は、トランプ氏の米大統領就任を、歴史的な大きな文脈としてはイギリスのEU離脱、ヨーロッパ各国の極右勢力の伸長と同じ政治史的文脈の中に位置づけられる出来事だと説明しています。しかしながら、トランプ氏のケースでむしろ特筆されるべきなのは、「アンチ・グローバリズム」が米国で大衆的な人気を得たという点にあるということです。
この四半世紀の間に経済のグローバル化は急速に世界を覆い、それによって、従来の国民国家の枠組みは非常に曖昧のものになったと氏は言います。地域によっては言語も通貨も度量衡さえ統一され、障壁がなくなってフラット化した世界市場を超高速で資本・商品・情報・ヒトが往来することになったということです。
氏は、その際に壊されたのは、実は経済障壁だけではなかったと説明しています。それぞれの国民国家が自分たちの帰属する集団に対して抱いていた民族的アイデンティティまでもが破壊されてしまった。
グローバル化はそれ以外には経済成長の手立てがなくなり目先の損得勘定によって選ばれた道なので、その果てに何が起きるかについて誰かに見通しがあったわけではないと氏は説明しています。その結果、地域の文化に根差した生活態度は失われ、金融経済についてはもう変化のスピードが生物の受認限界を超えてしまっていて、実際のところ自分たちが何をしているのか、プレイヤー自身も分からなくなっている現状が生まれているということです。
グローバル経済は金融中心ですが、カネで株を買い、債権を買い、石油を買い、ウランを買う「投資」という行為は、結局、貨幣で貨幣を買っているに等しいと内田氏は言います。
そうでもしないと、世界にはもう売り買いするものがなくなっている。皆が「もう要らない」といっても、経済活動が止まってしまえば経済成長も止まってしまう。それでは困るので、人間の生理的欲求と無関係なレベルに経済活動の中心を移した…それが現代の金融経済の本質だというのが昨今の状況に関する内田氏の基本的な認識です。
勿論、そこにはもう人間的時間は流れないと氏はしています。腹が減ればへたり、寒ければ震え、疲れたら眠り込むという生身の身体の弱さや壊れやすさは、そこではもう経済活動のリミッターとしては機能していないということです。
経済活動が人間の日々の生活とここまで無縁になったことは歴史上で初めてのこと。一方、人々はその「意味不明のシステム」に最適化することを求められ、ライフスタイルから身につけるスキルや知識まで、全てを金融経済ベースで決定されるようになっていると内田氏は言います。長期にわたって身につけた技術が、業態の変化や技術的イノベーションのせいで一夜にして無価値になるというような事態が現に頻発し、人を虚無的にしているということです。
氏によれば、アメリカの「ラスト・ベルト」の労働者たちが経験したのは、まさにその虚無感だということです。それが「グローバル疲れ」、変化に対する疲労感として噴出した。社会の変化に対して、「もうついていけない。スローダウンしてくれ」というのはアメリカ市民にとって切実な実感ではないかというのが、トランプ・ショックをもたらした「理由」に関する内田氏の見解です。
氏は、トランプ大統領の「メキシコとの国境に壁を作る」という政策は、経済的利益のための政策である以上に(もっと)コスモロジカルな意味を持っていると考えています。
国民国家間のすべての障壁をなくせというグローバル経済の要求に辟易していたアメリカの有権者は、そうしたものに「ノー」を突き付け、壁を作って商品や人間の行き来を止めるというトランプ氏の主張に「ほっとする」ものを感じ取った。(言い換えれば)人々は「利益」よりも「安心」を求めたという指摘です。
「いいから、この流れをいったん止めてくれ。世界をわかりやすい、見慣れた舞台装置の中でもう一度見させてくれ」というアメリカ市民たちの切望が、「Make America great again」というスローガンには込められていると内田氏は説明しています。
氏はこの論評で、これからしばらくの間、この「グローバル疲れ」に対する「安心感」を提供できる政治家が世界各国で大衆的な人気を集めることになると予想しています。
トランプ氏の成功で、「壁の再建」というアイディアが大衆に受けることを世界各地の極右政治家たちは学習しました。これをもって、おそらく多くの社会では「超高速で壁を再建しなければならない。待ったなしだ。『壁作り』のバスに乗り遅れるな」というかたちで(狂躁的なグローバル化の陰画として)狂躁的なアンチ・グローバル化が現象すると内田氏は見ています。
それくらいに「浮き足立つ」というマナーが深く内面化してしまった現在、私たちが取るべき態度はいったいどういうものなのでしょうか。
内田氏はこの論評の最期に、昨年話題となった『シン・ゴジラ』の中の台詞を引いています。
氏が知る限り、この映画の中の台詞でネット上で一番言及されたのは、主人公の党内的パートナーである泉(松尾諭)が都心の崩壊に直面し混乱する主人公に言い放つ「まずは君が落ち着け」と言う言葉だったということです。
それだけ採れば特別に深い意味のない台詞と言えますが、なぜかこの一言が日本人観客の胸を衝いた。そして、そこに期待があると内田氏は指摘しています。
「まずは君が落ち着け」と言われてはっとする。その自覚が日本人にあれば、自分自身の生活感覚を取り戻すこともできるのではないかと考えるこの論評における内田氏の指摘を、私も改めて興味深く読んだところです。
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