日本経済新聞とテレビ東京が5月28~30日に実施した世論調査によると、菅内閣の支持率は前回調査(4月)の47%から7ポイント低下し、2020年9月の政権発足以降、最低となる40%だったということです。
内閣を「支持しない」とする割合は50%で昨年1月と並んで最も高くなり、「支持する」を2カ月ぶりに上回ったとされています。支持しない理由のトップは「指導力がない」(55%)で、政府の新型コロナ対策については「評価しない」が64%で、「評価する」(31%)を大きく上回ったということです。
コロナ禍のもと、繰り返される「緊急事態宣言」の扱いや進まないワクチン接種の問題、オリンピックへの対応など、なかなかクリーンヒットが打てない政府への国民の評価にはなかなか厳しいものがあるようです。
因みに、共同通信社が5月15~16日に全国で実施した別の調査における「政党支持率」は、自民党が41.9%、立憲民主党8.6%、公明党4.5%、共産党3.4%、日本維新の会4.6%、国民民主党1.2%、社民党0.4%、NHK受信料を支払わない方法を教える党0.7%、れいわ新選組1.0%、「支持する政党はない」とした無党派層は32.1%で、こちらに大きな変化は見られません。
菅政権誕生以降も、公職選挙法違反などにより議員辞職などが続く与党自民党ですが、こうして見ると(だからといって)それを追求する野党の人気が高まっているわけではありません。コロナ対策の失敗などで政権の支持率が下がっても、政権交代への期待が高まっているわけではないという現実を、野党はどのように認識すべきなのでしょうか。
6月2日の総合経済サイト「PRESIDENT ONLINE」では、コミュニケーション・ストラテジストの岡本純子氏が、「自民がコロナ失政でも野党の支持率が上がらない根本理由」と題する興味深い一文を掲載しています。
政府のコロナ対策は迷走を続け菅義偉首相の支持率も低下傾向にあるが、野党の支持率は一向に上がる気配を見せない。それは一体なぜなのか?
その大きな要因は、彼らの「コミュニケーションスタイル」にあるのではないかと氏はこの論考に記しています。
彼らはやり方が決定的に間違っていることに気づいていない…というより、気づいていても変えることができない。そして、彼らがこのやり方を続ける限りは、政権交代などありえないというのが氏の見解です。
例えば、立憲民主党や共産党の議員の話し方を漢字一字で表現すれは、そこには「怒」の文字が当てはまると氏はしています。彼らは国会でもメディアの会見でも、男女を問わず、目を三角にしていつも怒っている。そのスタイルが労働組合の「アジる」を原型にしているからか、やたらと叫び攻撃的だということです。
メディアにコメントを求められても、与党や政権をこき下ろし、けなすことに終始してしまう。例えば、選挙の出陣式も労働交渉を原点とする(イマドキはあまり聞かない)シュプレヒコール型で、その原点は「抗議」にあり、「プロテスト」でしかないというのが氏の指摘するところです。
結局は、自らが建設的かつ能動的に問題解決に動くというより、与党の行動を否定し攻撃することで終始してしまう。官僚に対しても、「そんな考えだからダメなんだ。」と否定するばかりで、建設的な議論ができていないと氏は説明しています。
岡本氏によれば、コミュニケーション分析に詳しい成蹊大学教授の野口雅弘氏は、「『コミュ力重視』の若者世代はこうして『野党ぎらい』になっていく」という論考の中で、「コミュ力を重視する若者世代はスムーズな空気に疑問を呈したり、ひっくり返したりする振る舞いを『コミュ障』的なふるまいとし毛嫌いする」と分析しているということです。
近年、強い物言いをすることに対して「○○ハラスメント」といった批判が集まったり、お笑い芸人の中で人を傷つけずに笑いをとろうとする動きが広がっていると氏は言います。感情的に繊細化する若者を中心に、そもそも誰かを強く批判したり、攻撃したりすることに、強い嫌悪感を覚える人が増えているということです。
もちろん、野党は問題提起や提案をすることが仕事なので、議論の中で与党の方針に異議を唱えること自体に問題はない。しかし現状では、野党の「抵抗」の手法はあまりに古臭く、未熟だというのがこの論考における氏の見解です。
欧米では、コミュニケーションをサイエンスととらえ、心理学・脳科学・人類学などアカデミックの観点から「いかにして人の心を動かすか」が科学され、解が示されている。一方、日本では、コミュニケーションは伝承や職人芸の範疇にあり、教科書も教わる場もないままに、誰もがやみくもに正解のないまま自己流でごまかしていると岡本氏は指摘しています。
そもそも、コミュニケーション学において「自分は正しい。お前は間違っている」という主張は、全くもって実りのある議論には結びつかない。「相手の間違いを指摘し、自分の正当性を証明できれば、相手はその非を認め、自分の言うことを聞いてくれる」というのは、一種の子供じみた幻想にすぎないというのが氏の認識です。
だからこそ、人の心を動かそうというのであれば、感情に任せた「シャウト型」や「自己主張型」は効力が薄い。政府や与党の責任を様々にあげつらい、声高に糾弾するだけでは有権者の信頼も得られないということです。
多くの国民が、(与党に絶望しても)野党を信頼できないのは、野党が自分たちの話にしっかりと耳を傾け、共感してくれているようには全く感じないからではないかと、岡本氏はこの論考に綴っています。
彼らの話法は、「俺サマはえらい」「自分は正しい」と自説の正当性だけを主張し、相手を上から目線で否定する毒親か大メディアの論説のようであり、自分に酔い、悦に入っているとしか見えないというのが、氏の評価するところです。
野党に、本当に政権を担う気概を持つのであれば、まずは、国民と対話をし、その気持ちを汲み取り、寄り添うことから始めるべきだと、氏はこの論考の最期に話しています。
ただやみくもに否定、批判に走るのではなく、国民の共感を集め積み上げていくこと。そのためには、建設的な議論の手法を含め、コミュニケーションのイロハを、議員全員に一から叩き込んでいく必要があるとする岡本氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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