元法務大臣の河井克行被告とその妻の河井案里元参院議員による参議院議員選挙広島選挙区における大規模な買収事件。Yahooが中心となって実施したネットを用いたアンケートでは、「自民党本部が河井夫妻側に提供した1億5千万円の説明責任を果たしていないことが最大の問題と思う」との回答が、半数に迫る45・0%に上ったと報じられています。
おさらいをすると、事件が起きた2019年の参院選広島選挙区(改選数2)では、(議席の与党独占が困難視される中)岸田文雄前政調会長が推す現職の溝手顕正氏と、安部総理や菅幹事長(いずれも当時)が推す新人の案里氏の間で調整がつかず、結局二人がそろって立候補することとなりました。
選挙の結果は、(「案の定」と言うべきか)野党系の現職と案里氏が当選し、溝手氏は見事に落選。次期総理の椅子を狙っていた岸田氏にとっては、地元での極めて手痛い敗北となりました。
しかしその後、党本部が河井夫妻側に対し、溝手陣営に提供された額の実に10倍に当たる1億5千万円を(岸田氏には一切の話もないまま)渡していたことが判明。そして、そのうちの1億2千万円は、税金から支出される「政党交付金」から出ていたことも明らかなりました。
河井克行被告は5月18日、東京地裁の公判で最終意見陳述し買収の事実を認めた上で、自民党本部が送金した1億5千万円については「買収には1円も使っていない」と述べ、買収の原資となったとする疑惑を否定しました。しかし、この1億5千万円の支出理由を問う岸田派の質問状に対し、二階幹事長をはじめとする自民党執行部は明確な回答を行っていないのが現状です。
自民党本部の勢力争いが地方を巻き込み、結果として政権与党の信頼を大きく損なうに至ったこの事件。メディアのその後の取材などによって、河井克行被告や妻の案里被告の行動が(ある意味)「まともじゃなかった」ことも次第に判ってきています。
それにしても、「政治と金の問題」が(それなりに)問題視されるこのご時世に、どうしてこのような前時代的な、不可解な事件が起こったのか。神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹氏は5月7日の自身のブログ「内田樹の研究室」において、近年のこのような動きの背景にある政治の流れに触れています。
今回の事件の舞台となった参院広島選挙区を含む補選において自民党の候補者が三連敗を喫したのは、自民党の地方組織が弱くなっていることが大きいというのがこの論考における内田氏の認識です。
昔の自民党には地方議会から国会議員になるというキャリアパスがあった。県会議員から総理に成りあがった竹下登がその典型だが、いつの間にか、地方議会から国政に出て来るという道筋が痩せ細って来たということです。
その原因は、党執行部が「一本釣り」をしてきた候補者を、縁もゆかりもない選挙区から立候補させるという党営選挙が支配的なスタイルになったところにあると氏は考えています。
この候補者たちは執行部の「オーディション」に通ったというだけで個人的には地方に組織的基盤も持っていないため、党執行部から「次は公認しない」と言われたら失職するのは目に見えている。安倍政権は(執行部に逆らえない)そういう「イエスマン議員」をかき集めて国会議員団を編制し、上意下達の党組織を作ろうとしてそれに成功したというのが氏の見解です。
その結果、自民党は「安倍一強」の組織になったが、その代償として、地方議員から国政へという道が失われ、党中央と地方組織の間に断絶ができたと氏はここで指摘しています。
こうして、自民党国会議員団と地方組織の間には溝ができ、地方組織は弱体化していった。この間の選挙の連敗も、党中央と地方組織の間で意思疎通ができなくなったことの結果だということです。
一方、そういう意味では、野党も基本的には変わらないと氏は説明しています。地方議会で経験を積んでから国政に出るというチャンネルがあるのは共産党くらい。与野党を問わず、見栄えの良い若い官僚や松下政経塾の卒業生、メディアで知名度を上げたジャーナリストなどを「公募」の名の下に集め、縁もゆかりもない選挙区に落下傘降下させているということでしょう。
立憲民主党や国民民主党などの野党には、地方組織が育たないことについての危機感がどれくらいあるのかと、氏はこの論考で疑問を呈しています。
実際、(立憲民主党をはじめとして)野党各党の若者の支持率は極めて低迷しているが、これを「国民の政治的無関心」のせいにしているようでは問題は解決しない。今の野党には20代、30代の若い人たちを、地域の政治活動に巻き込むための仕組みがないというのが氏の指摘するところです。
昔からずっと国民は基本的には政治に無関心であることに変わりはない。そして、それをどうやって目覚めさせるのかということが、政治にかかわる人間の本務だということです。
長期間にわたる安部安定政権から自民党が学んだ経験則、それは「国民を分断して、現政権を支持する国民の利害のみを配慮する」というネポティズム政治の方が選挙には勝てるということだったと氏は指摘しています。
これまでの普通の政権は「国民の統合」を目指してきたが、安倍政権以降の政権は、別に国民全体の支持は要らないと考えるようになった。そこにあるのは、選挙に勝って国会の相対多数を制すればいいというだけなら、国民を分断して、政権に盾突く者にはつねに「ゼロ回答」で応じる方が効果的だという考え方だということです。
支持者の利害だけを配慮し、自分を支持しない有権者には「何もやらない」ということを続けていると、野党支持の有権者はしだいに無力感に蝕まれて、政治に絶望するようになる。勿論そうした環境下では、日ごろから汗をかくことで地域の意見を吸い上げる地方組織は成り立たず、中央からお金を持ち込んで、選挙の時だけ動ける人数を確保すればよいということになるのでしょう。
政治が国民から大きく乖離している現状は、恐らくこうした状況から生まれたものでしょう。
国民はもはや「こんな茶番に付き合ってはいられない」と、あきらめているのかもしれません。国会議員の質の問題も含め、令和の政治にはどうやら(ちゃんとした経験のある)大人のストックがずいぶん足らなくなってきているのではないかと、内田氏の論を読んで私も改めて感じたところです。
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