MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

♯1289 平成の日本経済を総括すると

2019年02月01日 | 社会・経済


 5月に予定されている天皇陛下の退位と新天皇の即位に伴う新元号の制定に合わせ、メディアでは概ね30年間に及ぶ「平成」の時代を様々な視点から振り返る特集が組まれています。

 そうした中、1月11日の日経新聞の紙面(コラム「経済教室」)では、英エコノミスト誌元編集長であるビル・エモット氏が、海外の経済ジャーナリストの視点から(苦しみと波乱に富んだ)平成の日本経済を総括しています。

 日本では、国民1人当たりのGDPの伸び率が平成の30年間で先進6カ国中のトップから5位にまで転落した。こうした日本経済の「現実」を振り返ると、4つの特徴が際立っていることに気づくとエモット氏はこの論考に記しています。

 その「第1の特徴」は、日本の経済運営の担い手たち、つまり霞が関や自民党、大企業や経団連が、日本経済に何が起きたのかをなかなか理解せず、経済の現実とバブル崩壊の深刻さを認めたがらなかったことだと氏は説明しています。

 1970年代前半の2度にわたる経済ショックに対する日本の迅速かつ断固たる対応を知っていただけに、日本の官僚と政治家に対する国際的な評価はがた落ちになった。また、国際的な評価を長く維持していた日銀も、現在では政府の政策の道具に成り果て、政府が巨額の財政赤字を手当てできるよう紙幣を増発し続けているということです。

 氏は「第2の特徴」として、若かった日本の人口が少子高齢化し平成を通じて政府の経済政策を困難にしたことを挙げています。

 人口構成の変化は政府の財政を逼迫させる。医療費と公的年金に充当される政府支出が増える一方で退職年齢に達する人が増え、高額納税者が年々減っていくという状況をもたらします。

 政府財政にのしかかる重荷は、これまでのところ(とりあえず)新たな金融危機を起こさずに管理できているが、(少なくとも)平成を通じ経済が堅調だった一時期も含めて政府債務が増え続けることは避けられなかったということです。

 氏が指摘する「第3の特徴」は、グローバル競争と技術変革の時代に経済を安定させるためにはそれなりの犠牲や調整が必要となるが、日本の場合、犠牲のほとんどをごく普通の就労者が引き受けたという点です

 2008年以降の欧米のように、特定の労働者集団が失業するという形で犠牲が払われたのではなく、広く労働力人口全体の所得が削られた。これは、バブル崩壊の痛みが広く社会に分散されたという点では称賛すべきかもしれないが、その後の世代はより大きな痛み引き受けさせられていると氏は言います。

 平成が始まったとき、就労者の80%は終身雇用を前提とする正規雇用労働者だったが、現在は正規雇用労働者の比率が約60%まで下がり、約40%は短期やパートタイムの非正規雇用で所得も年金給付も少ない。

 このことは、世代間格差による分断を深めるとともに、企業が短期雇用労働者の訓練に投資しなくなったことによる労働者のスキルと生産性の低下や、世帯所得、個人消費の低迷などをもたらしたということです。

 これらが「失われた20年」と呼ばれる時期の総括であり、これ自体「防げたはずの嘆かわしい20年」と言うべきだというのがエモット氏の認識です。

 しかし、この時期にある重要な現象が出てきたことを見落としてはならない。その現象こそが平成の「第4の特徴」であり、次の時代にとって大きなプラスとなるだろうと、氏はこの論考に記しています。

 エモット氏がここで期待する「第4の特徴」とは、突如として大勢の若い女性が、それまで一般的な進学先だった短大ではなく、4年制大学へ進学し始めたことだということです。

 1980年代の女性の4年制大学進学率は12~15%(男子は34~40%)に過ぎなかった。しかし1990年代に入って男女差が大幅に縮まり始め、直近では女性の4年制大学への進学率は50%に達し男性との差は数%に縮小したと氏は説明しています。

 日本は政界、実業界などで高い地位に就く女性が先進国の中で圧倒的に少なく、女性の社会進出が遅れている国として悪名が高かった。しかし、もうすぐ大学を卒業した女性が40~50代に入るので、重要な地位に就く女性が増えると考えられるというのが氏の見解です。

 戦後の高度成長期から平成にかけての約70年間、日本の経済を動かしていたのは概ね男性だった。しかし、これからの未来を拓く担い手の多くは女性になり、日本経済はそこにひとつの活路を見いだせるのではないかと考えるエモット氏の指摘を、私も大変心強く聞いたところです。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿