MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1419 分断の歴史から学ぶこと

2019年08月03日 | 社会・経済


 5月4日の読売新聞は「国際政治 民主主義の退潮を食い止めよ」と題する社説を掲げ、経済や情報のグローバル化を背景に「持てる者」と「持たざる者」に分断される社会の危うさへの懸念を示しています。

 人やモノ、カネ、情報の移動の速度は格段に上がり、グローバル経済とインターネットの普及は、新たな産業や快適な生活をもたらした。一方、そこに生まれたのは「取り残された」人々の既成政党やエリート層に対する不信であり、さらには移民への敵視だと記事は指摘しています。

 欧米を始めとした先進国で、グローバル化と技術革新の恩恵を受けられなかった人々の反発をポピュリズム(大衆迎合主義)的な政治家や極右政党があおり立て、分断を助長することで既存の支配層を脅かしている。都市のエリートと地方の労働者層、国際協調主義者とナショナリストが対立し、社会の分断・二極化が進む中で極端な主張が支持を集め、中道・穏健派が存在感を失いつつあるということです。

 こうした世界の状況を踏まえ、4月26日の日経新聞の紙面では京都大学准教授の柴山桂太氏が「価値観の分断、政治を二極化」と題する論考により、現代社会におけるグローバル化とポピュリズムの関係を改めて整理しています。

 現在のグローバル化が始まる前まで、先進国とは工業国のことであり、工場の集積する先進国では生産性が急激に上昇し途上国との格差を広げていたと柴山氏はこの論考に記しています。

 ところが現在の情報通信革命はこの関係を大きく変えてしまった。生産工程が細分化され、各工程が国際的に分散するようになった。企業が工場を海外に移すことで先進国は脱工業化し、その一方で途上国が工業化の段階に入ったということです。

 そうした中、新しいグローバル化は先進国に新しい国内問題を生み出したと氏はしています。

 グローバルバリューチェーンの上流に位置し、知識やアイデアを駆使して利益を上げる高技能労働者と、輸入で代替できない低賃金のサービス業従事者の仕事が国内に残り、中間に位置する労働者の仕事が失われた。そして、それこそが、20世紀後半から中間層の所得が停滞している理由の一つだというのが柴山氏の指摘するところです。

 さらに、新しいグローバル化は、人口と資本の都市部への偏りも生み出していると氏は言います。

 高度人材は都市に集まり新たなアイデアを競うが、地方は産業の衰退と人口流出の危機にさらされる。実際、2016年の英国民投票で離脱に投票し、米大統領選でトランプ氏を支持したのは主に地方の有権者だったということです。

 柴山氏はこの論考において、先進国で進む脱工業化や知識経済化が「エニウェア族(Anywheres)」と「サムウェア族(Somewheres)」という価値観の分断を生み出しているとする、英ジャーナリストのデビッド・グッドハート氏の指摘を紹介しています。

 エニウェア族とは、地元を離れて大学に進学しそのまま都市の専門職に就いている、仕事があればどこでも移動して生活できる人々のこと。進歩的な価値観を身に付け、グローバル化や欧州統合に賛成し、移民受け入れや同性婚にも寛容な人々を指しているということです。

 一方、中学・高校を出て地元で就職・結婚し子供を育てているサムウェア族は、個人の権利よりも地域社会の秩序を重視し宗教や伝統的な権威を尊重する傾向にある従来型の生活を守る普通の人々のこと。多数派ではあるが、政治的意見を表明しないことが多く世論への影響力は小さいということです。

 この両者は20世紀後半からはっきり分離し始め、現在では前者は後者を時代から取り残された進歩のない人々と感じ、反対に後者は前者を鼻持ちならない連中だと感じていると氏は言います。

 グローバル化から取り残されたサムウェア族は、欧州統合も移民の受け入れも、結局は都会のエリートが自分の生きやすい社会をつくるために進めたことで本当の意味で公のことを考えていないと憤慨している。その不満がピークに達したことが、最近の英米を揺るがす政治動乱につながったというのが、昨今のポピュリズム政治の台頭に関する柴山氏の分析です。

 民主政治が安定するには、こうした異なる利害や価値観の間に相互了解がなければならない。ところが現在は、民主政治の土台となる社会の結束が掘り崩されていると氏はこの論考で指摘しています。

 グローバル化が生み出す新たな利益機会を活用できる知識階層と、そうでない普通の人々との間で、経済的機会や価値観の面で埋め難い溝が広がっている。グローバル化をさらに進めるべきだとする人々と、その流れを押しとどめて共同体を保護すべきだという人々で政治が二極化し、簡単には混じり合わなくなっているということです。

 さて、現代のポピュリズムは、この分断を養分として成長していく政治運動だというのが、こうした状況に関する柴山氏の認識です。

 2つの価値観の違いを架橋するのではなく、排除された人々の怒りをバネに既成の政治秩序をひっくり返そうとしている。それはあたかも19世紀後半から20世紀初頭にかけて、蒸気船や鉄道などの輸送手段の発達や通商条約などにより市場経済が世界化する中で生まれた、(1930年代の国際秩序の崩壊に繋がる)市場に対抗して共同体を防衛しようとする動きに通じるところがあるということです。

 その時代の先進国では、労働組合や農民団体が組織され、労働者たちは保護を求めて政治への働きかけを強めていった。当時も支配層は自由市場と均衡財政の支持者であり、当時それに反対する者は異端扱いされていたと氏は説明しています。

 しかし、1929年の大恐慌後によりその流れは大きく逆流する。グローバル化の時代に蓄積された支配層への不満が、巨大な経済的破局を契機として(ポピュリズムからファシズムに形を変え)一気に歴史の表面に噴き出したということです。

 一方、その時の政治的反発に比べれば、現在の状況はまだそれほど深刻ではないと氏は言います。

 2008年の世界金融危機は人々の生活に深刻な打撃を与えたが、1929年のような世界経済の極端な崩壊は起きずに済んだ。不況に対処する政府の能力も福祉国家の仕組みも、1990年前に比べればはるかに強化されているということです。

 ただし先のことは分からない。価値観の分断を背景に、政治が二極化していく現象は今後も続くだろうし、実際、拡大する市場の力と一握りの富裕層に権利を脅かされていると感じる人々がより社会主義色の強い政策を打ち出す政治家に支持を与えていると柴山氏は欧米の現状を見ています。

 そうした中、日本ではこれまでのところ、欧米諸国のような大きな政治混乱は見当たりません。しかし、(柴山氏も言うように)中間層の疲弊や価値観の分断が(他の先進国同様)広がりつつあるという兆候は社会のあちこちに見られるようになっています。

 「上流」「下流」といった言葉が当たり前のように口にされるようになり、実際に(そこに生まれた)様々な歪みが急進的な主張を生み出しつつある日本の社会。

 民意によって大きく政治が揺れ動き、戦争へと大きく傾斜していった昭和初期の日本を思い出せば、「国際貿易や知識経済のもたらす恩恵を享受しつつ、社会の結束と政治の安定を維持していく知恵が求められている」と結ばれたこの論考における柴山氏の指摘を、私も重く受け止める必要があると改めて感じたところです。



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