MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2274 ロビー活動とはそういうもの

2022年10月09日 | 社会・経済

 9月17日から18日にかけて実施した世論調査で、自民党が今後関係を断つと表明した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について尋ねたところ、被害の実態調査や法規制など、さらに踏み込んだ対応を求める声が大きかったと9月19日の産経新聞が伝えています。

 記事によれば、「旧統一教会への対応として何が最も重要と考えるか」の質問に対し、最も多かったのは「宗教団体による反社会的な活動を法律で規制する」の52.4%。その他、「被害の実態を詳しく調べ公表する」(17.1%)、「政治家との関係を断ち切る」(14.1%)、「高額な献金・寄付や霊感商法などの被害を救済する」(13.0%)などが続いたということです。

 また、「自民議員が旧統一教会や関連団体と関係を断てると思うか」についての設問に関しては83.3%が「断てないと思う」と答えたとしており、自浄作用への期待感が小さいこともうかがえます。

 一般の人々の信心を食い物にするような宗教はけしからん。法律で活動を規制したり、政治家への働きかけをできない様に改めるべきだ…国民のそうした気持ちはわからないではありません。

 しかし(その宗教を信じている人がいる以上)、良い宗教と悪い宗教をどこで明確に線引きするのか。宗教団体による寄付集めは「反社会的」な活動なのか。そもそも宗教が政治に働きかけることに何か問題があるのか…等々、信教の自由がある以上、問題はそんなにシンプルではなさそうです。

 そうした折、9月21日の日本経済新聞の投稿欄「私見卓見」に、筑波大学名誉教授の遅野井茂雄(おそのい・しげお)氏が「各種団体の政治への関与は当然」と題する論考を寄せていたので、参考までに紹介しておきたいと思います。

 多元的価値観を認め合う民主社会にあって、そもそも政治とは個人や団体が利益や理想を実現するために影響力を及ぼし合う場であるはず。そうした観点に立てば、(安倍元総理への銃撃事件を発端とする)世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題を巡る昨今の議論には違和感をぬぐい切れないと、遅野井氏はこの論考に綴っています。

 宗教団体を支持母体とする政党はもとより、どの政党も各種の「利益団体」をバックに抱え、有形無形の支援を得ていることは周知の事実だと氏は言います。会見において同教団の会長が話した、「良き国づくりに向かって共に志をひとつにする政党に支援を行ってきた」という言葉はその本質を突いた発言だということです。

 もとより法外な献金や反社会的な手法で得た資金をもとに影響力を行使することは論外で、法的にも社会的にも罰せられるべきであることは言を待たない。選挙結果や政策がゆがめられたり、人権問題が放置されたりすることはあってはならないと氏はしています。

 現在進められている同教団の問題点の究明や、政治家・政党との関係についての実態解明は、そのためには勿論必要なことであろう。しかるに、(ここでもう一つ忘れてならないのは)教団関連の係争が継続し、弁護士が被害者の救済に孤軍奮闘しているのに、ある時点から全く問題視しなくなった野党やメディアの責任だというのが氏の見解です。

 歴史的に見ても、街頭での労働運動が政党を動かし福祉社会の実現につなげてきた。現在も欧米など先進国を含め、宗教団体や利益団体がロビー活動を展開し、政治や司法の判断まで影響を及ぼしている現実があると氏は言います。 

 海外でも、例えば伝統的なカトリック社会にあっては、キリスト教福音派の急速な膨張と政治への関与は現代政治動向を読み解くカギとなる。世界各国で、家族や国のあり方を巡って様々な団体が自身の立場から多額の資金を投じ、時に街頭での抗議行動を交えて激しい戦いを演じているというのが(政治学者としての)氏の認識です。

 どうも日本人は政治に清廉さを求めすぎてはいないか。日ごろは選挙にも行かず無関心で政治をお上に任せきりにしておいて、いざ騒ぎが起こると(雰囲気に乗って)怒りを露わにするというのではなんとも危ういと氏はここで話しています。

 実現したい目的や様々な理想を持つ人々が政治に近づくのは(ある意味)当然のこと。それを事前にふるいにかけ制度で阻むというやり方は、(確かに)言論の自由や民主主義の否定につながりかねない問題かもしれません。

 必要なのは、個別の政党・政治家の言動や政策への利益団体・圧力団体の関与を(有権者の下に)明らかにすること。野党やメディアは広く国民に対し、時の政権の行動をチェックする責任を負っているということでしょう。

 民主的な政治には、結社や団体を通じて個人が積極的に政治に関与する市民社会の基盤が欠かせないと遅野井氏はこの論考で指摘しています。

 そうした基盤がなければ、影響力のある団体に政治が乗っ取られ、誤った方向をたどることにもなりかねない。問題を特定の団体との関係に矮小(わいしょう)化して済ますのではなく、宗教や団体と政治との関わり方に議論を深め、日本人の政治との距離感を再認識する機会とすべきだとする氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。



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