今年の冬ドラマで最も話題を呼んでいるのが、TBSテレビの金曜ドラマ『不適切にもほどがある』であることに恐らく異論はないでしょう。
「ハラスメント」といった言葉すらなかった昭和の時代から、コンプライアンスに縛られた令和の時代へ38年の時を超えてタイムスリップした主人公。彼の言動は、令和の世界では「不適切」とされるものばかりで、実際、その不適切さについて、注意を喚起する注釈テロップが1話につき何度も挿入されるといった具合です。
職場のデスクで堂々と煙草が吸えたこの時代、確かに私の記憶でも、仕事がらみの宴会に出れば女性社員は上司や得意先のお酌係と決まっていました。業界のパーティーなどでは、コンパニオンのお姉さん相手に(今なら完全アウトの)かなり際どい会話を楽しんでいるオジサマ方なども普通に見かけたものです。
しかし、個人の人権が尊重され、特にルッキズムやジェンダーに由来する偏見に厳しいこの時代、ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス(political Correctness)=政治的な正しさ)は、政治的・社会的に高い地位にある人ほど、最も意識しなければならないものに変わっているはずです。
そんなご時世に驚かされたのは、今年の1月28日に自民党の麻生太郎副総裁(83歳)が、上川洋吾外務大臣を評して放ったこの言葉。「いやぁ、このおばさんやるねえ」「そんなに美しい方とは言わんけれども…」というのは、あまりにも時代錯誤な感じで、(不適切にもほどがある(^-^;)…と)思わず椅子からずり落ちそうになりました。
発言から一夜明けた1月29日、時事通信社が刊行する行政誌「地方行政」(1月29日号)は、麻生氏のこの言葉を受けて(早速)次のような記事を掲載しています。
麻生氏の暴言癖は、今回に始まったことではない。副総理兼財務相だった2018年には、セクハラ問題で辞任した前財務事務次官に関し「(被害女性にはめられた)可能性があることは否定できない」「セクハラ罪という罪はない」などと発言。13 年7月には、憲法改正を巡り、ナチス政権を引き合いに「あの手口に学んだらどうかね」と述べ外交問題となったこともあると記事は指摘しています。
しかし麻生氏は、自民党が2012年に政権復帰して以降、一貫して内閣・党の要職に座り続け、直近でも政権を揺るがす巨額裏金事件を受けて発足した党政治刷新本部の最高顧問を務めている。暴言に関し、毎回、(不適切であったと)陳謝や撤回はするものの、本人も周囲もほとんど意に介していないように見えるということです。
その一方で、(今回の発現に関しては)上川氏の「大人の対応」にも賛否が交錯していると記事は話しています。
セクハラまがいの「暴言」とはいえ、上川氏の外相としての手腕を高く評価する文脈だっただけに、「褒められたのに、わざわざ事を荒立てるのは大人げない」との声が相次いだ。一方、「あえて容姿に触れるのは(麻生氏の)女性蔑視の表れで、女性の価値は『俺たち』が評価するという考え方だ」との判断から、「女性閣僚として毅然と抗議すべきだ」といった主張もあると記事はしています。
旧民主党政権で女性閣僚として活躍した立憲民主党の蓮舫参院議員は、毅然と『おかしい』と指摘することこそ大人の対応です」、辻元清美代表代行)も「男社会で褒められる『わきまえる女』では『次の総理』になんてなれっこない」とSNSに書き込んだということです。
振り返れば、昨年9月に上川氏ら女性5人を閣僚に起用した際、岸田文雄首相が「女性ならではの感性や共感力も十分発揮していただくことを期待したい」と述べ、「自民では女性はお飾りという差別意識が常態化している(同党女性議員)」と問題視された経緯などもある。
そうした中、上川氏は国際社会における「日本を代表する女性閣僚」だけに、欧米各国の女性リーダーの多くは、「上川氏はなぜ断固抗議しないのか」との疑問を口にしていると記事は指摘しています。
実際、政権に最も近い女性政治家のリーダ(のひとり)と目される上川氏が党の重鎮の言葉に「黙っている」ならは、後に続く女性たちも黙っていなければならないと考えるのは当然の事。逆に言えば、上川氏が強く抗議してこそ、自民党という政治の「ボーイズクラブ」を支えてきた長老たちの力を削ぎ、ガラスの天井を崩すことも可能になるのではと考えるのは私だけではないでしょう。
まさに「不適切にもほどがある」ということ。女性全体に礼を失する発言には、(いくら偉いお爺ちゃんでも)ここでお灸を据えておかなければなりません。
もちろん悪いのは麻生氏だが、日本社会での女性進出の遅れが指摘され続けてきただけに、このままでは仮に上川首相誕生となっても「単なる目くらまし」と言われかねないと結ばれた記事を読んで、私もそのように感じたところです。
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