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今年の8月9日、ミズーリ州ファーガソンで起こった白人警察官が武器を持たない無抵抗の黒人男性(18歳)を射殺した(いわゆるファーガソン)事件に対し、11月24日にミズーリ州大陪審が白人警察官を不起訴とする決定をしました。この決定を受け、(世界中に報道されているように)今回の処分が公正さを欠くものとして、全米各地に活発な抗議運動が広がっています。
また、ニューヨークでも、今年7月に黒人男性が白人警官に首を絞められて死亡した事件を巡り、12月3日にニューヨークの大陪審が警官を不起訴とすることを決めたことに抗議して、タイムズスクエアやユニオンスクエアなどに(黒人を中心とした)数百人が集まり、デモ行進を行ったとの報道もありました。
アメリカ社会に根深く残る人種差別(意識)の問題を背景とした人々のこのような動揺に関し、12月8日のニューズウィーク紙は「黒人差別を語れないオバマのジレンマ」と題する興味深い論説を配信しています。
世界的にも注目を集める昨今のこうした動きに対し、オバマ大統領は、ありきたりで当たり障りのない発言に終始していると記事は指摘しています。そして記事はその理由を、「オバマが黒人であるからだ…」と説明しています。
オバマがもしこの問題に激しい強い反応を見せたら、黒人であるが故にアメリカ社会のカラードからは強い共感を得るだろう。しかし、白人有権者の反応(この問題への距離感)を考えると、大統領として述べられることには限界がある。つまり、万が一オバマが大統領として人種問題について発言した場合、アメリカ国内に世論を二分する強い共感と激しい反発の両方(そして世論の混乱)を招く結果になる可能性が高いと記事は予想しています。
一方、そうした心配のないヒラリー・クリントン前国務長官は、9月にサンフランシスコで行った講演において白人の聴衆たちに向けこう問いかけたそうです。
「もし、白人ドライバーが黒人の3倍の確率で、検問で警察に調べられたらと、想像してください」「もし、白人の犯罪者が同じ罪を犯した黒人より10%長期の刑に服さなくてはならないとしたら? すべての白人男性の3人に1人が生涯の間に刑務所暮らしを経験するとしたら? 想像してみてください。私たちと同じアメリカ人の多くにとって、これが現実なのです。」
ペンシルベニア大学のダニエル・ギリオン助教(政治学)によれば、大統領就任以来最初の2年間のオバマは、1961年以降の民主党大統領の中で最も「人種」に関する発言が少なかったと、記事は指摘しています。
アメリカ史上初めて就任した黒人大統領であるオバマに人種問題を語ってほしいと期待していた有権者は(特にオバマを支持したカラードの中には)多かったかもしれません。しかし、多人種、多民族の2億人の国民を擁するアメリカ合衆国大統領のポジションというものは、それほど単純にものを言える立場ではないようです。
さて、そういう意味で言えば、クリントンが大統領になれば人種に関するメッセージがもっと強く発信される可能性は十分にあると、この記事の中で記者は述べています。しかし一方で、男女の人権や平等の問題に関しては、これとはまた逆のことが言えるのかもしれません。
思えば、共産主義体制の中国を初めて訪問し国交正常化への道筋をつけたのは、筋金入りの反共主義者として知られていたニクソン大統領であり、双子の赤字解消のため度重なる増税が実現できたのも、「小さな政府」を信奉するレーガン大統領であったと記事はしています。
結局、アメリカ大統領というのはそうした不自由なポジションにあり、現状において、白人の国民に対して人種について率直に語れるのは白人の大統領だけなのかもしれないとするニューズウィーク紙の主張を、複雑なアメリカの人種問題、社会問題を象徴する指摘として、興味深く目にしたところです。
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