MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯421 「格差」と「貧困」は別物

2015年10月15日 | 社会・経済


 2014年7月に発表された「平成25年国民生活基礎調査」によると、18歳未満の子どもの(相対的)貧困率は16.3%と、社会全体の貧困率16.1%を上回り過去最悪を更新しています。中でも、2012年に公表された無業者の一人親の相対的貧困率(2008)は52.5%、有業者では54.6%といずれも過半数を超えており、ひとり親家庭の多くが実際に貧困状態に置かれていることが判ります。

 因みに、1970年代から2000年代くらいまでの日本の貧困率の特徴を年齢別にみると、若い世代は低く中年期に最も下がり、高年期になってぐっと上がる「J字形」を描くのが普通でした。

 しかし、近年、社会保障制度が整備され公的年金が成熟してくるに従って高齢男性の貧困率は徐々に下がりつつあり、一方で、若年層の貧困率が上がってきているため、男性に限ってみれば、人生の中で最も貧困率が高いのは(最も元気な)若い時代だという、これまでになかった現象が現実に起こってきているようです。

 一人暮らしの女性の貧困率の上昇もまた、最近の特徴の一つと言われています。2010年の資料を見ると、単身で暮らす65歳以上の高齢女性の半数近く(46.6%)が貧困状態に置かれているということです。また、現役世代を見ても、一人暮らしの女性の31.6%、実に3人に1人が(相対的)貧困状態にあることが見てとれます。

 こうした最新のデータや海外との比較などを踏まえると、「日本は平等で貧富の差が少ない」という私たちの常識は、もはや過去のものとなりつつあるようです。

 貧困の増大が社会に与える影響が懸念される中、9月4日の「日経ビジネス(オン・ライン)」では、我が国の貧困問題を追ってきた首都大学東京の阿部彩(あべ・あや)教授が「日本社会の『前提』が崩れ、貧困が生まれている」と題する論評において、「格差」と「貧困」に関する示唆に富んだ指摘を行っています。

 氏が厚生労働省に依頼した試算では、職業訓練などの対策を一切取らず仮に20歳から65歳まで生活保護を受給した場合、その行政コストは一人当たり実に5000万~6000万円に達するということです。

 一方、職業訓練などの支援プログラムを2年間実行したとするとその費用は約460万円かかりますが、結果(例え非正規であったとも)65歳まで働き続ければ、本人が納付する税金や社会保険料の合計額は2400万~2700万円ほどになり、差し引き7000万円程度のメリットが生まれると氏はこの論評で指摘しています。

 さらに、彼(彼女)が正規雇用で65歳まで勤められるとすれば、税金などの納付額は4500万~5100万円に及ぶこととなり、職業訓練の費用を差し引いても7000万~1億円ほどの便益が社会にもたらされるということです。

 加えて氏は、医療費の問題にも触れています。貧困と健康状況の間には負の相関があることは広く知られており、貧困者が増えればそれだけ医療費が必要になる。そして、こうしたコストを減らすことができれば、社会全体が便益はさらに膨らむということです。

 さて、しばしば混同した議論がなされている「格差」の問題と「貧困」の問題は、こうした対策を考える場合、特に冷静に区別して対応する必要があると阿部氏は述べています。そこにあるのは、「貧困」はあくまで撲滅すべき社会問題であり、「格差」とは次元の違う問題だという指摘です。

 そもそも、「格差」が全くゼロになって平等な社会になるというようなことはあり得ない。一方「貧困」はと言えば、原則社会に必要のない、社会政策上可能な限り削減すべき問題として定義づけられると阿部氏はこの論評で述べています。

 貧困をどう測るべきかという指標についての議論はあったとしも、貧困が少なければ少ないほど社会に利益をもたらすことは明らかだと阿部氏は説明しています。例えばプロ野球選手が7億円の報酬をもらうことについて、それが悪いと言う人は恐らく少ないだろうと阿部氏は言います。飛び抜けた実力でのし上がっていった人、努力した人が報われること自体について、社会は(少なくとも一定程度は)許容しているということです。

 しかし、基本的人権である生存権を脅かすような貧困は、民生の安定のためにも国が責任を持って解消しなければならないひとつの「社会問題」だというのが、阿部氏が有する基本的な認識です。

 「健全な社会」にとって、一定の競争と格差の発生はやむを得ない(と言うか、当然に必要な)要素のひとつであると考えられます。しかし、健全な社会を維持していくためには、その中で(ある意味)「構造的」に生じる貧困については、それをカバーする仕組みをそもそも社会の中に組み込んでおく必要があるということになるのでしょう。

 「貧困」の存在は、健全で安定した社会であるかどうかを判断する重要な指標であると考える阿部氏の見解を、この論評において私も大変興味深く読んだところです。





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