MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2515 幼稚化する社会(その1)

2023年12月20日 | 社会・経済

 ぼんやりとした物言いで申し訳ないのですが、ここのところずっと感じているのは世論(のものの捉え方)が随分と子供っぽく、単純になってきているのではないかということ。

 自分の経験で言えば、まだ若者だった時分、「大人の社会」とは自分を抑圧するだけの高い壁の向こうにある(もっと複雑で)訳の分からない世界だったような気がします。また、だからこそ「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわった」高校生の尾崎豊は、大人になるためのイニシエーションとして「この支配からの卒業」と「戦いからの卒業」を謳ったのでしょう。

 しかし、時代はすっかり変わってしまったようです。海の向こうのアメリカでは、トランプなる大統領が「偉大なアメリカ」を取り戻すために国境に高い壁を作ると宣言したり、お隣の中国や香港では若者の言論が暴力によりあからさまに封じたり。大国のリーダーにもかかわらず、やることなすことがやたらシンプルで子供っぽいことに驚かされます。

 また振り返ればこの日本でも、小説のアイディアを盗まれたとしてアニメプリダクションに火をつけたり、宗教団体への私怨を晴らすために元総理大臣を銃撃したりと、幼稚な発想による事件が相次いでいます。

 選挙の前にはお金を配れば国民はそれで喜ぶだろうと考える政治家がいて、一方には権力に(笑ってしまうほど)あからさまに忖度する官僚や、大手プロダクションなどの長いモノに(簡単に)まかれるジャーナリズムがある。

 そう言えば、先日の(埼玉県議会の)「お留守番禁止条例」の問題だって、「子どもの置き去りやネグレクトが増えている」→「子どもだけでいることを条例で禁止してしまえばいい」という余りにも現実を省みない、配慮の足りない発想が炎上を生んだといっても過言ではないでしょう。

 なぜに現代社会は、これほどまでに(見方によっては「幼稚」と思えるほど)シンプルになっているのか…そんなことを考えていた折、今年9月に出版された思想家の内田樹(うちだ・たつる)氏の近著『街場の成熟論』(文藝春秋社)の「まえがき」に、「成熟」(大人になるということ)についての一文を見つけたので、参考までに小サイトにその概要を残しておきたいと思います。

 僕はこの数年ずっと「成熟」の必要性について語ってきた。なぜなら今の日本社会を見て、一番足りないなと思うのがそれだからだと氏はこの論評の冒頭に記しています。

 社会が子どもばかりになって、その人たちが権力や財力や発言力を持ってしまうといろいろな不具合が生じる。だから、大人の頭数を増やす必要がある。でも、「大人になれ」と頭ごなしにどなりつけたって、(もちろん)子どもが急に大人になったりはしないだろうと氏は言います。

 「大人になりたい」という気持ちは内側から自然に生まれないと意味がない。では、どうすればいいのか。そのための社会の在り方について、氏はここで「トム・ソーヤーのペンキ塗り戦略」のエピソードを引いています。

 いたずらの罰として壁のペンキ塗りの仕事命じられたトム・ソーヤーは、もちろんこれがいやでしょうがない。(内田氏によれば)そこで案じられた一計が、友だちが通りかかったときに振り返りもせずに一心不乱にペンキを塗ることだったということです。

 当然友だちは、怪訝に思って「何やってんの?」と声をかける。トムはペンキ塗りに夢中で返事をしない。もう一度声をかけるとトムはようやく振り返って、「ペンキ塗ってんだから邪魔しないで」と言ってペンキ塗りを続ける。

 すると友だちは好奇心にかられて「それ、面白いの?」と訊ねる。トムはすかさず「この世でこれほど楽しいことはないね」と応ずる。ここまでくるともう罠にかかったも同然で、「ちょっとだけやらせてくれない」とにじり寄って来る友達に「しぶしぶ」ペンキ塗りの苦行を譲ったトム・ソーヤーは、ほいほい遊びに出かけてしまうというものです。

 この逸話から判るのは、人に何か仕事をして欲しかったら、その仕事が「楽しくてしかたがない」かのように振舞う必要があるということ。これは経験的に得られる知恵だと氏は言います。

 なので、子どもたちに「大人になりたい」というスイッチを入れてもらうには、「大人であることは楽しい」ということをきちんと伝える必要がある。そして、もしも今の日本の子どもたちに成熟への意欲が著しく減退しているとしたら、それは子どもたちが「楽しそうに暮らしている大人」を間近に見る機会が少ないからだというのが、この論評で氏の指摘するところです。

 テオネニー(幼形成熟)という言葉がありますが、(氏が言わんとしているのは)年を取ること、大人になることに希望が持てない若者たちが大人になることを自ら拒んでいるのではないかということ。若者たちが「若さ」にやたら価値を置いたり、「ジジイ」「オバサン」と年配者を馬鹿にしがちだったりするのは、彼らの先輩である大人たち自身がいつも不機嫌でつまらなそうにしているからだということでしょう。

 そしてその先には、子どものように単純に、誰にも判りやすくシンプルに振舞うことばかりが評価され、「ウケる」社会が待っている。眉間にしわを寄せ社会の矛盾に声を張り上げる(リベラルを標榜する)野党が若者に疎んじられるのも、いつも楽しそうなノリの良いユーチューバーが再生回数を稼ぐのも、まずはその態度に理由があるとすれば(それはそれで)興味深いものだなと改めて感じる次第です。

(「#2516 幼稚化する社会(その2)」につづく))



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