MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

♯265 胸を張って法治国家と言えますか?

2014年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム


 10月23日に閉幕した第4回全体会議(四中全会)において、中国共産党中央委員会が「法に基づく統治」を強める「法治」を進める方針を明らかにしたという報道がありました。

 習近平国家主席(中国共産党総書記)は今会議の決定前文の中で、軍にも「法治」の徹底を指示するとともに、収賄罪の対象とする賄賂の種類の拡大など反腐敗関連の法律を厳しくすることを掲げているということです。

 また、学生を中心に民主化を求めるデモが続く香港情勢を巡っては、「法に基づいて中央権力を行使し、高度な自治を保障しつつ外部勢力の介入を防ぐ」と明記し、2017年の香港行政長官選挙においても民主派を事実上排除する方針を堅持する方針が示されているようです。

 中国は、30年以上にわたる「改革開放」政策により、欧米先進国に肩を並べる著しい経済発展を成し遂げました。一方、この30年間で法律の整備も次第に進み、現在では憲法、民法、刑法などの基本法制のほか、物権法、担保法、独占禁止法などの専門法制も順次制定されているということです。

 しかし、中国に対しては、依然として「法治国家」ではなく、(中国3000年の歴史を踏まえた「天命」による)「人治国家」の枠組みから抜け出していないとする批判が強いのもまた事実です。

 実際、これらの法制を、具体的に施行するための施行細則の制定は大幅に遅れており、密室的な裁判などによる恣意的な運用が日常的に行われているとされています。また、何よりも「行政」「立法」「司法」の三権分立が導入されていないため、法の執行体制の不十分さが(特に外国企業や人権団体などから)強く指摘されているところです。

 そもそも「法治国家」とは、国家における全ての決定や判断は国家が定めた法律に基づいて行われるべきであるという「法治主義」に基づく国家を指す言葉です。逆に言えば、「法治国家」では国民の代表機関たる議会において適切な手続きにより制定された法に基づかない限り、国民の権利や自由は侵害されないことが保障されるということになるでしょう。
 
 さて、そういう意味では、日本人は自らの国を(近代的な)法治国家として認識していることにあまり異論はないと思います。しかし、それはそれとして、中国と東アジアの社会文化を共有する日本は、本当に欧米のような(法律の条文を厳密に運用する)法治国家と言える状況にあるのでしょうか。

 10月24日のNikkei BPnet の連載コラム「サバイバルのための思考法」では、国際医療福祉大学大学院教授で精神科医の和田秀樹(わだ・ひでき)氏が、日本に独特の法律の運用法とそれを受け入れる日本人の感性について私たちに興味深い視点を提供しています。

 例えば世界中の売春が禁止されている国々の中で、看板も広告も堂々と出す売春施設が営業されている国はどのくらいあるのだろうか。景品を公然と換金しているパチンコなどの遊興施設も同じこと。日本では、警察が積極的には摘発しなければ、たとえ明らかに違法な内容であっても公然と営業することができる。(そして国民はそれを当然のことように受け入れている。)これが日本における「法治」の実態だと和田氏はここで指摘しています。

 これでは、国会で法律をいくら作ったところで、警察が法律を決めているのと同じことではないかと和田氏は日本の「法治」の現状に疑問を呈しています。法律が現実にそぐわないのであれば法律を改正すべきなのに、取り締まる側の警察の裁量によって法律が「現実に即したもの」に翻訳されてしまっている。

 また国民もこうした(めんどうくさい)法律の運用については、(その道に通じた)警察に委ねることを良しとしてしまっている。

 さらに、こうしたことから、現状に合わせて改正が必要な古い法律もなかなか変わらない(変える必要がない)。国民は、法の執行段階における恣意的な運用に、現実問題としてあまり疑問を感じていないのでのではないか…、これが和田氏の問題意識です。

 例えば、高速道路の制限速度が時速100キロと定められたのは、名神高速ができた1963年のことだそうです。当然、現在の自動車の性能の進歩を考えると、この速度のままでいいのかという疑問が残ります。しかも、片側二車線の中央道や常磐道でさえ、時速80キロに抑えられている区間が多いことはご存じのとおりです。

 50年以上前よりもむしろ制限速度が下げられている中で、実際には厳密に警察による速度の取り締まりが行われないことから、結局、利用者の多くが(パトカーの周辺以外では)時速100キロ以上で走っているのが現実だと和田氏は指摘しています。

 「国民の安全」という大義名分のもと警察によって設定された現在のこうした制限速度について、和田氏は、流通の効率化を阻み大きな損失を生んでいる可能性があると指摘しています。さらには、もしかしたら国民の安全にに悪影響を及ぼしている可能性もあるというのが、この状況に対する和田氏の見解です。

 そもそも、高速道路の死亡事故は年間200件にも満たない。加えてそうした死亡事故の原因を見ると、前方不注視がダントツのトップで最高速度超過の実に4倍、過労運転も最高速度超過より多い。要するに速度超過より疲れたり、運転に飽きたりすることが危険要因になっていることは明らかだと和田氏は見ています。

 480キロの道のりを時速80キロで走れば6時間かかるが、120キロなら4時間で済む。あくまでも可能性の話であるが、最高速度を上げたほうが疲れないし、注意も持続しやすいかもしれないという指摘です。

 結局、取り締まる側の論理の中で法律が作られ運用されているのではないか。和田氏はさらに続けます。

 時代やテクノロジーが変われば法律も変えないといけない。例えば「わいせつ物頒布罪」といわれる刑法175条にしても、外国で処罰されないものが、日本人だけは「徒に性欲を刺激・興奮させる」と裁判所が判断し違法状態に置かれている。

 それはそれで良いのだけれども、警察サイドでインターネット上の細部まで取り締まることは(現実として)不可能であるため、結局、日本製の無修正ポルノが海外のサイトで課金され、本来、日本に入るはずの税金でさえ海外に入ってしまうという事態も生じている。

 和田氏はこうした状況について、建前によって古い法律を改めないよりも、海外に準じて解禁したほうが日本の税収も増えるだろう。暴力団の金もうけのチャンスも減るだろうし、高齢者の若返りにつながるかもしれない(笑)…と述べています。

 「私の意見は極論かもしれないが、これがあると「まずい」と思われる法律については、時代に合わせて変えていくのが国会議員の仕事だし、市民のサバイバルのためには、彼らにそのように動いてもらわないといけない。あるいは、変えてくれそうな人を選ばないといけない。」と、12月14日の総選挙を前に、和田氏は論評をこのように結論付けています。

 法律というのは作った以上は守らなければならない。逆に言うと守れないような法律は作るべきではないと、和田氏は考えています。確かに、私たち日本人は、法律の一つ一つを警察任せにせず、もっと「大切」に取り扱うべきなのかもしれません。

 運用は「お上」にお任せする。日本が本当の法治国家として自立していくためには、国民一人一人のそうしたアジア的な視点をまず見直す必要があるのではないかとする和田氏の指摘を、私も今回、改めて興味深く読んだところです。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿