MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯205 中国の近代化と日清戦争

2014年08月01日 | 国際・政治

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 引き続き、日中間の歴史的関係、なかんずく19世紀末に起こった「日清戦争」に関する話題です。

 今から120年前の7月25日、現在の韓国北部、仁川の沖合で日本と清国の海軍が海戦の火ぶたを切り、主に朝鮮半島を舞台に、開国間もない東洋の島国日本と「眠れる獅子」と呼ばれたアジアの大国清国との間で日清戦争(中国では「甲午戦争」)が勃発しました。

 中国国内ではこの7月25日が日清戦争の開戦記念日として広く認識されており、今年も同日には、中国の主要メディアがこぞって日清戦争敗北の意味を振り返る特集記事や論説を掲げたということです。

 7月26日付けの「東洋経済オンライン」では、我が国では19世紀の終わり頃に起こった「歴史(の教科書)上のできごと」ととして認識されることの多いこの日清戦争の現代中国における位置づけ(とその意味)について興味深い論評を掲載しているので、備忘のために整理、採録しておきたいと思います。

 日本国内ではあまり知られていませんが、記事によれば中国では今年に入ってからというもの、国家レベルの様々なメディアが「甲午戦争」を振り返るキャンペーンを張っているということです。

 6月9日に習近平国家主席が行った演説でも、「今年は甲午の年だ。このことは中国人民と中華民族にとって特別な意味を持つ。」として、習政権の重要なキーワードの一つである「中華民族の偉大な復興」の原点には清朝崩壊のきっかけとなった「甲午戦争」での日本への敗北があることを強調したとされています。

 記事によれば、中でも国営・新華社通信では劉亜洲・空軍上将へのインタビューを掲載し、日清戦争における清朝の敗北を新生中国の「覚醒の時」と位置付け、その歴史的な意味を改めて定義づけしたということです。

 劉将軍は、日清戦争で清軍が惨敗した理由を清国が西洋の軍備は取り入れても意識が「前近代」のままであったことに求め、「中国には何世代にもわたる長期的な大戦略や、それを実行しようという意思が欠けていた」ことを指摘。一方、日本には大陸を征服するという明確な戦略があったと論じているそうです。

 そして、日本の歴史的な特徴として、①強い政権が成立すれば朝鮮半島の征服を目指すこと、②大きな自然災害のあとには外国への武力行使を求める声が高まること、の2点を示唆したと記事はしています。

 将軍の認識の妥当性はともかくとして、実際、「甲午戦争」の惨敗によって、1894年11月に興中会を旗揚げした孫文は1911年の辛亥革命によって清朝を打倒し、その10年後には中国共産党が結成されています。1893年生まれの毛沢東や1898年生まれの周恩来らは甲午戦争の敗北が引き起こした中国社会の激動のなかで青年期を過ごし、救国への意識を強めたというのは事実と言えるでしょう。

 そうしたインパクトを中国に与えたという点で、「われわれは日本に感謝しなければならない…中国は日本の最も古い先生で、日本は中国の最も新しい先生だ。甲午戦争がなかったら、中国はあとどれだけ眠っていたことか」と、劉将軍もこのインタビューで語っているということです。

 このように、中国において日本を語ることは、すなわち自国の近代化の道のりを語ることだと記事はしています。

 中国において共産党の正統性を強調するためには、甲午戦争から始まる「日本との戦い」というストーリーが欠かせない。日本における日中関係の「歴史認識」は基本的に満州事変以降の日中戦争における日本の侵略行為への認識を指す言葉ですが、中国が提起する「歴史問題」は常に日清戦争にまで遡り、東アジアの地域秩序はリセットすべきだという発想が根底にあるということです。

 当然、韓国と歴史問題で共闘したり、日清戦争のさなかに日本領とすることが閣議決定された尖閣諸島を自国のものだと主張するベースにも、この認識が確固として存在すると記事は述べています。

 日本の敗戦から70年めとなる来年の夏に向け、中国は「歴史問題」を繰り返し提起してくると思われる。そしてその根っこには、さらにその50年前の日清戦争があることを日本人はもっと認識しておく必要があるとする「東洋経済」誌の指摘を、今回改めて興味深く読んだ次第です。


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