MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2068 かつて日本は離婚大国だった

2022年01月19日 | 社会・経済


 「コロナ離婚」という言葉を初めて耳にしたのは、既に1年以上も前のことでしょうか。パンデミックによるステイホームで夫婦が一緒に過ごす時間が増えたことで、今までは気づかなかった相手のアラや価値観のずれが浮き彫りになり、修復ができなくなるまで悪化してしまう。家にいても家事も育児もしない夫に、一緒にいる時間が苦痛だと感じる女性が増えたという話も耳にするところです。

 しかし、だからといって現実に離婚が増えたかというと、どうやらそうでもないようです。厚生労働省の人口動態統計によると、令和2年の年間離婚件数は19万3251件で、前年度よりも離婚件数は1万5245件減少。減少率7.3%は、統計上も十分に有意な数字といえるでしょう。

 しかしその一方で、同統計によれば同じ期間の婚姻件数は52万5490件と、前年より7万3517件減少し、(離婚件数の減少率7.3%を遥かに上回り)12.3%も減少していることが見て取れます。

 つまり、令和2年は過去にほとんど例を見ないほど、結婚も離婚も減っている。コロナ禍の下ですべて(のイベント)が先送りされ、日本人は「何事もガマン」の1年を過ごしてきたということでしょう。もしかしたら、(この先)、コロナへの感染拡大が終息した暁には、この日本でも離婚率が一気に上昇するというような事態が生まれるかもしれません。

 さて、そんな状況を尻目に、12月17日のYahoo newsではマーケティングディレクターでコラムニストの荒川和久氏が、「「3組に1組どころじゃない」 離婚大国・日本が、世界一離婚しない国に変わった理由」と題する興味深い論考を寄せています。

 現在の日本では、しばしば「3組に1組は離婚する」と言われるが、これは、離婚数を婚姻数で割った「特殊離婚率」という指標が、1998年以来20年以上一度も30%を下回っていないことに起因していると氏はこの論考に記しています。

 1990年から2019年までの30年間の全年代を対象とした婚姻数累計は2150万組で、一方の離婚数累計は693万組。つまり、30年間の累計特殊離婚率は約32%となると氏は言います。

 もちろん、この離婚数の中には、1990年以前に結婚した夫婦も含まれているが、30年間の累計においては誤差の範囲といえる。つまり、この30年間で結婚した夫婦のうちの32%は実際に離婚をしていることになり、まさしく「3組に1組は離婚」している状況だというのが氏の認識です。

 一方、昔の夫婦は、「添い遂げるもの」だと考えていた。日本の離婚が増えたのは近年になってからだと思っている人は多いが、それは大きな勘違いだというのが、氏がこの論考で指摘するところです。

 明治期以降の長期の離婚率の推移をみてもわかる通り、江戸時代から明治の初期にかけての特殊離婚率は4割近くで、現代よりもかなり高い。人口千対離婚率でみても、1883年時点で3.38もあり、2019年実績(1.69)のほぼ倍に当たるということです。

 人口千対離婚率では、江戸時代に4.80を記録した村もあり、2019年での世界一高い離婚率はチリの3.22なので、当時の日本の離婚率は世界一レベルだったかもしれないと氏は言います。江戸時代の土佐藩には、「7回離婚することは許さない」という禁止令があったというが、これなどは6回までは許されたことの証だということです。

 そんな(世界でもトップレベルの)離婚率を減少させたのが、1899年の明治民法だと、氏はこの論考で説明しています。これこそ、当時の武家の考え方を庶民に普及させるためのもの。これにより結婚が「家制度」「家父長制度」に取り込まれることになり、その結果として、妻の財産権は剥奪されることになったということです。

 明治民法以前の庶民の夫婦はほとんどの夫婦が共稼ぎ(「銘々稼ぎ」)で、夫婦別財でもあり、夫といえども妻の財産である着物などを勝手に売ることはできなかったと氏は説明しています。

 時代劇にあるような、博打にハマった夫が妻の着物を勝手に売るなど許されなかった。離婚が多かったのも、夫婦それぞれが経済的自立をしていたからだということです。

 しかし、明治民法はその妻の財産権は家長である夫の所有に属するものとなり、経済的自立と自由を奪われた。妻にとって離婚は、生きる術を失うような位置づけとなってしまったと氏は言います。

 そして実際に、明治民法以降に離婚率は10%台に激減し、それが1998年に30%オーバーとなるまで低離婚率の期間が続くことになった。つまり、離婚が少なったのは、明治民法以降せいぜい100年の歴史にすぎず、日本の長い歴史の中ではほんの一瞬の話でしかなかったというのが氏の認識です。

 もとより、明治政府がそのような政策をとったのは、(ある意味)富国強兵をにらんだ結婚保護政策の一環であり、まさにここから日本の皆婚時代と多産化が始まったといえると氏はしています。

 しかしそれは、もともとの日本人の庶民における夫婦のあり方や結婚の原風景は違うもの。江戸時代の結婚のカタチの中にこそ、現代の未婚化、晩婚化、離婚増などの現象に通じるものが数多く発見できるとするこの論考における氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。


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