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「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

僕の憧れだった。

2014-05-20 | コラム

ヒロ伊藤に初めて会ったのは、僕がまだKITTYレコードにいた時。

当時、デビューしたてのシンガー白竜(現在俳優として活躍)を月刊プレイボーイのロングインタビュー(これがこの雑誌の売りの1つだった)で取り上げてもらおうと動いていた。

そのページ用の撮影で白竜のライブを撮りにやってきたのがヒロ。

全身黒ずくめのヒロ伊藤。(僕がカメラマンになり黒ばっか着るよーになったのはヒロの影響。

 しゃべり方もなんか怖い感じで、えらく尖っている人だなーと言うのが最初の感想かも。

アメリカから帰って来たばかりでなんもわかんねーよ」みたいな事を言っていた。

アメリカでワンハンドヒロと呼ばれていたが初めて会った時、左手首が無いなんてまったく気がつかなかった。(事故で手首落としたと言われているがホントかどーか分らない)

結局、月刊プレイボーイのインタビューは白竜の考えを考慮し中止になったが、ヒロの印象は強烈だった。

僕が2ヶ月お世話になった三浦憲治さんとは写大時代からのダチ。

その関係で、当時小学館から出ていた写真雑誌『写楽』(しゃがく)でヒロの特集が組まれた。

ヒロが撮った、パティスミスやルーリードなどの写真。

被写体がカメラを意識していない。

自然体の写真。

こーゆー写真が撮りたくて僕はカメラマンになった。

最初はヒロさんと呼んでいたけど、いつからかヒロと呼ぶよーになっていた。

ライブ会場などで会うといつも話をしたけど通訳が欲しいくらい話し方がハチャメチャ。

何しゃべっているのかよく分らない所があった。

家が火事になり2階から飛び降り両足骨折(確か)なんて事もあった。

野音で会った時、ビデオを担いでいたが、他のビデオカメラマンに「お前は下手(しもて)担当だろ!」みたいな事を言われていた。

グループで仕事するタイプじゃないと思うので、それ以降ビデオがメインになったのかどーか分らない。

会えば必ず話をした。

僕の憧れだったヒロ伊藤。

ヒロと話が出来るのが嬉しかった。

そんなヒロがいなくなっちまった。(今日ヒロが亡くなったと言う情報がFBに流れた)



 

 









 

 


 

 




 

 

 


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