叔母が住んでいる施設は田園都市線沿線の駅の傍にあった。
高級施設だとは聞いていたけど思っていた以上に立派な建物。
叔母に会うのは何年ぶりだろーか。覚えていない。
関西から横浜に旅行で来ている従兄弟夫婦と1週間に1度ぐらい、この叔母に面会に来ている従兄弟と一緒に会いに行ったが、この従兄弟達とも久しぶり(何十年ぶり?)の再会。
この叔母に僕はとても可愛がられた。
僕がまだ赤ん坊だった頃、結構面倒みてくれたらしい。
叔母夫婦には子どもがいなかった。
鶴見に住んでいたから久が原からは近かったので時々車で遊びに行っていた。
義理の伯父さんは武蔵野音大教授だったのでスタンウェイとカワイのグランドピアノがリビングルームに並んで置いてあった。
夜になると狸の親子がご飯をもらいにやってきていた。
そんな鶴見から板橋(だったかな?)方面に引っ越した時、僕のVOLVOで少し荷物を運んであげた。
ただこのマンションには長くは住んでいなく浜松に引っ越した。
義理の伯父さんが亡くなった事は偶然知る事になったが、その後叔母が横浜にいる事は去年亡くなった叔母(四女)の息子(僕の従兄弟)がこの叔母から来ていた住所変更のハガキを見つけて分った。(ややこしくてごめんちゃい)
叔母に関して、お散歩は介護の人が一緒だったら出来るらしいけど、叔母は外に出ないらしい。
転んだ事があるらしく、それが怖いんじゃないかな。
昔の話をするとちゃんと理解しているよーだったが、自分からはしゃべらない。
なのでこちらから色々昔の話をした。
母親が昔よくお相撲を観に行ったと言っていたので、叔母も行ったか聞いたら行ったわよの事。
山下洋輔さん(親戚一同、よーちゃんと呼んでいる)は以前、「ドバラダ門」と言う本を出しているが、これは山下さんのおとーさんの家系の話。
小山家は山下さんのおかーさん(菊代叔母さんと親戚一同呼んでいる)の家系。(僕のお祖母さんは長女で、菊代叔母さんは確か末っ子)
小山松吉さんに関してウィキペディアにも書いてあるけど、
「小山の妻には三味線を弾く趣味があり、小山の司法大臣就任後、「大臣の妻になったのだから三味線など弾くものではない」と人に言われたが、「好きなものはやめられない」と押入れの中に隠れて弾いていたため、孫の山下洋輔は「音楽ということに関してはこの祖母の性質が母親を通じてこちらに伝わっている可能性はある」[2]と述べている。」(ウィキペディアより)
と言う事で、山下さんは、僕の曾祖父さんの小山家の事を書いたよーであります。(この本早く出ないかな)
叔母さんで思い出したが、僕が小学生だった時、自由が丘を一緒に歩いていたら同級生の女の子と、すれ違った。
次の日、その子に叔母が女優さんかと思ったと言われた記憶がある。(太っていたけど)
子どもの頃、この叔母さんが運転する車の助手席によく座った。
そのお陰だと思うけど、運転感覚が自然に身に付いてしまったよーで自動車教習所の教官に「無免で走っていただろー」と言われた事がある。
おそらく叔母の中で一番一緒にいた時間が多かった人じゃないかな。
だから1人ぼっちになり、表情が寂しいそーだったのが辛い。
元気な叔母さんだったから。
(従兄弟が持ってきた昔の家族の写真を複写。左が僕のお爺さん。その隣が母親。右から4番目がお祖母さん。たぶん真ん中の赤ちゃんが、昨日会った叔母)