モジリア

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おじさんが読む「赤毛のアン」

書き写す・・・ということ

2012年07月04日 | 大人の寺子屋

12・7・4  

書き写すということ

江戸時代の初等教育機関であった寺子屋は、

読み書き算盤の他、漢籍、謡曲なども教えた。

 

教え方は手習い、と云って書き写すことが中心だったらしい。

 

千葉県船橋市前原にお住いのアコーデェオン奏者、

内藤ひろをさんを地域新聞に取り上げたことがあります。

 

内藤さんは中学生の頃、ピアノの演奏に疑問があった。

「なぜ違う鍵盤を同時に弾くのか・・・」

 

やがて高校生になり、和声学(かせいがく)と云って和音のことらしい、と気づきます。

 

図書館で和声学の本を見ても、チンプンカンプン、全く理解できない。

そして分からないままに和声学の本を

最初からノートに丸ごと書き写します。

書き写す作業を続けていると、あるとき突然、

「そうか!そうなのか!」と感動的にわかった。

アコーデェオンには

メロディーを弾く鍵盤と和音、所謂コードの丸ボタンがある。

多分アコーデェオンと云う楽器を選んだ動機だったろう、と思います。

 

その先さらに書き写したかどうか、聞きそびれましたが

彼の演奏は楽譜を見て演奏することはほとんどない。

音階を一度上げる、半音下げて演奏することなどは自在です。

 

音の成り立ち方の基本中の基本が分かっているから

譜面を見ながら演奏する、ということは殆ど必要がないのでしょう。

 

曲全体を一塊のものと捉えているのでしょう。

内藤さんのこの話を聞いて、

丸ごと書き写してある時突然「そうか!そうなのか!」と感動的に分かった、

その感動的に分かった・・・。という言葉が後々まで印象深く残りました。