12・7・5
書き写すということ―2―
昨日ご紹介した内藤さんの話に共感した背景のようなものが私にはあった。
以前このブログでも紹介した、
養護老人施設のお年寄りにはがきを差し上げる活動をする中で
はがき文を歳時記の季語の説明文の中に求め、適当なフレーズを書き抜いて、
くっつけたり入れ変えたりしながらはがき文に仕上げる。
7,8通りのはがき文を比較的簡単に書けるコツ?のようなものがあった。
俳句を読むためでも、詠むためでもなく歳時記のその季語全体像を読もうとする、
だから適当なフレーズを選べたのでしょう。
この作業が後々文章を書く発端になり地域新聞にレポートを書くようになって行きます。
話は変わりますが、内藤さんの話を聞いて、
暫くしてから樋口一葉の「十三夜」を丸ごと書き写しました。
「そうか!そうなのか!」と云った感動はありませんでしたが、
構成のしかた、描写にすごいものがある、と思いました。
その後アメリカ・シカゴで時差ボケで夜になると目が覚める、という事情があって、
08・10・4~11の7日間で天風師の書かれた「安定打座考抄」の後半部分
「無我一念」をノートに丸ごと書き写しました。
書き写していると、
「もしかしたら、あの時のことはこういうことだったのか!」と発見することが多々ありました。
翌年09・6・10~7・14まで35日間で前半の「安定打座考抄」を書き写しています。
丸ごと書き写す、ということを思い出したように繰り返している。
10・11・8~12・18の41日間で
幸田露伴の「五重塔」を書き写している。
この時は幸田露伴が書こうとしているテーマ、
のっそり十兵衛とあだ名された世間音痴の十兵衛がどうして五重塔を建立したい、といった
途轍もない思い(野心、という言葉は適切ではない)を抱いたか・・・。それと
十兵衛は五〇分の一の雛形を作っている。
天風師の「なりたい姿をありありと描け!」という教えがあります。
十兵衛は五〇分の一の雛形を作ることでその後どのように展開するのか、を
読み取りたかった。