県立美術館で開かれている、「夏目漱石 美術の世界」展を見に行ってきました。
「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」「それから」「こころ」など、読んだはずなのに、
全く中味を覚えていません。
まだ中学生、高校生の頃ですから、訳も分からず、
ほとんど字ずらを追っただけの読書だったと思います。
漱石は、美術に造詣が深かったようです。
作品の中で、登場する人々が絵画や美術品について語る場面が数多くあるのは、
文学と絵画の融合を意識的に試みたから、ということを今日初めて知りました。
なるほど、そういうわけだったのか・・・。
もう一度、そういう目で、作品を読み直してみたくなりました。
さすが偉人の文学者です。
一枚の絵について、こうも語れるかと思うくらいの表現をしています。
時には、絵画の作者に遠慮することなく正直すぎるほどの批評をしているのも面白いです。
漱石は、49歳で没する4年ほど前から、自分でも絵画や書に挑戦し始めました。
生きている間に、たった1枚でいいから、人からありがたいと思われる作品を描きたい、
と親しい人に話していたようです。
漱石の描いた絵画も展示されていました。
どことなく素人っぽい絵に、ちょっと安心します。
毎日、庭の草木や猫と戯れ、家事で一日が過ぎるももママ。
今日は、久しぶりに文化に触れ、脳に良い刺激を受けました。
「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」「それから」「こころ」など、読んだはずなのに、
全く中味を覚えていません。
まだ中学生、高校生の頃ですから、訳も分からず、
ほとんど字ずらを追っただけの読書だったと思います。
漱石は、美術に造詣が深かったようです。
作品の中で、登場する人々が絵画や美術品について語る場面が数多くあるのは、
文学と絵画の融合を意識的に試みたから、ということを今日初めて知りました。
なるほど、そういうわけだったのか・・・。
もう一度、そういう目で、作品を読み直してみたくなりました。
さすが偉人の文学者です。
一枚の絵について、こうも語れるかと思うくらいの表現をしています。
時には、絵画の作者に遠慮することなく正直すぎるほどの批評をしているのも面白いです。
漱石は、49歳で没する4年ほど前から、自分でも絵画や書に挑戦し始めました。
生きている間に、たった1枚でいいから、人からありがたいと思われる作品を描きたい、
と親しい人に話していたようです。
漱石の描いた絵画も展示されていました。
どことなく素人っぽい絵に、ちょっと安心します。
毎日、庭の草木や猫と戯れ、家事で一日が過ぎるももママ。
今日は、久しぶりに文化に触れ、脳に良い刺激を受けました。