球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

モード

2007-02-14 | マジメな話
まず、わからないことはきちんと人に訊くべきであるということです。

昨日、"旋法(モード)"の意味が理解できないと皆さんに訊きました。
(レスはつかなかったけど、やさしい話ではないから、しょうがないか。)
しかし、これが無駄だったかというとそうでもなく、
そう訊くことで世界が開けることもあるのだな、と感じています。
人に訊かないと、自分がわからないものの正体さえわからなかったりするみたいです。

というわけで、昨日はあの記事を書いてからは"旋法"の虜に。
感覚として体得するにはもう少し時間がかかりそうですが、
僕の愛したブラ4の2楽章の冒頭や、シベ6の4楽章の冒頭。
そして、ドビュッシーの音楽。
ライナーノーツを見て"この楽章は教会旋法が用いられている"という言葉を見たところで
沖縄の音楽が沖縄の音階を使用しているといったくらいのインパクトしかありませんでしたが…
(たとえが悪かったら申し訳ありませんが、私は沖縄の音階を勉強しようと思ったことはありません。
 "そういうもの"で片付けていましたし、とりわけ好きではないということです。)
いざ勉強してみると、その柔らかく浮遊感ある音の世界に衝撃。
こんな美しい形式が滅びた時期があったのか…!



さて、今日はパンクした自転車を修理に出しつつ、
デニーズで鳥丼を頬張りながら、
ルゼル(俺が自分の愛する対象を愛することに対し傲慢になれる場)に
印象派研究会を設立し、やがて世界を席巻しようかなぁなんてことを考えていました。

永劫続くかはわかりませんが、調性の音楽より旋法の音楽の方が僕のルーツには近い気がします。
僕の性格上、こっちを極めることが僕の仕事だと感じました。
というわけで、調性音楽は皆さんに任せ
僕はこの半年間旋法の音楽に埋もれてみようと思います。

…なんて書いているけど、昔から自分が心惹かれてきたのがそういう音楽であり、
別に決めなくてもそういうことをやっていたことに気がつきました。
今日は、その正体がわかったというだけのこと。
でもとても嬉しい。
コメント (3)
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