球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

10 KATANA brind-sw yh

2008-04-19 | たぶん難解な話
今日は久々に心象を描いてみよう。



寝ているとも起きているともつかないような瞼と肩の重いまどろみに抱かれ、
TVに写る、俺が好きな顔のアナウンサーが見たくて眼鏡をかける。

…目が覚める。今話していた内容は夢だった!?
もうどこにいてもすっかり聴き慣れてしまった、
決して途絶えないCPUクーラーのファン音。
偽りの静寂の放つ毒っ気は酷く僕を疲弊させる。
僕がこうして書くことを続けている限りは続くこの回転音。
今音を立てているのは、このいまいましいモータばかり。

なんなら、テーブルに余っているMALT'Sをあげてでも、
一日だけでも静かに動いてくれないかとお願いしたくなる。

そして僕は大量の片道切符を手にしては乗車する。
乗車しては腰を据えて(ときにトイレを織り交ぜつつ)、
乗車中は決して腰を必要以上に動かさず、
降車した瞬間にはもう次の列車の切符を右手に持っている。
それは不自然なことではなく、間断なく有効な時間を身に流すためへの
殺気にも似た強い気持ちの表れだ。


心象を描写することと複数回の鑑賞を求められる事象への相関は
極めて強く、心象を描くことに付随する因果なスタイルを再認識する。
心を描くことは他愛もない夢話を散弾銃のようにばら撒くのとよく似ており、
往々にして鑑賞者を苛立たせる。

心や夢の話を読んだり聞いたりするときにまず心がけておきたいことは、
全体として捉えすぎず、段落くらいの単位で自分なりに分けてみることだ。
誰かからのネタバレを待つ必要はない。
夢の表明形態にソナタ形式はないため、枠組みの形成に難儀しているというだけのことだ。

それだけ心がけていれば、世間で"難解"と言われる
物事の多くに歯が立つはずだと信じている。
本気で主張しなくてはいけないことなどそうそうないので、
その姿勢で問題ない、というのが今の見解だ。

~難しくなきゃ、読み解く楽しみもない~




コメント
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