最近は自分の目線より上でものを見るということがとても少ないため
(それだけ視覚情報を中心に生活しているということだ)、
視線を上にあげたときとそうでないときの自分の頭の状態がまったく異なることに気がついた。
具体的には…視線を上げると頭がちょっとぼうっとして、
体の力がふっと抜ける。一日の中ではとても珍しい時間になっている。
今の僕の生活は、殆どが視線上あるいはそれ以下の視点で成り立っているのだった。
細かい情報を人間自慢の分解能の高い目で分解しまくる。
大雑把な捉え方をすれば、世界の半分の視点。
普段から忙しいと吹聴する習慣のある人もそうでない人も、
視線だけは皆忙しいのではないかな。10月10日といわず、
気軽に目を休ませてあげなくちゃなぁなどと思うのである。
(それだけ視覚情報を中心に生活しているということだ)、
視線を上にあげたときとそうでないときの自分の頭の状態がまったく異なることに気がついた。
具体的には…視線を上げると頭がちょっとぼうっとして、
体の力がふっと抜ける。一日の中ではとても珍しい時間になっている。
今の僕の生活は、殆どが視線上あるいはそれ以下の視点で成り立っているのだった。
細かい情報を人間自慢の分解能の高い目で分解しまくる。
大雑把な捉え方をすれば、世界の半分の視点。
普段から忙しいと吹聴する習慣のある人もそうでない人も、
視線だけは皆忙しいのではないかな。10月10日といわず、
気軽に目を休ませてあげなくちゃなぁなどと思うのである。